ファンタジー短編集

新しい命

　女優は飢えていた。ごく普通の人と幸せな人生を過ごしたかったが、一度目の結婚は、不幸な最後をむかえた。夫が自殺をしたのだ。週刊誌にかかれた不倫の記事のせいだと周囲は噂したが、彼女は信じなかった。初めて自分を心から愛してくれたのは彼だったから。

　しかし、彼の突然の死から彼女は耐えられなくなった。彼は“誰にでも優しく分け隔てなく”接してくれた。大女優で、いつも気を張っている自分の心を、いやしてくれる平凡さがあった。

　亡き晴らし、仕事を休みがちになっていく彼女の前に悪魔が現れる。
「あなた、このままでいいんですか？」
「周囲からは幸せだといわれるけれど、人生の幸せはむしろもっと単純で素朴なものよ、お金や時間に少しばかり自由がうまれたって、全然幸せじゃないのだから」
「ほう？では何を望みます？あなたが代償を払うなら、そうですね、それはあなたが“新しい命”として生まれ変わったときに支払ってもらいましょう、もし代償を払うなら、私は、あなたにどんな幸福を授ける事もできるでしょう」
　女優は悪魔に答えた。
「それならば、それならば、この国でもっともあの人に近い人ともう一度で合わせてなんとか結婚させて」
「いいでしょう」
　半年後、彼女は悪魔の言う通り幸せをてにした。人々は羨み、幸せの絶頂にあるかとおもわれた。

　が、実情は違った。夫はそれから半年もたたずに暴力をふるうようになったのだ。悪魔が現れ女優に尋ねる。
「どうですか？調子は」
「どうもこうもないわ、どうしてあんな男と結婚させたの？」
「いったじゃないですか、“この国でもっともあの人に近い人”と結婚させてほしいって、あなたの元夫は、女癖が悪く、陰で暴力をふるう、人を騙して心を操るのがうまい男でしたよ」
「そんなわけ……」
「２か月の結婚で、あなたに何がわかるのですか？あなたもまた、平凡な人が抱える飢えをご存じなかった、そういう事ではないのですか？」
　女優は、それから悲惨な生活に耐えた。夫のＤＶ、不倫、耐えに耐えて何かいい事がないかと思っていたら、新しい命を授かったのだった。


「そうだ、もう私の人生はどうでもいい、この子のために捧げよう」
　夫は女優にすでに飽きていて、離婚は順調に進んだ。そして、子供はすくすく育ち、彼女に幸福な時間をあたえた。平凡な時間を。女性は彼女が大きくなっていくたびにおもった。
「ああ、この子のおかげでわたしは“平凡さ”を知る事ができた、単純に人をあいし、信じることができる、もしこの子に裏切られても、どうなってもいいわ、この子こそ、私の命よ」

　その夜、悪魔が現れた。小学生になった娘の前にたっていて、思わず悪魔にとびつこうとした。悪魔はそれをかわしていった。
「代償をもらいにきました」
「何をするの？」
「顔を醜くし、知能レベルをおとし、より不幸な人生を歩むようにします」
「そんな事はやめて！契約違反よ」
「あなたがいったんじゃないですか……新しい自分の命だって、この子にも“代償”をはらってもらいます」
「まって、契約は無効にして、お願いよ」
「そんな、無理ですよ、できるのは契約を超えた契約くらいですかね」
「わかった、そうするわ、私がすべての代償と不幸を背負う、だから、彼女は普通の人生を歩ませてあげて」
「……」
　悪魔は考えたが、しかし納得したようにつぶやいた。

「いいでしょう、わかりました、これまでの代償より、何倍もつらいですよ？」
「ええ、いいわ」
　彼女の子供はすくすくと育ち、苦労した母親のおかげで、やっと理解することができた。“この世に必要なのは愛や優しさ”だと。母親は、以前とはくらべものにならないほど醜く、不運に、そしてぼんやりとした人間になった。それでも彼女は、無償の愛をたった一人の人間からでも受け取ったことで、“平凡に”生きる事ができたのだった。