蒼海のシグルーン

田柄満

文字の大きさ
23 / 56
古代都市編

【番外編】届かない

しおりを挟む
 ルリ・マーナーは、青空の下に広がる賑やかな広場に立っていた。白い石畳の上を、楽しげな人々が行き交っている。吹き抜ける風が、噴水の水しぶきを揺らし、光を反射してきらきらと輝かせていた。

「お姉さま、遅いですわ……」

 待ち合わせ場所の時計塔を見上げる。約束の時間から、すでに五分が過ぎていた。

 ルリは、少しだけ頬を膨らませた。
 お姉さま―― カーラ・マーナーは優しくて大好きだけれど、時間にはあまりこだわらない人だった。
 それに比べて、お兄さまは時間に厳格で、もし今ここにいたら、「カーラ、待たせるのは良くないよ」 なんて、やんわりとした口調で注意していたはずだ。

(でも……お兄さまには内緒ですわ)

 今日の目的は、お兄さまの誕生日プレゼントを買うこと。
 ルリはこれまで、お兄さまにプレゼントを贈ったことがなかった。だから、お姉さまに相談して、二人で買いに行く計画を立てたのだ。

 ほどなくして、人ごみの中から見慣れた銀色の髪が揺れるのが見えた。

「ごめんなさい、待たせたわね」
「もう、お姉さまったら……」

 少し拗ねたように言うと、カーラは苦笑いしながらルリの頭をぽんと撫でた。

「それで、プレゼントは決めているの?」
「ううん……お兄さまには、何を贈ればいいのか分からなくて……」

 ルリは、少し恥ずかしそうに視線を落とした。
 お兄さまは、研究に没頭すると周りのことを忘れてしまう。服や靴に無頓着なわけではないけれど、こだわりがあるのかどうかも分からない。

「お姉さまは、これまでお兄さまに何を贈りましたの?」
「意外とあの人は何でも喜ぶよ。手袋でも、ブックカバーでも」
「それでは余計に迷ってしまいますわ……」

 ルリは溜息をついた。何でも喜んでくれるなら、それこそ何を選べばいいのか分からないではないか。

「でも、あなたが選んだものなら、きっと大切にするわよ」
「そうでしょうか……」
「ええ。私が保証するわ」

 カーラの優しい微笑みに、ルリは少し安心する。

 そのまま、二人は街のショッピングエリアへと足を運んだ。

 ルリは、あるショーウィンドウの前で立ち止まった。そこには、精巧な細工が施されたペンが並べられていた。

「お兄さま、よく研究ノートに何かを書き込んでいますの」

「確かに、ペンなら毎日使うでしょうね」

 カーラは、ひとつのペンを手に取った。重厚感のあるデザインで、持ち手には細やかな彫刻が施されている。

「これなんてどう? シンプルだけど品があるわ」
「いいですわね! これにします!」

 ルリは、嬉しそうに頷いた。店員に頼んで、バースデーカードとペンを丁寧に包装してもらう。箱にはリボンがかけられ、プレゼントにふさわしい仕上がりになった。

「お兄さま、びっくりするでしょうね!」
「ふふ、楽しみね」

 店を出ると、二人は顔を見合わせて微笑んだ。

 その瞬間だった。

 ズン――!!

 
 轟音とともに世界が揺れた。

 遠くで爆発音が響き、空気が震えた。人々の悲鳴が周囲に広がり、次の瞬間、ビルの上階から何かが崩れ落ちる音がした。

「えっ……?」

 ルリが驚いて振り返ると、その瞬間――!車が猛スピードでこちらに向かって転がり落ちてきた。

「ルリ!」

 カーラは咄嗟に妹の腕を掴み、押し倒すように身を投げ出した。

 ドンッ!!!

 凄まじい衝撃が走り、視界が暗転する。鉄とコンクリートの粉塵が舞い、耳鳴りが世界を支配した。

 ルリは微かに意識を保っていた。崩れた車の下敷きになりながらも、カーラの温もりを感じた。

 「……お姉さま……?」

 カーラの体が、自分を庇うように覆いかぶさっている。

 頭がぼんやりしている。息をするのが苦しい。体の感覚が、どんどん遠ざかっていく。

 助けを求めようとしたが、声にならない。

 視界が揺らぐ中、誰かの足音が近づいてきた。

「車に火がついてます!」
「お姉さま!わたくしも……!」
「お前らも見てないで手伝え!」
 誰かが怒鳴る声。
 人々の足音が駆け寄ってくる。

 視界の端で、誰かが必死に車を動かそうとしているのが見えた。だが、重量がありすぎてびくともしない。

(……助けてくれる……)

 ぼんやりとした思考の中、ルリはカーラの手を探した。
 冷たい指先が触れた瞬間、カーラもまた、わずかに指を動かす。

(……お姉さま……)

 ——ズン!!

 今度はさらに強烈な爆発音。
 ルリの視界の端で、火の手が立ち昇るのが見えた。

 誰かが叫ぶ。

「間に合わねえ!早く引っ張れ!」

 カーラの体がかすかに動く。だが、下敷きになっているため、ほとんど身動きが取れない。

 ルリの呼吸が浅くなる。
 意識が霧のように薄れ、感覚が遠ざかっていく。

 (……お兄さま……)

 最後に浮かんだのは、プレゼントを渡したときの、お兄様の驚いた顔だった。

ルリは、潰れてしまったペンをかすかに握りしめた。
 だが、その指先の力はすぐに抜け、意識もまた、闇の奥へと沈んでいった——
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

転生先はご近所さん?

フロイライン
ファンタジー
大学受験に失敗し、カノジョにフラれた俺は、ある事故に巻き込まれて死んでしまうが… そんな俺に同情した神様が俺を転生させ、やり直すチャンスをくれた。 でも、並行世界で人々を救うつもりだった俺が転生した先は、近所に住む新婚の伊藤さんだった。

ビキニに恋した男

廣瀬純七
SF
ビキニを着たい男がビキニが似合う女性の体になる話

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

サイレント・サブマリン ―虚構の海―

来栖とむ
SF
彼女が追った真実は、国家が仕組んだ最大の嘘だった。 科学技術雑誌の記者・前田香里奈は、謎の科学者失踪事件を追っていた。 電磁推進システムの研究者・水嶋総。彼の技術は、完全無音で航行できる革命的な潜水艦を可能にする。 小与島の秘密施設、広島の地下工事、呉の巨大な格納庫—— 断片的な情報を繋ぎ合わせ、前田は確信する。 「日本政府は、秘密裏に新型潜水艦を開発している」 しかし、その真実を暴こうとする前田に、次々と圧力がかかる。 謎の男・安藤。突然現れた協力者・森川。 彼らは敵か、味方か—— そして8月の夜、前田は目撃する。 海に下ろされる巨大な「何か」を。 記者が追った真実は、国家が仕組んだ壮大な虚構だった。 疑念こそが武器となり、嘘が現実を変える—— これは、情報戦の時代に問う、現代SF政治サスペンス。 【全17話完結】

妻に不倫され間男にクビ宣告された俺、宝くじ10億円当たって防音タワマンでバ美肉VTuberデビューしたら人生爆逆転

小林一咲
ライト文芸
不倫妻に捨てられ、会社もクビ。 人生の底に落ちたアラフォー社畜・恩塚聖士は、偶然買った宝くじで“非課税10億円”を当ててしまう。 防音タワマン、最強機材、そしてバ美肉VTuber「姫宮みこと」として新たな人生が始まる。 どん底からの逆転劇は、やがて裏切った者たちの運命も巻き込んでいく――。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

処理中です...