中古一国記

安川某

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二章

第17話 戦いの足音

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「新兵は二人一組になり、古参の者一名にあたれ」

 ランドルフが太くよく通る声で命じると兵士たちが手にした木剣を身構える。

 募兵されてまもない新兵二名に対するのはランドルフ麾下として経歴の長い古参兵一名。ランドルフ軍本日の演習の仕上げはこの組み合わせでの”組み手”であった。

 ランドルフはまだぎこちない新兵たちに檄を飛ばす。

「新兵たちよ、目の前にいるのは私と共に戦場を駆けた一人前の兵士だ。まともに武器も扱えないお前たちとは違う。だが相手は一人。二人で挑めばあるいは勝てるやも知れぬ。もし勝てたならその者を一人前の兵と認めよう」

 次にランドルフは古参の兵たちに対して声をかける。

「お前たちは長年私に付き従ってきた。私はお前たちがまことのつわものであると信じている」

 額に汗を浮かべて緊張しながらも”一人前の兵士”の言葉を聞いて戦意をみなぎらせる新兵。そしてランドルフからの信頼を裏切るわけにはいかないと古参兵たちは意気込む。

「はじめ」

 ランドルフの一声と共に組み手が始まる。

 新兵たちは教えられた通り大きな声を張り上げ対峙する相手を威嚇する。そして相手の反応を確かめてから一斉に剣を振り上げ、古参兵に挑みかかる。

 それに対する古参兵の対応は概ね二通りに分かれた。

 まずは新兵の片方が繰り出す剣撃を軽く受け流し、そのままの勢いでもう片方を一撃で打ち倒す。そして驚いて立ちすくむもう一人を鮮やかに打つ。しかしこのような剣技を持つ兵は実に稀である。

 大体数の古参兵がとった戦法は極めて単純。
 新兵が放った一撃を肩や片腕などその身体で受け止め、歯を食いしばり目の前の一人に体当たりをしてふき飛ばす。そして残る一人を大音声を上げて木剣で殴り倒すというものだった。

 その単純だが覚悟のいる戦法を目の当たりにすると、新兵たちは戸惑い、次々に地面に倒されて行った。

 古参の兵たちは知っている。
 相手の獲物が木剣なのであれば頭にさえ受けなければ、大方”痛いだけで済む”ということを。
 さらに相手が訓練相手の頭を狙って剣を打ち下ろすことをしないということ。そして万が一不運によって骨折に至ったとしても、この場で新兵に敗れることよりははるかにマシであるということを彼らは冷静に計算している。

 誰かに殴られた経験すらまともにない新兵たちにはその思考ができない。
 痛みを受けるのは避けられないとしたとき、どの程度の痛みであれば自分にとって重要ではないのかの判断ができない。

 ただ痛みそのものを無条件に恐るしかなく、選択するということができない。名誉のために意地をはるにしても、守るべき名誉が彼らにはまだない。

 結果、地面に打ち倒され呻き声を上げるのは新兵ばかりとなった。

 その様子を少し遠巻きから見ていた摂政ロイは、ランドルフの側に歩み寄るとあえて尋ねた。

「もし、戦がまもなく起こるとして、彼らは戦えるだろうか」

「無理でしょう」

 ランドルフはロイの目を見ることもなくそう答えた。

「かつて半農であった者はいくらかマシですが、ほどんどはご覧になったように武器もまともに握ったこともない民。彼らがものになるのは少なく見積もってもあと半年、できるなら一年は必要です」

「そうか、無理か」

 もとよりしばらくの間は自国の戦などするつもりはなかった。当分の間ナプスブルクが専念すべきは経済の復興を目的とした内政。余分な兵力を抱えることはその邪魔ですらあった。

 しかし情勢は変わりつつある。
 内政に専念できるほどの時間的猶予がどうやらない。セラステレナとの戦争は避けられず、戦端はいつ開かれてもおかしくない。ロイは誰にも見せることの無い内心でわずかに焦りを覚えていた。

 ランドルフが現在調練している新兵の数はおよそ一千五百。
 かつて農民と兵士を兼ねていた半農の兵を呼び戻して常備軍に入れたのに加え、ボルドー山の山賊の内トンネル開通事業に加わらず兵士になることを希望した者、最も多いのは職にあぶれ耕作する土地も持たない失業者たち。新兵の多くはそうした明日食う飯があるかも怪しい者だった。

「しかし半年か。それは難しいだろうな」

「戦が起こると?」

 あるいは、起こさざるを得ないかも知れない。ロイはそう考え始めている。

「ランドルフ殿、そうなればあなたが頼みだ」

 ロイのその言葉にランドルフは少し表情を動かした。それが意外に思えたからだ。

 摂政がどのような男なのか、ランドルフは未だ測りかねている。

 冷徹であるように見えて、そうではない一面も時折姿を見せる。

 民からの陳情にも耳を傾け、前政権が半ば放置していた諸問題に対しても具体的な対策を打っている。

 市中警護の増員、下水の整備、灌漑工事、闇市を取締り物価の安定化、これらを全てこの摂政が指揮し成果を上げ始めている。

 命じられた筆頭政務官のマルクスが過労に陥りかけているのと同時に、民衆からのロイに対する評判も徐々に高まっていることをランドルフは知っていた。

「……戦にならずに済めば、それが最上です」

「もっともだ。だが、生きるためには血と犠牲が必要なのだ」

 ロイの言葉に、どこか引っかかるものをランドルフは感じた。そしてその奥底に焦りのような感情を垣間見た気がした。この焦りの感情は悪意を持つ隣国に対してか。あるいは別の何かなのか。

 ロイはふぅとため息をつくと、気分を入れ替えたというように口調を変えて言った。

「さて、私は城へ戻る。グレーナーが連れてきた客がまもなく着く頃だ」

 ロイはランドルフに背を向けると、軽く手を振ってみせた。


   ***

 ナプスブルク城の王の間にて、ロイはかつて玉座が置かれていた場所に腰をかけている。

 王の椅子はすでに売り払ってしまっていたため、彼が腰掛けるのは衛兵詰め所にあったただの椅子であった。

 それではあまりに、と筆頭政務官のマルクスが言ったが、ロイは煩わしさを顔に浮かべて摂政に相応しい豪華な椅子を用意させることを拒否した。

 ロイは自らの黒髪を指で摘み、いじり続けている。
 うっすらと隈をたたえたその目はどこを見ているでもない。それは摂政が何か考え事をしているときの様子だと周囲は気付き始めている。とするとこの摂政は、ほぼ一日中何か考え事をしているということになるが。

 王の間の扉がノックされると、帰国したグレーナーと、そしてロイが初めて見る青年がやってきた。

「摂政、ただいま戻りました。そしてこちらがすでに報告したパッシェンデール領主の子息、ジュリアン・ダルシアク卿です」

「お初にお目にかかります、ブラッドフォード様。脚の不自由な父に代わり、ご挨拶に参りました」

 しかしロイは目の前で頭を垂れるジュリアンには目をくれることもなくグレーナーへ問いかけた。

「血鳥団はどうだった、グレーナー」

「……やはりならず者、と思うところもありますが、彼らは使えます」

「そうか、ならば王都にいる間、食べ物と女について彼らが何か望むことがあれば便宜を図ってやれ」

「御意……」

 想像をしていた対応をされなかったジュリアンが呆然としていると、ロイはようやく彼の目を見て言った。

「それで、ダルシアク殿と言ったか。何の用かな」

 何の用かな。その言葉にジュリアンはさらに困惑した。

「何を、と申されましても。閣下が私をお呼びになられたのではないのですか」

「いいや」

 ロイは首を振って、目の前で狼狽する金髪の美しい青年に対して、たいそう残念そうな口ぶりで言った。

「私が望んだのは、アミアン領内で未だに抵抗を続けながらセラステレナへの復讐に燃えた気骨ある騎士たちだ。君のような汚れを知らぬ若造ではない」

 汚れを知らぬ。まるで乙女のように例えられたジュリアンは驚くと共に怒気を浮かべて抗議した。

「私とて騎士。セラステレナを討とうという気持ちは父エマニエルにも負けませぬ」

「そうかそれは良かった。では来るべき打倒セラステレナの戦いで君たちパッシェンデール勢は先陣を引き受けてくれるに違いないな?」

「それは……」

「冗談だ」

 ロイはうっすらと微笑むとそう言った。その言葉にジュリアンは再び困惑の表情を浮かべた。
 ロイは事務的な口調に変えて言う。

「王都に土地を貸す。連れてきた兵と共にそこで備えてくれ。それから、軍事についてはランドルフ殿に学ぶと良い」

「……約束は、守っていただけるのでしょうか」

「約束する。アミアン解放の暁には君たちアミアンの貴族の旧領を回復し、ナプスブルクの下で自治の権利を与える」

「承知……いたしました」

「ところで君はいくつかな? ダルシアク殿」

「二十歳になったばかりです」

「そうか、では大人だ。いくばかの汚れがあっても良いだろう。傭兵たちと共に夜を過ごせ。彼らから学ぶこともある。ランドルフと傭兵たち、その二つを見て湧き起こった物を自分の中で咀嚼しろ」

 その本気とも戯れとも判断しにくいロイの言葉にジュリアンは曖昧な返事を返すと、「行って良い」というロイのサインを読み取って退出した。

 ロイはジュリアンの姿が消えるのを待ってから、グレーナーに対して彼を見ずに言葉をかけた。

「ところでグレーナー、君は私に何か言うことがあるのではないか」

「……は、越権行為についてお詫びいたします。彼らに対し無断でセラステレナへの宣戦を約束いたしました」

「どのみち戦にはなっていた。セラステレナを攻略するならば今をおいてない。私の指示通り確かに金と兵を集めたことだし。しかし私が聞きたいのはそれではない」

「……と申されますと」

「何のために越権をしてまで戦を作った」

「はて」

「私に対する忠義などあるはずもないし、君が国家の行く末を考えているとも思えない。ああ、これは悪口ではないよ。そんな君が何故私に処断される危険まで冒して大事に手を染めたのかが、単純に気になる」

「……私はただ、兵を集めたいという閣下の意図を読み、命令を最大限に全うしたかっただけです」

「そうかな」

 ロイはにやりと笑ってグレーナーを流すような目で見つめた。そして表情を戻すと言った。

「さて、君が作った戦争を動かすとしよう。主だった者を執務室に集めてくれ」

 ロイはグレーナーに命じると、王の間に射し込む太陽の光を見やった。

 舞台が大きくなってゆく。
 しかしそれは初めから決めていたことだ。アビゲイルの笑う顔が脳裏をよぎる。

 ロイはグレーナーに聞こえぬよう、小さく舌打ちした。
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