中古一国記

安川某

文字の大きさ
32 / 47
二章

第31話 足どり

しおりを挟む
「マインツ市の人口は約二万人。ナプスブルクの国内では王都を除けばフレーゲンとボルンに続く三番目の都市。アミアン王国との交易で栄えた街で、人口の三割はアミアン人。彼らは元来夜間に戸締まりをする習慣がなく、警戒心が弱いから奴の被害にあっているかもしれない」

 グレイシアは書物で得たことを思い出しながらそう呟いた。

「娼館からろくに出たこともないのによく知ってるなあ。アミアン人ってのは人懐っこくて、騙されやすいって有名だな」

 しかし北のマインツ市に到着してからの”笑い男”に関する聞き込みは、困難を極めた。

 なにせ数年前にすでに姿を消した殺人鬼のこと。当時のことを思い出して詳細に語れる人物は稀だった。

「うちの三軒先の家が奴にやられたんだ。そりゃひどい有様で、子供の死体だけは見つからなかったそうだ。え、何か見なかったかって? いや、特に何も……」

 ようやく当時の事件を身近に体験した人物を見つけ出しても、この有様だった。

「わかっちゃいたけど、難しいもんだな」

 エッカルトが頭をぼりぼりとかきながら言う。

 マインツ市の文書館にも立ち寄って当時の事件を調べた。

 ”笑い男”は決まって深夜に現れ、マインツ市だけでも二件被害が発生している。
 誘拐された子供も足取りは未だ一つとして掴めていない。

 ここに、いる。グレイシアは行方不明の子供について書かれている一文を見て、そう思った。

 だが、他の子供たちはどこにいるのだろう。そう考えたとき、一つの考えに至った。

「この街に、娼館は?」

「あるんじゃねえか? この規模の街ならたいがいは」

「行こう」

「……つまりお前のように売られた子供がいるかも知れないってことか?」

「ありえない話じゃないわ」

 マインツ市の娼館は大小合わせて十二軒。二人はその全てを回って聞き込みを行った。

「お客さんどうも。え? 女を買うんじゃないんですか? はあ、なら帰った帰った! 何、十年以内に売られてきた子供? そんなの、世間じゃよくある話だよ。うちにだって……」

「その子に会わせてください」

「あのさあ姉ちゃん、うちも商売だからね。客じゃない相手に女の子会わせるわけにはいかないんだよ」

 こうしてエッカルトが銀貨を握りしめ、客として娼館に入り込むこととなった。

「……なんでお前ちょっと不機嫌なんだよ」

 しばらくしてエッカルトが娼館を出てくると、グレイシアに対してそう言った。

「……別に、それで何か収穫はあった?」

「ハズレだ。会った子はナプスブルク人じゃない、別の国で両親を戦で失って、敵国に捕まって売られた」

「それも悲惨な話ね……」

「だがよくある話さ。この大陸中のどこかで戦をやる。そんなのがもうずっと続いている。傭兵にとっちゃ願ったり叶ったりだが」

 グレイシアに睨まれていることに気づいて、エッカルトは口をつぐんだ。

 その後、他の娼館を巡っても望ましい結果を得られず、二人は途方に暮れ始めていた。

「……で、次はどうする」

「……」

 グレイシアは考えた。手がかりがなさすぎる。マインツ市で自分は取引をされた。”笑い男”はいくらかの間この街にいたはずなのだ。だが奴の巣ともいえる場所にたどり着かなくては。

 思い出せ。奴の特徴。なんでもいい。この状況に穴を開けられる何か。何かがあれば──。

 グレイシアはふとあることを思い出し、顔を上げた。

「……口笛」

「え?」

「奴が吹いていた口笛、それを知っている人を見つけられれば」

「どんな口笛なんだ?」

「どこかの民謡の口笛」

「だからどんなのだ」

 そう言われてグレイシアはためらった。思い出すだけでも怒りと悔しさがこみ上げてくる。そして恐怖。

 だが、今はそれに囚われるわけにはいかない。

 あれは確か、兄のライルと共に市場に行っていたときに聞いたメロディ。

 そこで物を売っていた商人の一人が口ずさんでいた。そしてその歌は……。

 グレイシアは”笑い男”がかつて口ずさんでいたあのメロディを口にした。吐き気を催す行為だった。

 それはありふれた明るく楽しげなメロディ。けれども途中から変調し、それを口笛で表現すると少し不気味な感じにもなってくる。やがて曲調は再び明るいものに戻って最後にはぶつっと途切れるように終わる。民謡にはあまりない曲調だが、この曲の題名は知らない。

 確か歌詞の意味はこうだ。

「村の子供が一人増えた、昨日は一人、今日も一人。みんな楽しく笑ってる。今日も楽しく笑ってる。でも明日は一人減る。次はあの子がいない、この子が消えた。一人ぼっちなら小麦に隠れてかくれんぼ。もういいかい、まーだだよ。見ーつけた」

 印象的な歌であったので、グレイシアは事件の前から覚えていた。

 グレイシアの口ずさむメロディが前半の終わりに差し掛かった頃、エッカルトはそれを遮って尋ねた。

「なんだか変な曲だな。作ったやつは頭がおかしいに違いない。それで、曲の題名は何ていうんだ?」

「……わからない」

「それじゃ……あ」

 エッカルトがそこで何かに気づいた。

「待て待て待て、一人いたぞ。歌が得意だっていう若い娼婦で、そんな感じに歌ってた奴を」

「それはどこの娼館で?」

「確か三軒前だ。もう一度行くか」

 二人はこうして、再び娼館を尋ねた。
 娼館の主は「一夜に二度ですか、それも同じ女」と驚愕していたが、エッカルトは銀貨を主人に握らせるとその娼婦に会った。

 娼婦はやはり誘拐されたわけではなかった。だがわかったことがあった。

 この民謡はその娼婦の出生地で作られたものだということ。すなわち、ここから西へ行った町、ハンブルク。

 二人は宿にも泊まらず、ハンブルクへと向かった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

あなたの愛はいりません

oro
恋愛
「私がそなたを愛することは無いだろう。」 初夜当日。 陛下にそう告げられた王妃、セリーヌには他に想い人がいた。

その掃除依頼、受けてやろう

竹井ゴールド
ファンタジー
冒険者パーティー「明るい未来」のリックとブラジス。この2人のコンビはアリオス王国の上層部では別の通り名で知られていた。通称「必要悪の掃除屋」。 王国に巣食った悪の組織を掃除(=始末)するからだが。 お陰で王国はその2人をかなり優遇していた。 但し、知られているのは王都での上層部だけでのこと。 2人が若い事もあり、その名は王都の上層部以外ではまだ知られていない。 なので、2人の事を知らない地方の悪の組織の下のその2人が派遣されたりすると・・・

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?

アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。 泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。 16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。 マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。 あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に… もう…我慢しなくても良いですよね? この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。 前作の登場人物達も多数登場する予定です。 マーテルリアのイラストを変更致しました。

魅了が解けた貴男から私へ

砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。 彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。 そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。 しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。 男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。 元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。 しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。 三話完結です。

なんども濡れ衣で責められるので、いい加減諦めて崖から身を投げてみた

下菊みこと
恋愛
悪役令嬢の最後の抵抗は吉と出るか凶と出るか。 ご都合主義のハッピーエンドのSSです。 でも周りは全くハッピーじゃないです。 小説家になろう様でも投稿しています。

処理中です...