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二章
第31話 足どり
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「マインツ市の人口は約二万人。ナプスブルクの国内では王都を除けばフレーゲンとボルンに続く三番目の都市。アミアン王国との交易で栄えた街で、人口の三割はアミアン人。彼らは元来夜間に戸締まりをする習慣がなく、警戒心が弱いから奴の被害にあっているかもしれない」
グレイシアは書物で得たことを思い出しながらそう呟いた。
「娼館からろくに出たこともないのによく知ってるなあ。アミアン人ってのは人懐っこくて、騙されやすいって有名だな」
しかし北のマインツ市に到着してからの”笑い男”に関する聞き込みは、困難を極めた。
なにせ数年前にすでに姿を消した殺人鬼のこと。当時のことを思い出して詳細に語れる人物は稀だった。
「うちの三軒先の家が奴にやられたんだ。そりゃひどい有様で、子供の死体だけは見つからなかったそうだ。え、何か見なかったかって? いや、特に何も……」
ようやく当時の事件を身近に体験した人物を見つけ出しても、この有様だった。
「わかっちゃいたけど、難しいもんだな」
エッカルトが頭をぼりぼりとかきながら言う。
マインツ市の文書館にも立ち寄って当時の事件を調べた。
”笑い男”は決まって深夜に現れ、マインツ市だけでも二件被害が発生している。
誘拐された子供も足取りは未だ一つとして掴めていない。
ここに、いる。グレイシアは行方不明の子供について書かれている一文を見て、そう思った。
だが、他の子供たちはどこにいるのだろう。そう考えたとき、一つの考えに至った。
「この街に、娼館は?」
「あるんじゃねえか? この規模の街ならたいがいは」
「行こう」
「……つまりお前のように売られた子供がいるかも知れないってことか?」
「ありえない話じゃないわ」
マインツ市の娼館は大小合わせて十二軒。二人はその全てを回って聞き込みを行った。
「お客さんどうも。え? 女を買うんじゃないんですか? はあ、なら帰った帰った! 何、十年以内に売られてきた子供? そんなの、世間じゃよくある話だよ。うちにだって……」
「その子に会わせてください」
「あのさあ姉ちゃん、うちも商売だからね。客じゃない相手に女の子会わせるわけにはいかないんだよ」
こうしてエッカルトが銀貨を握りしめ、客として娼館に入り込むこととなった。
「……なんでお前ちょっと不機嫌なんだよ」
しばらくしてエッカルトが娼館を出てくると、グレイシアに対してそう言った。
「……別に、それで何か収穫はあった?」
「ハズレだ。会った子はナプスブルク人じゃない、別の国で両親を戦で失って、敵国に捕まって売られた」
「それも悲惨な話ね……」
「だがよくある話さ。この大陸中のどこかで戦をやる。そんなのがもうずっと続いている。傭兵にとっちゃ願ったり叶ったりだが」
グレイシアに睨まれていることに気づいて、エッカルトは口をつぐんだ。
その後、他の娼館を巡っても望ましい結果を得られず、二人は途方に暮れ始めていた。
「……で、次はどうする」
「……」
グレイシアは考えた。手がかりがなさすぎる。マインツ市で自分は取引をされた。”笑い男”はいくらかの間この街にいたはずなのだ。だが奴の巣ともいえる場所にたどり着かなくては。
思い出せ。奴の特徴。なんでもいい。この状況に穴を開けられる何か。何かがあれば──。
グレイシアはふとあることを思い出し、顔を上げた。
「……口笛」
「え?」
「奴が吹いていた口笛、それを知っている人を見つけられれば」
「どんな口笛なんだ?」
「どこかの民謡の口笛」
「だからどんなのだ」
そう言われてグレイシアはためらった。思い出すだけでも怒りと悔しさがこみ上げてくる。そして恐怖。
だが、今はそれに囚われるわけにはいかない。
あれは確か、兄のライルと共に市場に行っていたときに聞いたメロディ。
そこで物を売っていた商人の一人が口ずさんでいた。そしてその歌は……。
グレイシアは”笑い男”がかつて口ずさんでいたあのメロディを口にした。吐き気を催す行為だった。
それはありふれた明るく楽しげなメロディ。けれども途中から変調し、それを口笛で表現すると少し不気味な感じにもなってくる。やがて曲調は再び明るいものに戻って最後にはぶつっと途切れるように終わる。民謡にはあまりない曲調だが、この曲の題名は知らない。
確か歌詞の意味はこうだ。
「村の子供が一人増えた、昨日は一人、今日も一人。みんな楽しく笑ってる。今日も楽しく笑ってる。でも明日は一人減る。次はあの子がいない、この子が消えた。一人ぼっちなら小麦に隠れてかくれんぼ。もういいかい、まーだだよ。見ーつけた」
印象的な歌であったので、グレイシアは事件の前から覚えていた。
グレイシアの口ずさむメロディが前半の終わりに差し掛かった頃、エッカルトはそれを遮って尋ねた。
「なんだか変な曲だな。作ったやつは頭がおかしいに違いない。それで、曲の題名は何ていうんだ?」
「……わからない」
「それじゃ……あ」
エッカルトがそこで何かに気づいた。
「待て待て待て、一人いたぞ。歌が得意だっていう若い娼婦で、そんな感じに歌ってた奴を」
「それはどこの娼館で?」
「確か三軒前だ。もう一度行くか」
二人はこうして、再び娼館を尋ねた。
娼館の主は「一夜に二度ですか、それも同じ女」と驚愕していたが、エッカルトは銀貨を主人に握らせるとその娼婦に会った。
娼婦はやはり誘拐されたわけではなかった。だがわかったことがあった。
この民謡はその娼婦の出生地で作られたものだということ。すなわち、ここから西へ行った町、ハンブルク。
二人は宿にも泊まらず、ハンブルクへと向かった。
グレイシアは書物で得たことを思い出しながらそう呟いた。
「娼館からろくに出たこともないのによく知ってるなあ。アミアン人ってのは人懐っこくて、騙されやすいって有名だな」
しかし北のマインツ市に到着してからの”笑い男”に関する聞き込みは、困難を極めた。
なにせ数年前にすでに姿を消した殺人鬼のこと。当時のことを思い出して詳細に語れる人物は稀だった。
「うちの三軒先の家が奴にやられたんだ。そりゃひどい有様で、子供の死体だけは見つからなかったそうだ。え、何か見なかったかって? いや、特に何も……」
ようやく当時の事件を身近に体験した人物を見つけ出しても、この有様だった。
「わかっちゃいたけど、難しいもんだな」
エッカルトが頭をぼりぼりとかきながら言う。
マインツ市の文書館にも立ち寄って当時の事件を調べた。
”笑い男”は決まって深夜に現れ、マインツ市だけでも二件被害が発生している。
誘拐された子供も足取りは未だ一つとして掴めていない。
ここに、いる。グレイシアは行方不明の子供について書かれている一文を見て、そう思った。
だが、他の子供たちはどこにいるのだろう。そう考えたとき、一つの考えに至った。
「この街に、娼館は?」
「あるんじゃねえか? この規模の街ならたいがいは」
「行こう」
「……つまりお前のように売られた子供がいるかも知れないってことか?」
「ありえない話じゃないわ」
マインツ市の娼館は大小合わせて十二軒。二人はその全てを回って聞き込みを行った。
「お客さんどうも。え? 女を買うんじゃないんですか? はあ、なら帰った帰った! 何、十年以内に売られてきた子供? そんなの、世間じゃよくある話だよ。うちにだって……」
「その子に会わせてください」
「あのさあ姉ちゃん、うちも商売だからね。客じゃない相手に女の子会わせるわけにはいかないんだよ」
こうしてエッカルトが銀貨を握りしめ、客として娼館に入り込むこととなった。
「……なんでお前ちょっと不機嫌なんだよ」
しばらくしてエッカルトが娼館を出てくると、グレイシアに対してそう言った。
「……別に、それで何か収穫はあった?」
「ハズレだ。会った子はナプスブルク人じゃない、別の国で両親を戦で失って、敵国に捕まって売られた」
「それも悲惨な話ね……」
「だがよくある話さ。この大陸中のどこかで戦をやる。そんなのがもうずっと続いている。傭兵にとっちゃ願ったり叶ったりだが」
グレイシアに睨まれていることに気づいて、エッカルトは口をつぐんだ。
その後、他の娼館を巡っても望ましい結果を得られず、二人は途方に暮れ始めていた。
「……で、次はどうする」
「……」
グレイシアは考えた。手がかりがなさすぎる。マインツ市で自分は取引をされた。”笑い男”はいくらかの間この街にいたはずなのだ。だが奴の巣ともいえる場所にたどり着かなくては。
思い出せ。奴の特徴。なんでもいい。この状況に穴を開けられる何か。何かがあれば──。
グレイシアはふとあることを思い出し、顔を上げた。
「……口笛」
「え?」
「奴が吹いていた口笛、それを知っている人を見つけられれば」
「どんな口笛なんだ?」
「どこかの民謡の口笛」
「だからどんなのだ」
そう言われてグレイシアはためらった。思い出すだけでも怒りと悔しさがこみ上げてくる。そして恐怖。
だが、今はそれに囚われるわけにはいかない。
あれは確か、兄のライルと共に市場に行っていたときに聞いたメロディ。
そこで物を売っていた商人の一人が口ずさんでいた。そしてその歌は……。
グレイシアは”笑い男”がかつて口ずさんでいたあのメロディを口にした。吐き気を催す行為だった。
それはありふれた明るく楽しげなメロディ。けれども途中から変調し、それを口笛で表現すると少し不気味な感じにもなってくる。やがて曲調は再び明るいものに戻って最後にはぶつっと途切れるように終わる。民謡にはあまりない曲調だが、この曲の題名は知らない。
確か歌詞の意味はこうだ。
「村の子供が一人増えた、昨日は一人、今日も一人。みんな楽しく笑ってる。今日も楽しく笑ってる。でも明日は一人減る。次はあの子がいない、この子が消えた。一人ぼっちなら小麦に隠れてかくれんぼ。もういいかい、まーだだよ。見ーつけた」
印象的な歌であったので、グレイシアは事件の前から覚えていた。
グレイシアの口ずさむメロディが前半の終わりに差し掛かった頃、エッカルトはそれを遮って尋ねた。
「なんだか変な曲だな。作ったやつは頭がおかしいに違いない。それで、曲の題名は何ていうんだ?」
「……わからない」
「それじゃ……あ」
エッカルトがそこで何かに気づいた。
「待て待て待て、一人いたぞ。歌が得意だっていう若い娼婦で、そんな感じに歌ってた奴を」
「それはどこの娼館で?」
「確か三軒前だ。もう一度行くか」
二人はこうして、再び娼館を尋ねた。
娼館の主は「一夜に二度ですか、それも同じ女」と驚愕していたが、エッカルトは銀貨を主人に握らせるとその娼婦に会った。
娼婦はやはり誘拐されたわけではなかった。だがわかったことがあった。
この民謡はその娼婦の出生地で作られたものだということ。すなわち、ここから西へ行った町、ハンブルク。
二人は宿にも泊まらず、ハンブルクへと向かった。
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