中古一国記

安川某

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二章

第37話 ウルフレッド・ゴトランド

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 ロッドミンスター城。この王国の本城とその城下は大陸の他の国の都に比べても機能的な造りになっている。

 元々は一地方の豪族に過ぎなかったウルフレッドの一族の始祖が、小さな港町を拠点に南方の大陸との交易を重ねた結果、力を得てこの地方の統一に乗り出し、かの地に城を築いたことで王国は勃興した。

 そういった商いに縁が深い事情があって、大陸の端に位置するにも関わらずロッドミンスター城には多くの商人が集まるようになり、それらを受け入れる形で施政がなされ現在の形に至った。

 その城の王の間についても同様で、極端に華美な装飾などはなされず質素といっても良い様相になっている。

 財は見せつけてはならない。それは嫉妬を呼ぶ。これがロッドミンスター王国の始祖であるウィリアム・ゴトランドが遺した教えであった。

 そうした王の間でウルフレッドは腹心であるジドゥーバル、エリクセンと共に、目の前で平伏する一人の男の話に耳を傾けていた。

 先程から妙な臭いが王の間に漂ってきており、一同はそれも心の中で気にしている。

 ウルフレッドに跪く小太りで頭の禿げ上がった中年の男は、ナプスブルクからやってくるなり、耳を疑うような提案をウルフレッドに持ちかけた。

 ウルフレッドは眉間に皺を寄せながら彼の話を聞き終えると、言った。

「……つまり、ナプスブルク王はあの摂政を裏切るってことか?」

「いいえ、裏切るも何も、国王陛下こそ我が国の主です。王陛下は国を正しい形に戻そうとお考えなのです」

「そのためにビゼンフルトを俺たちによこすってか。にわかには信じられんな、そんな話は」

「だが大将、これはうまい話なんじゃねえか?」

 熊のような大男、ジドゥーバルが口を挟んだ。その体格はランドルフをも上回るであろう巨漢である。

 そのジドゥーバルの言葉に乗るようにしてエリクセンも言った。

「ビゼンフルトはナプスブルクとの因縁の土地。得ることができれば士族と民は陛下に心服するでしょうな」

 ウルフレッドはマシューデルとその一派を討ち国内の統一を果たした今、正式にこの国の王を称していた。

 しかし”ロッドミンスターの若獅子”と呼ばれたマシューデルを信奉するものは未だに多く、マシューデルの幼い息子と妹はついにウルフレッドの捜索を逃れ南の大陸へ逃走している。

 また民衆の指示も得られているとは言い難い状況だった。民の家を宿敵であるナプスブルクの白鬼に焼かせた男を王に戴いて良いものか。そう口にする者もいた。

 だからこそウルフレッドには実績が必要だった。未だに自身を認めようとしない士族と民を納得させられるだけの功績。それを得ない限り王国は盤石とはいえない。

 しかし軍勢を出し摂政の背後を襲うとなれば、当然ながら全てを失う危険も孕む。

 それに……と心の中で思い、ウルフレッドはため息をついた。そうなると哀れな男が一人いるからだ。

「……ホランドはどうなる。俺たちが軍を動かせば、あいつは敵のど真ん中ということになるぞ」

 それに対してのジドゥーバルとエリクセンの反応はなんとも薄情なものだった。

「まああいつのことだから、わりとなんとかするんじゃねえか?」

「その通り。それに死して王国の礎となるのであればあやつも本望でしょう」

 その言葉にウルフレッドは顔を大げさにしかめてみせる。

「薄情な奴らだな。あいつが知ったら泣くぞ」

 そう言ったウルフレッドに、エリクセンは急に真剣な表情に変わって、答えた。

「……大陸の南の端にいる我らはナプスブルクに蓋をされる形。このままあの摂政が力を増せば、我らは抗し得なくなることはおわかりでしょう」

「……それはわかってる。だがな」

 言いかけたウルフレッドをジドゥーバルが睨むような顔で制止する。

「俺たちは子供のころからずっと一緒だった。狭い王宮の中で湿った奴らが悪知恵を巡らしている中でも、俺たち四人は仲間として生き抜くと誓った。だが大将、それでもあんたは特別なんだ。あんたの生命が危険に晒されるというのなら、俺はこの生命を捨てる」

「私も同様です。そしてそれはホランドも同じ。我らは仲間であり、臣下。己を切り捨ててでも主と国家を優先すべき時があるのです」

「……」

 沈黙するウルフレッドにエリクセンは冷ややかな眼差しで言った。

「逆に、国家のために臣下を切り捨てられないような男は王の資格がありません。そのような甘さで生き残れるほど容易い世界ではなく、信を寄せた者たちの夢をないがしろにする愚行といえる。あなたがそのような男ならば王になどならず、どこかの外国でひっそりと生きれば良かったのです。さすれば我らは良いお茶飲み友達にでもなったことでしょう」

 その臣下としての礼節を欠いた慇懃な物言いを聞いていたマルクスは、己が蚊帳の外になりつつあるにも関わらず咄嗟に身を縮めてウルフレッドの表情を伺った。

 ウルフレッドの表情は固く、その心は見えない。

 場を沈黙が支配する。

 マルクスは考えた。これはもしや、今こそが我が秘策を炸裂させる好機なのでは?

「ウルフレッド様」

 マルクスがその心とは裏腹に上ずった声で呼びかける。

「あなた様が迷われるのは未だ我が国への信を疑うからでありましょう。ここに誠意の証を持参いたしました。どうかお納めいただきたく」

 そう言うとマルクスは王の間の外へ向かって「おおい」と大声を放った。

 やや間があって、おそらく衛兵のものと思われる声が聞こえた。「なんだこれは」「馬鹿者、はやく追い出せ」「うわ、臭え」。

 そして王の間の扉の隙間から流れ込む凄まじい悪臭。先程から鼻を触っていた臭いの正体。

 さらにはなにやら獣の鳴き声。それも多くの。

 マルクスは再び頭を深く下げると、その目を妖しく光らせてこう言った。

「ナプスブルク名産の油豚です。菜種油、鳥油、牛脂、毎日ありとあらゆる油を食わせて丹精に育てた自慢の豚を百頭。その身はまるで油そのものでまさにとろけるような味わい。精力もつくともっぱらの評判です」

 ウルフレッドはそれに返事をしない。

 やがて深く考え込んでいたウルフレッドは、静かに顔を上げた。

 その目つきにはこの男本来の鋭さが宿り、彼は落ち着いた声色でマルクスに言葉を投げた。

「俺はホランドを切り捨てない」

「なんと」

 そう言ったのはジドゥーバルとエリクセンだった。ウルフレッドは二人の方を見て言った。

「ジドゥーバル。お前はさっきこう言ったな。俺たちは四人で生きる。だが生命には順序があり、そのためにお前たちは死を厭わない。それが俺たちの誓いだと」

「あ、ああ」

「勝手に決めるな。俺の誓いはこうだ。俺たちは生き抜くためになんだってやる。そして誰一人切り捨てない。甘えだというなら勝手に言ってろ。俺はその甘さを抱えたまま王として生きる。そしてあらゆる障害をなんとかするのがお前ら臣下の役目だ」

 「それに」、とウルフレッドは続けた。

「俺に外国でひっそり暮らせなどという不遜なことを言って死罪にならないのも俺の甘さのおかげだ。わかったか、ジドゥーバル」

 それ言ったの俺じゃねえよ……ジドゥーバルは驚愕した。

 二人は唖然と自らの王の顔を見つめる。
 なんだその無茶苦茶は。これまでの自分たちの言葉がまるで無意味じゃないか。

「というわけで、ご使者殿」

 ウルフレッドは再びマルクスを見て、とても優しげな声で言った。

「我らの腹は決まった。ビゼンフルトと豚は、辞退申し上げる」

「……後悔なさいますなよ」

「さあな」

 マルクスは歯を強く噛みしめると、恨めしそうな顔をした。
 そいて一礼すると、逃げるように去っていった。

 その姿が見えなくなり、豚の鳴き声と悪臭も和らぐと、ウルフレッドは再び口を開いた。

「まったく、お前らも意地が悪いな。俺を試すとは」

 それを聞いたエリクセンは真顔で答える。

「しかし本心でした。そして陛下がどちらの選択を選んだとしても、我らが行うことに変わりはありません」

「だがまあ、そういうことだ。エリクセン、ジドゥーバル、これからも頼むぞ」

 ウルフレッドはそっと二人から目線を外して、やや気恥ずかしそうにそう言った。

 エリクセンとジドゥーバルはお互いに顔を向けあった。そして静かに微笑む。その笑みはまるで出来の悪い子供に対して年長者が見せるような微笑み。あるいはその子供が自らしでかした悪戯を、しぶしぶ謝ってきたのを見たときのような穏やかな笑み。

 そして二人は確認する。
 これが、この御方が”ロッドミンスターの若獅子”に勝る唯一の美点。故に我らは従うのだ。

 二人が静かに頷いたのを確かめてからウルフレッドは王の間の床に目を落として、考えた。

 ビゼンフルトか。確かに惜しい。
 だが俺は己の欲望に忠実に生きる。それが兄とは違う俺の性質。そしてただ生き残ることだけを考えているのでは満たされぬ思いがある。それがこの心に沸き起こっている。

 だからビゼンフルトを望むなどしない。

 そう、奪るなら全部だ。

「陛下」

 自分を呼ぶ声に気づいてウルフレッドは我に返った。
 見ると衛兵の一人が目の前で跪いていた。

「陛下、ナプスブルクの使者がまた参りました」

「くどいな、追い返せ」

「それが……グレーナー・グラウンという名の文官でして」

「なに」

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