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第二章:現実という名の迷宮
012話『職場に戻った帰還者』
翌朝。
遅めに目覚めた僕は、湯気の立つマグを片手に、リビングのニュースをぼんやり眺めていた。
『——全国各地で、新たな“黒いゲート”が確認されました』
山間部、港町、都市部、空港……そして住宅街の真ん中にも。
(……増えてるな)
背後から、ふわりと気配が近づく。
「で、秀人。あなたは……これからどうするつもりなの?」
落ち着いた声だった。
「まだ決めきれてないよ。でも……ダンジョンには、きっとまた行くと思う」
「やっぱりね」
コユキはソファの背に前足をのせ、窓の外の朝空を眺める。
「あの緊張と“生の感覚”は、こっちの世界じゃ得られないものよ。あなたが惹かれるの、少し分かるわ」
僕は小さく息を吐いた。
「ゲームよりも“生きてる感覚”が強かった。それに……ワクワクしたんだ」
「なら、次はもう少し準備してからね。行き当たりばったりは美学じゃないわよ」
その言い方が妙に頼もしくて、僕は思わず笑ってしまった。
昼過ぎ。
カーテン越しに落ちる春光がリビングを柔らかく照らしていた。
僕はソファに腰を下ろし、静かな部屋でスマホの通販アプリを開く。
ダンジョンでボロボロになった革靴が、玄関で無残に沈んでいる。
「……まず、靴だな」
バトル用の金属バット、作業ナイフ、丈夫なリュック。
それに、動きやすいスニーカー——ダンジョン用と考えれば、これも必須だ。
(仕事でもそうだけど……一度痛い目を見たら、準備でリスクを潰すのが基本だ)
そこにコユキの声がのぞき込む。
「何してるの?」
「装備の買い足し。次は……行き当たりばったりにしたくなくて」
「ふふっ、冒険者っぽくなってきたわね」
軽口を返しつつ、僕は“注文を確定”した。
外はいつもと同じ日曜の穏やかさ。
それなのに、心だけが不思議と騒ついていた。
(街中では何も起きてないけど……世界は変わり始めてる)
深呼吸をひとつ置き、僕は立ち上がってカーテンを少し開く。
春の光が差し込む。
――そして、時はゆっくり夕方へ移ろっていった。
夕暮れの色がカーテンににじむ頃、僕はコーヒーを口にしながら、ふと呟いた。
「……明日、会社行こうと思ってる」
「えっ? このタイミングで?」
ソファの背に身を預けていたコユキが、耳をぴくりと立てた。
「仕事が恋しいとかじゃないよ。最寄り駅が、新大阪駅なんだ。……あの場所がどうなってるのか、確かめておきたい」
「なるほど。情報収集ね。さすが“社会人属性”持ち」
「習性みたいなもんだよ」
そう言うと、コユキは「ま、悪くない判断ね」と満足そうに頷いた。
*
そして、月曜日の朝。
「うぅ……だるい……」
目覚ましの音に叩き起こされ、半分寝ぼけたままパンとコーヒーを準備。
出勤準備をしながら、コユキに話しかけた。
「今日は留守番よろしく。家でのんびりしといてくれ」
「まっかせなさーい。ソファと私、相性抜群よ」
軽く笑いを交わして、家を出る。
革靴は、草原戦の痕跡を残したまま。かかとがやや潰れている。
(これでも社会人続けてるんだから、頑張ってるよな……)
誰も褒めてくれないので、心の中で自分を労う。
電車はやけに静かだった。
ほとんどの乗客がスマホでゲート情報を追っている。気がする。
新大阪駅に着いた瞬間、空気が変わった。
駅構内には警察と自衛隊が配置され、緊張だけが立ち込めている。
——そして、歩いているとき。
背中に視線を感じた。
(……見られている)
自然を装って歩き、角を曲がったその先で——
彼女がいた。
あの、官僚の女性。
スーツ姿で、周囲を観察するふりをしながら、確実にこちらを意識している。
軽く会釈すると、彼女もわずかに頷いた。
言葉は交わさなかったが、その沈黙に含まれた温度が、妙に記憶に残った。
職場に着くと、表面上はいつも通りだった。
「時任さん、おはようございます」
「……おはよう」
同僚からの挨拶に、自然な笑みを浮かべる。
だが、話題はどうしてもゲートに寄っていく。
「新大阪のすぐ近くでしたよね……?」
「まあ。でも今は仕事優先。納期が動くのが一番怖いし」
淡々と答えつつ、僕は心の奥で別のことを考えていた。
(状況が不安定なときこそ、“やるべきこと”をやるのが一番落ち着く……か)
社会人になって得た学びは、案外こういう時に効く。
混乱しているほど、シンプルな行動が心を安定させてくれる。
——帰り道。
もう一度、封鎖されたゲート周囲を見たが、昨日より厳重で近づけなかった。
(……今は、時期じゃない)
そう判断して踵を返す。
だがまた、背中に“視線”が刺さった。
振り返らなかったが、確信はあった。
——僕は“見られている”。
家に戻ると、宅配ボックスに荷物が届いていた。
開けると、武器に使えそうな金属バット、ナイフ、新しい靴とリュック。
(物騒だが……ありがたい)
「ただいま。……お前、相変わらずくつろいでるな」
「おかえり」
ソファで丸くなっていたコユキが、尻尾をゆるく揺らす。
(……家にモンスターがいる生活って、慣れるんだな)
荷物を整理しながら、僕は自然に口を開いた。
「……もう一度ダンジョンに行きたいと思ってる」
「そう来ると思ったわ」
コユキは前足で口元を隠し、少しだけ考えるような仕草をする。
「新大阪は封鎖されてる。でも、政府がまだ把握していないゲートがあるはずよ」
「未発見のゲート……」
「導きは“一人に一ヶ所”だけ。でも、“どのゲートに入るか”は自由。つまり——探せば、まだ封鎖されていないゲートは残ってるってこと」
その言葉に、胸の奥で何かがひとつ灯った。
命を懸けるほどの緊張。
すれ違う世界の歪み。
そして、確かに感じた自分自身の“前進”。
「……焦らず準備するよ」
「ええ。その方が、勝率は上がるもの」
彼女はそれ以上は言わなかった。
その横顔が妙に頼もしくて、僕は気づかれないように息を吸った。
火は、まだ消えていない。
むしろ——前よりも強くなっている。
遅めに目覚めた僕は、湯気の立つマグを片手に、リビングのニュースをぼんやり眺めていた。
『——全国各地で、新たな“黒いゲート”が確認されました』
山間部、港町、都市部、空港……そして住宅街の真ん中にも。
(……増えてるな)
背後から、ふわりと気配が近づく。
「で、秀人。あなたは……これからどうするつもりなの?」
落ち着いた声だった。
「まだ決めきれてないよ。でも……ダンジョンには、きっとまた行くと思う」
「やっぱりね」
コユキはソファの背に前足をのせ、窓の外の朝空を眺める。
「あの緊張と“生の感覚”は、こっちの世界じゃ得られないものよ。あなたが惹かれるの、少し分かるわ」
僕は小さく息を吐いた。
「ゲームよりも“生きてる感覚”が強かった。それに……ワクワクしたんだ」
「なら、次はもう少し準備してからね。行き当たりばったりは美学じゃないわよ」
その言い方が妙に頼もしくて、僕は思わず笑ってしまった。
昼過ぎ。
カーテン越しに落ちる春光がリビングを柔らかく照らしていた。
僕はソファに腰を下ろし、静かな部屋でスマホの通販アプリを開く。
ダンジョンでボロボロになった革靴が、玄関で無残に沈んでいる。
「……まず、靴だな」
バトル用の金属バット、作業ナイフ、丈夫なリュック。
それに、動きやすいスニーカー——ダンジョン用と考えれば、これも必須だ。
(仕事でもそうだけど……一度痛い目を見たら、準備でリスクを潰すのが基本だ)
そこにコユキの声がのぞき込む。
「何してるの?」
「装備の買い足し。次は……行き当たりばったりにしたくなくて」
「ふふっ、冒険者っぽくなってきたわね」
軽口を返しつつ、僕は“注文を確定”した。
外はいつもと同じ日曜の穏やかさ。
それなのに、心だけが不思議と騒ついていた。
(街中では何も起きてないけど……世界は変わり始めてる)
深呼吸をひとつ置き、僕は立ち上がってカーテンを少し開く。
春の光が差し込む。
――そして、時はゆっくり夕方へ移ろっていった。
夕暮れの色がカーテンににじむ頃、僕はコーヒーを口にしながら、ふと呟いた。
「……明日、会社行こうと思ってる」
「えっ? このタイミングで?」
ソファの背に身を預けていたコユキが、耳をぴくりと立てた。
「仕事が恋しいとかじゃないよ。最寄り駅が、新大阪駅なんだ。……あの場所がどうなってるのか、確かめておきたい」
「なるほど。情報収集ね。さすが“社会人属性”持ち」
「習性みたいなもんだよ」
そう言うと、コユキは「ま、悪くない判断ね」と満足そうに頷いた。
*
そして、月曜日の朝。
「うぅ……だるい……」
目覚ましの音に叩き起こされ、半分寝ぼけたままパンとコーヒーを準備。
出勤準備をしながら、コユキに話しかけた。
「今日は留守番よろしく。家でのんびりしといてくれ」
「まっかせなさーい。ソファと私、相性抜群よ」
軽く笑いを交わして、家を出る。
革靴は、草原戦の痕跡を残したまま。かかとがやや潰れている。
(これでも社会人続けてるんだから、頑張ってるよな……)
誰も褒めてくれないので、心の中で自分を労う。
電車はやけに静かだった。
ほとんどの乗客がスマホでゲート情報を追っている。気がする。
新大阪駅に着いた瞬間、空気が変わった。
駅構内には警察と自衛隊が配置され、緊張だけが立ち込めている。
——そして、歩いているとき。
背中に視線を感じた。
(……見られている)
自然を装って歩き、角を曲がったその先で——
彼女がいた。
あの、官僚の女性。
スーツ姿で、周囲を観察するふりをしながら、確実にこちらを意識している。
軽く会釈すると、彼女もわずかに頷いた。
言葉は交わさなかったが、その沈黙に含まれた温度が、妙に記憶に残った。
職場に着くと、表面上はいつも通りだった。
「時任さん、おはようございます」
「……おはよう」
同僚からの挨拶に、自然な笑みを浮かべる。
だが、話題はどうしてもゲートに寄っていく。
「新大阪のすぐ近くでしたよね……?」
「まあ。でも今は仕事優先。納期が動くのが一番怖いし」
淡々と答えつつ、僕は心の奥で別のことを考えていた。
(状況が不安定なときこそ、“やるべきこと”をやるのが一番落ち着く……か)
社会人になって得た学びは、案外こういう時に効く。
混乱しているほど、シンプルな行動が心を安定させてくれる。
——帰り道。
もう一度、封鎖されたゲート周囲を見たが、昨日より厳重で近づけなかった。
(……今は、時期じゃない)
そう判断して踵を返す。
だがまた、背中に“視線”が刺さった。
振り返らなかったが、確信はあった。
——僕は“見られている”。
家に戻ると、宅配ボックスに荷物が届いていた。
開けると、武器に使えそうな金属バット、ナイフ、新しい靴とリュック。
(物騒だが……ありがたい)
「ただいま。……お前、相変わらずくつろいでるな」
「おかえり」
ソファで丸くなっていたコユキが、尻尾をゆるく揺らす。
(……家にモンスターがいる生活って、慣れるんだな)
荷物を整理しながら、僕は自然に口を開いた。
「……もう一度ダンジョンに行きたいと思ってる」
「そう来ると思ったわ」
コユキは前足で口元を隠し、少しだけ考えるような仕草をする。
「新大阪は封鎖されてる。でも、政府がまだ把握していないゲートがあるはずよ」
「未発見のゲート……」
「導きは“一人に一ヶ所”だけ。でも、“どのゲートに入るか”は自由。つまり——探せば、まだ封鎖されていないゲートは残ってるってこと」
その言葉に、胸の奥で何かがひとつ灯った。
命を懸けるほどの緊張。
すれ違う世界の歪み。
そして、確かに感じた自分自身の“前進”。
「……焦らず準備するよ」
「ええ。その方が、勝率は上がるもの」
彼女はそれ以上は言わなかった。
その横顔が妙に頼もしくて、僕は気づかれないように息を吸った。
火は、まだ消えていない。
むしろ——前よりも強くなっている。
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