晩年こそ本番。42歳会社員、喋る猫と現代ダンジョン攻略── やり直しじゃない。ここからが、僕の本番だ

七乃白 志優

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第二章:現実という名の迷宮

017話『小さな仲間たちとレベリング』

「……ふぁぁぁ……」

朝、俺はのびをしながらベッドから這い出た。

(……昨日、濃すぎたよな)

死の体験はトラウマレベルである......
そして、ディアの反則的な可愛さ......

気持ちを切り替えるみたいに、息を一つ吐いた。

「さて……今日も仕事だ」

ベッドから起き上がり、顔を洗ってリビングへ向かう。
机には昨夜にセットしたノートPCと資料が整然と並んでいた。

“いつもの日常”。
でも、そこにはもう——非日常の仲間がいる。

「おはよ、秀人」

ソファで丸くなっていたコユキが、軽く尻尾を揺らす。

「おはよう。今日から頼みたいことがある」

差し出したのはタブレット。

「ゲート関連の情報を集めてほしい。公式発表、SNS、掲示板……ざっとでいい。パターンが見えたら共有して」

「了解。任されたわ」

前足で器用にスワイプし始めるコユキ。
こうして“仕事を振れる相棒”がいるの、地味にありがたい。

(……おい、最初の検索“睡眠 時間 猫 最適”ってなんだ)

「統計よ、統計。データは大事でしょ?」

「仕事前に猫の好奇心出すのやめてくれ」

コユキは知らんぷりをした。

午前の会議をひとつ終え、コーヒーを片手に小さく伸びをしたとき——

ぽふっ。
何の前触れもなく、ブレスレットの上に粒子が集まり、ミニチュアのディアが姿を現した。

「じゃーんっ。朝の人間界、見学に来たわ!」

「いや、出てくるの急すぎない?」

「だって暇なんだもの。あなたたちだけ楽しそうでしょ?」

羽をぱたぱたさせながら、テレビのリモコンを持って試したり、ソファの背もたれに座ったり。
もし誰かに見られたら説明不能だが、見ていて笑えてくる。

(……なんか、こういう日常も悪くないな)

午前の勤務時間が過ぎ、在宅のタスクを終える。
午後半休の申請も問題なく通っている。

「ふぅ……終わった」

ノートPCを閉じて立ち上がると、急にお腹が鳴った。

キッチンに向かい、冷凍パスタを電子レンジに放り込む。
こういう日に限って料理する気力が湧かない。

温めている間にソファを見ると、コユキが尻尾を揺らしながら言う。

「ご飯? 私も食べる」

「はいはい。お昼は手抜きだぞ?」

「手抜きでも、用意してくれるだけで十分よ」

ツンデレの破壊力、高い。

「お昼、そろそろ?」

ふわりと、ミニディアがテーブルの上に浮かぶ。

「一緒に食べる?」
そう声をかけると――

「……残念だけど、“分体”の私は食べられないの。消化機能もないのよ。だから、雰囲気だけ楽しむわ」

ミニディアは空のティーカップを両手で持ち上げながら、しょんぼりした顔をする。

「じゃあ、今度は本体のディアとちゃんと一緒に食べるよ」

そう言うと、ミニディアの顔がぱぁっと明るくなった。

「うんっ! それ、すごく嬉しい!」

あれだけ規格外の力を持ってるのに、中身は驚くほど可愛い。

「じゃ、食べよっか。……いただきます」

「いただきます」
「雰囲気だけど、私も“いただきます”」

三者三様にランチをとり始める。
コユキは夢中で食べ、ミニディアは空のティーカップを使って“参加”する。

(こういうの、悪くないな)

昼食を片付けたタイミングで、コユキがタブレットを閉じてこちらを見た。

「じゃ、午後からはレベル上げでしょ?」

「うん。準備しよう」

パックに食料、水、応急セット、チョコレートとシュークリーム、そしてナイフと金属バットを詰め直す。

すると、ミニディアがふわっと浮かんだ。

「見ててね。午前中に、ちょっと練習してたの」

「練習?」

「コユキを“影の中”に沈めるやつよ」

その隣では、コユキが複雑な顔をしている。

「いや……急に影に沈められると、さすがに怖いのよ」

「でも大成功だったでしょ?意識ははっきりしてたし」

そう言ってディアが胸を張る。

どうやら、午前の勤務中、僕に黙って何度か試していたらしい。

(……こういう“先回りの準備”ができる人?って、仕事でも強いんだよな)

必要になってから慌てるんじゃなく、必要になりそうな瞬間を先に見越して動く。
それだけで、あとが驚くほどスムーズに進むものだ。

僕は思わず、感心してしまう。


「これなら……人混みでもコユキを連れて行けるな。ほんと助かる」

僕が素直に礼を言うと、ミニディアは「当然よ」と微笑み、コユキは照れ隠しのようにそっぽを向きながらも、尻尾が小さく揺れていた。

そして、僕たちは午後のレベル上げに向け、物置部屋のサブゲートの前に立っていた。
赤黒い光が、ゆらゆらと不安定に揺れている。

「じゃ、行くか」
「うん」
「気をつけてね、また後で」

ミニディアは、いったんブレスレットに戻った。

俺は深呼吸一つして、ゲートに足を踏み入れた。

——ぐにゃりと空間が歪む感覚。
次の瞬間、94階層、あの薄暗い夜空の下へと降り立った。

「おかえりなさい」

そう言って、今度は本体のディアが城の入り口で出迎えてくれた。

「ただいま、ディア」

そう返すと、彼女は満面の笑みで胸を張る。

「今日はね、いい感じに“倒しがい”のある子を揃えておいたわ。ほどよく強くて、ちゃんと経験値になるやつ。それと……可愛いのも混ぜておいたの!」

「いや、可愛いのは別にいらない」

「えぇ~、可愛いと戦ってる方が癒されるじゃない?」

茶目っ気たっぷりに羽を揺らすディア。
以前の“威厳ある吸血鬼”の面影は薄れつつあるが、それがまた彼女らしかった。

「……ディア、楽しんでるだろ?」

僕が少しジト目で尋ねると、彼女はあっさり頷いた。

「もちろんよ。こんなふうに笑い合えるの、すっごく久しぶりなんだから」

ふんわり、照れたような微笑み。
その一言で、彼女の長い孤独がふっと断片的に伝わり、胸の奥が少しだけ熱くなる。

「さ、行きましょう。あなたたちを案内したくて、うずうずしてたの」

そんな軽口を交わしながら広場へ進むと、獣型・鳥型・ゴーレム型のモンスターが数体待ち構えていた。
“練習相手”というには十分すぎる緊張感が漂う。

「気を抜くと痛い目見るわよ、秀人!」

「分かってる」

僕は金属バットのグリップを握り直し、一歩前へ踏み出した。

空気がピンと張り詰める。

——バットを握る。
コユキとディアの念話が、頭の中に同時に響く。

(右から二体!)
(後ろ、ゴーレムが振りかぶったわ!)

《時間視界》が発動し、敵の動きがわずかにスローに歪む。

影に踏み込み、距離を詰め、
足を払うように一撃——

ガキィィン!

そこから一体ずつ確実に崩していく。
判断が冴える。動きが噛み合う。
徐々に強くなっていく実感。

(……これだ。この目に見えて“成長してる感”がたまらない)

社会では、努力しても評価は一歩遅れで、成長の変化なんて即座にはほとんど気づかない。
だからこそ——
ゲームみたいに、やればやっただけ目に見えて強くなるこの世界は、反則級に気持ちいい。

三時間が過ぎ、四時間が過ぎ——
ついにステータスに“12”の数字が浮かんだ。

(よし……レベル12達成)

達成感がゆっくりと胸に広がっていく。

「そろそろ帰るか」

「賛成」

「また明日も来ていいのよ?」

名残惜しそうに微笑むディアに見送られ、僕とコユキはサブゲートをくぐった。

帰宅してシャワーを浴び、夕食の準備を始める。
メニューはカレーとサラダと味噌汁。
普通のメニューなのに、異世界で戦ったあとはやけに美味い。

「お疲れ!」
「お疲れ」
「お疲れさま」

……と、ここでミニディアが、当然のようにグラスを掲げて参加してきた。

さっき本体の方で名残惜しそうに手を振ってたのに、数十分後にはこうして“こっそり食卓に混ざる”あたりが、なんともディアらしい。

飲めもしないのに、嬉しそうにグラスをカチンと合わせてくるその姿に、思わず笑ってしまう。

(……この時間が、たまらなく落ち着く)

そんな余韻に浸っていたとき——

——ピンポーン。

玄関のチャイムが鳴った。

「……ん?」

時計を見ると、夜の九時前。こんな時間に誰だろう……?
胸の奥が、わずかにざわついた。

ゆっくり立ち上がりながら、まずコユキとミニディアに視線を送る。

「念のため、隠れて」

「了解」

「分かったわ」

コユキは影へすっと沈み、ミニディアは粒子になってブレスレットへ戻る。

リビングが静かになったのを確認してから、インターフォンのモニターを覗き込む。

映ったのは、スーツ姿の男性。
胸元には、それらしい腕章。

「どちら様でしょうか?」

インターフォン越しに問いかけると、礼儀正しく声が返ってきた。

『政府関係機関の者です。少々、お時間をいただきたく——』

(……やっぱり、来たか)

というより、「そりゃ来るよな」と腹の底で納得する感覚だった。

心臓が一拍だけ早くなりかけるのを、意識して押し戻す。

こういうときこそ、冷静に、慎重に。
仕事で何度も学んだことだ。

「最近は詐欺も多いので、政府関係者である証明を、このカメラ越しにお願いできますか」

必要なことだけを落ち着いて言う。

身分証明書、所属、フルネーム。ひと通り確認する。

「確認しました。ご要件を伺ってもよろしいでしょうか」

モニター越しで一拍の沈黙が落ちる。

『はい。……先日の“ゲートからのご帰還”について、正式に確認したい事項がございまして』

やっぱり、そこか。

だが、続く言葉は僕の予想より踏み込んでいた。

『つきましては、一度、政府施設までお越しいただきたく……』

(……強制じゃないけど実質“呼び出し”だ)

すぐに「はい」とは言わない。
こういう時、大事なのは “即答しない姿勢” だ。

落ち着いて、淡々と切り返す。

「ご要件は分かりました。ただ——平日の夜に突然のお声がけをいただいても、仕事の都合があります。そちらの施設に伺うにしても、業務の段取りをつける時間が必要です」

仕事を理由に断るのは正攻法だ。相手も強くは押せない。

一瞬、モニターの向こうで声が小さくなり、誰かと相談しているようだった。

『……でしたら、日曜日の午前はいかがでしょうか?10時であれば、こちらも調整できます』

(よし。最低限の猶予は確保できた)

「日曜日でしたら仕事も休みですし伺えます」

『ご協力に感謝します。それでは、日曜日の10時にお迎えにあがります』

「承知しました」

会話を終え、インターフォンを切った。

「……ふぅ」

肺の奥に溜めていた空気を吐き出すと、影の中からコユキがすっと姿を現し、ブレスレットからはミニディアがぽんっと浮かび上がった。

「かなり慎重な対応だったわね」

ミニディアは腕を組み、興味深そうにモニターの方を見る。

その口ぶりは“心配”というより、人間界のやり取りを観察する学者のようだった。

「いきなり踏み込んでこないあたり、人間のルールは面白いわ。強制力があるなら、もっと乱暴に来るのかと思ったもの」

僕は苦笑してソファに腰を下ろす。

「いや……現代日本はそう簡単に踏み込めないんだよ。こっちにも仕事があって、生活があって……“相手の事情を無視する”のはとんでもなく嫌われる」

コユキが頷く。

「それで、日曜までに準備するわけね」

「うん、質問されそうなことは全部洗い出しておく。今日みたいなやり取りは、事前準備が物を言うから」

ディアがにこっと笑う。

「ふふ。そういうの、あなた得意そうだものね。“知恵の戦い”って感じで、見ててちょっとワクワクしたわ」

(……しっかり見られてるな)

「そして、もう一つは“保険”だ。もし向こうが強硬な手に出ても、逃げられるくらいには強くなっておきたい。だから、日曜までに少しでもレベルを上げておく」

ディアが満足げに頷く。

「なるほど。“言葉”と“力”。両方そろえておくわけね」

「そういうこと」

コユキが尻尾を揺らしながら言う。

「じゃあ、日曜までに準備しときましょ。向こうが本気なら……こっちも油断しちゃダメよ」

僕は頷いた。

こうして僕たちは静かに、しかし確実に——
“日曜の交渉”へ備え始めた。

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