晩年こそ本番。42歳会社員、喋る猫と現代ダンジョン攻略── やり直しじゃない。ここからが、僕の本番だ

七乃白 志優

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第六章:仮面の告発者

084話『鍵のない正義』

「はい、そこまで!」

八代さんの声が広場に通った。
バラけていた視線が、一気に集まる。号令って、こういう力がある。

八代さんは一度、自衛官の方にも目を向けた。
それから、特務班へ。

「今日、シュナさんに来てもらったのは……“世界を知ってもらう”ためだ」

“世界を知る”。
上には上がいる、という意味でもある。

でも――それだけじゃない。

(八代さん、言葉の組み方がほんと巧いな……)

「世界」と言えば、国内の枠がふっと外れる。
誰も嘘を聞かされていないのに、聞いた側の頭の中では「国外」や「外の基準」に自然と繋がる。

つまり――僕の素性を、守りながら隠せる言い方だ。
カタコトの芝居を、八代さんが言葉で補強してくれた感じがした。

案内された別室は、必要最低限に整っていた。
椅子とテーブル、ホワイトボード、そして妙に冷えた空気。

九条さんが先に口を開く。

「……で。犯人はいたか」

僕は仮面のまま頷く。

「いません。少なくとも“今日ここにいる範囲”は、全員シロです」

柊さんの肩から力が抜けるのが分かった。
八代さんも、ほんの少しだけ目を細めた。

「契約モンスター側も?」

「そこも含めて、洗脳系スキルの保持者は見当たりませんでしたし、洗脳を受けた痕跡もありませんでした」

――言ってから、遅れて胸の奥が落ち着く。
“いなかった”。それだけで、救われる。

九条さんが短く息を吐いた。
そこで終わらせるのは簡単だ。
けど――終わらせたくない。

「もし、いた場合はどうされていました?」

……自分で聞いておいて、部屋が静かになる。
僕も分かってる。
答えは軽くない。

九条さんが視線を落としたまま、淡々と言った。

「まずは麻酔で眠らせる。契約モンスターも含む。……ただ、牢屋も手錠も意味がないのは理解してる」

言葉が続く前に、僕の中で先に理解が立ち上がる。
壁も鎖も、“人間の前提”の上にある。

九条さんは、そこで一度止めた。
止めたけど、逃げなかった。

「最終的に止める手段が……処刑しかない可能性もある。言いたくはないがな」

重い。
だけど、荒い結論じゃない。
現場の計算だ。

僕は口を開きかけて、閉じた。
否定はできない。
代案も、まだ出せない。

沈黙を切ったのは柊さんだった。

「……土曜日、新宿。段取りを詰めましょう」

現実は重い。
でも、止まっても進んでも、時間だけは進む。

僕たちは“次”の話に切り替えた。
誰かが切り替えないと、時間だけが潰れるやつだ。

打ち合わせの合間の休憩。
外へ出ると、遠くの演習の音がまだ聞こえた。

スキルの光。
モンスターの咆哮。
“訓練”だと分かっていても、胃の奥が少し固くなる。

(ゲートが出て、まだ2ヶ月も経ってないんだよな)

濃い日々が、時間の目盛りを誤魔化してくる。
でも社会も制度も、当然そこまで追いつけてない。

――その背後から。

「時任さん」

反射で振り向きかけて――遅れて止めた。
……やばい。今の反応、完全に“本人”だ。

改めて振り向き、そこにいたのは一ノ瀬だった。
目が合って、彼女は苦笑する。

「やっぱり時任さんなんですね」

「……なんで分かった?認識阻害、かけてるんだけど」

「印象は違います。声も雰囲気も、ぜんぜん別人です」

一ノ瀬はそこで少しだけ言いづらそうに目を逸らし、それでも続けた。

「でも……八代さんと九条さんが“信頼してる”って顔してて。私より圧倒的に強い人、って言われたら……時任さん以外、思い浮かばなかったです」

……なるほど。
スキルじゃない。
推理の材料が“人間関係”だ。
それは認識阻害じゃ消せない。

僕は仮面の縁を指で軽く押さえた。

「この姿の時は“シュナ”だから。内緒で」

一ノ瀬は、可笑しそうに笑って頷いた。

「はい。内緒にします。――シュナさん」

言い方が、ちょっとだけ優しかった。

帰りもジープで駅まで送ってもらった。
揺れが土の匂いを運んでくる。

車内で仮面を外し、サングラスとマスクに戻す。
切り替えの儀式。
こういう“手順”があると、心が変に落ち着く。

帰宅。
玄関の鍵を回した瞬間、外の空気がすとんと切れて、家の静けさが戻ってきた。

靴を脱いで、洗面所へ直行する。
シャワーの湯が肩を叩き、駐屯地の乾いた匂いと砂っぽい感覚を、少しずつ洗い流していく。
熱で筋肉がほどけるのに、頭の奥だけは逆に冴えていく。

今日の会話の“言葉尻”が、湯気の向こうで何度も再生された。

リビングに戻ると、もう台所から湯気が立っていた。
いつものサイズのディアが手際よく鍋を回し、香りが部屋に広がっている。

生姜の匂い。
出汁。
たぶん、疲れている日にちょうどいいやつ。

コユキはというと、ソファの端で尻尾をゆるく揺らして、僕の顔――じゃなく、帰宅後の空気そのものを観察している感じだった。

「いただきます」

湯気の立つ椀を手に取ると、胃の奥がようやく現実に戻ってくる。

テーブルの上で、コユキが尻尾を揺らした。

「今日の打ち合わせ、顔が固かったよ」

「固くなる内容だった」

僕は箸を止めて、半目で見た。

「ていうか、仮面してたから見えないだろ」

コユキが当然みたいに言う。

「見えるよ。顔じゃなくて、空気が」

「空気って……」

「呼吸の浅さとか、間の置き方とか。そういうやつ」

「嫌なとこだけ鋭いな」

ディアが、湯気の向こうで小さく笑う。

「褒め言葉よ、それ。コユキは“気配”に強いもの」

「……褒めてないつもりだったんだけど」

コユキが、少しだけ得意げに胸を張る――つもりの顔をする。

「じゃあ、褒めにしとく」

僕は息を吐いて、椀を持ち直した。

「で?」

コユキが真面目な声に戻る。

「今日の話。結局――“捕まえる手”がない」

ディアが頷く。今度は笑っていない。

「ええ。止める方法はあっても、“縛る”方法が足りないわ」

僕は箸を進めながら、苦く笑う。

「……そこを何とかしないと、次の土曜は最初から結論が決まってる、ってことか」

そう。
法律や手続きは、なんとかできる。
でも“物理”がないと、作戦は最終的に処刑ルートに寄る。

それは避けたい。
避けたいから、考える。

「ディア。スキルを封じる、みたいなのって……ある?」

ディアは少し考えて、首を振った。

「永続的に封印するものはないわ。……ただ、発動の“芯”を散らすことならできる」

「芯?」

ディアは箸を置いて、静かに続ける。

「スキルが立ち上がる瞬間に必要な魔力を、拡散させるの。火を点けようとしたところに風を当てるみたいにね。形になる前に散らせば――“発動しなかった”扱いになる」

「つまり、キャンセル……というか、不発にする」

「待って」

僕も箸を止めた。

「そもそもさ。魔力とかスキルって……結局、何なんだ?僕、雰囲気で使ってるけど、仕組みはちゃんと聞いてない気がする」

ディアが一瞬だけ目を細めて、それから小さく笑った。

「今それを聞くのね。……ええ、いいわ。後でちゃんと説明する」

「ありがとう。じゃあ……」

コユキが尻尾を揺らして、間に割り込む。

「その講義、長くなるやつ。理屈はあとでいい。先に“止め方”だけ詰めよう」

ディアは頷く。

「簡単に言うわ。――相手が“撃とうとした瞬間”を狙って、撃てなくするスキルよ」

一拍。

「ただし、永続じゃない。条件が合った時にしか刺さらない」

コユキが、尻尾の先だけをぴんと立てた。

「……でもさ。永続じゃないなら、逆に“永続っぽく”使えばいい」

「どうやって?」

「仕組みを作る。相手がスキルを起動しようとした瞬間、その魔力に反応して――毎回、自動で散らすように」

ディアが少しだけ目を細める。

「つまり、トリガーを相手側に置くのね」

「うん。本人が撃とうとする限り、勝手に不発になる。……もしそれができたら、封印にかなり近い」

僕は息を吐いた。

コユキは「でしょ」とでも言いたげに尻尾を揺らした。

「仮面、できたじゃん。あれと同じ。媒体に“仕込み”を固定して、条件が来たら勝手に動くようにする」

「条件って……相手がスキルを使おうとした瞬間?」

「うん。相手の魔力が立ち上がった時にだけ反応する。こっちが押すんじゃなくて、向こうが押したら勝手にキャンセルが走る」

ディアが少しだけ首を傾げる。

「理屈は分かるわ。でも――“勝手に何度も”は、簡単じゃない。魔力は燃料だもの。何もしなくても回る仕組みにするなら、どこから燃料を引くかが問題になる」

「相手の魔力を使う、って言ってたよな」

「ええ。理屈の上では可能。……ただ、相手の魔力を勝手に使うなら、術式の組み方は慎重にしないといけないわ」

コユキが軽く目を細めた。

「だから、レグリス頼り。そういう“回路”もアイテムに作ってもらう」

「金曜だっけ。戻ってくるの」

ディアが頷く。

「92階へ帰ったのが今日。次は――金曜ね」

スマホのカレンダーに目を落とす。

金曜、レグリス帰還。
土曜、新宿。

「……ギリギリだな」

「ギリギリって言うの、好きだね。仕事人」

コユキの声に、少しだけ笑いそうになるのを堪えた。

「好きで言ってるんじゃない。ギリギリは、ギリギリなんだ」

ディアが、湯気の向こうでふっと口元を緩める。

「でも、道が一本できた。良いことよ」

確かに。
“処刑しかない”という結論から、ほんの少しでも離れる線が引けた。
それだけで、息がしやすくなる。

「じゃあ……今のうちにできることは、媒体探しかな?」

“土台”さえあれば、金曜にレグリスで回路を組める。

「持ち歩けて、壊れにくくて。できれば複数作れるやつ」

ディアが補足するように言う。

「相手に“付ける”なら、外せない形が理想ね」

……本当は、それだけじゃ足りない。
相手本人だけじゃなく、契約モンスターの方まで“安全に”する手段がない。
そこは、今の僕にはどうにもできない。

だから――まずは、人間を止める。
ほかの問題は、いったん割り切る。
割り切らないと、前に進めない。

「今回は、気絶している間に付けられる前提として、牢屋の中で管理できるなら、目立つかどうかは二の次でいい」

コユキが尻尾を揺らす。

「うん。見た目じゃなくて“外せない”が優先。あと――鍵。外す自由を、こっちが握れる形がいい」

ディアが静かに頷いた。

「ええ。魔力の細工は後でできる。まずは“土台”を用意しましょう。確実に、逃げられない土台を」

僕は一度だけ息を吐いて、スマホのメモを開いた。

(媒体。鍵。外せない形。――金曜までに用意)

ディアが、少しだけ声を柔らかくした。

「明日も――朝から仕事でしょう?早く休みなさい。あなたが疲れていると、思考の精度が落ちる」

「それは自覚ある」

僕は立ち上がって、食器を下げようとした。
するとスーラが、床でぷるん、と一回跳ねる。
手伝う気なのか、ただ嬉しいのか分からない。

「ありがとうな、スーラ」

ぷるる、と返事みたいに震えた。

コユキが背伸びをして、欠伸をひとつ。

「眠たい」

その一言で、部屋の空気が「今日はもう終わり」に寄る。
戦後処理みたいに尖っていた頭の角が、少しだけ丸くなる。

僕は苦笑して頷いた。

「……だな。今日はここまで」

ディアは何も言わず、僕の背に手を添えるだけだった。
押すでもなく、止めるでもない。
――ただ、帰る方向を示すみたいに。

その温度を確かめてから、僕は寝支度をすませて寝室へ向かった。

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