4 / 5
曖昧
しおりを挟む姉が眠るように亡くなっていた、祖母の納骨堂の床。
姉を思いながら、何時間もただその場に座り込む。
ここに座るときはいつも、姉が隣に居た。
祖母のことを想って何度も座ったこの床は、冷たいタイルの上に薄いカーペットを一枚貼り付けただけの簡素なもので、直に座ると足やお尻が痛くなる。
こんなに固くて冷たい床の上に寝転んで、たった一人この世の最期の時間を過ごした姉の気持ちは、どんなものだったのか。
ーーーたった一人、じゃないか。おばあちゃんが側に居てくれたんだ。
仏壇の中に眠る、祖母の写真を見てそう思い直した。
姉がよくここに来て亡き祖母と話していたように、私も姉に語りかける。
ーーーお姉ちゃん、どんな気持ちでこの冷たい床に寝転んだの?
この世に別れを告げるべく、深く目を閉じた瞬間。彼女の脳裏には何が浮かんでいたのだろう。
苦しみは、寂しさは、悲しみはなかったのだろうか。
姉と同じように深く目を閉じて、想像する。
姉であっても自分とは違う人間。
残された者たちは、ただ想像するしか術を持たない。
きっと穏やかな気持ちだったに違いない。
晴々とした気持ちでさえあったのかもしれない。
根拠も何もないけれど、なんとなくそう思った。
これは私の願いなのかもしれないけれど。
姉はそういう人だった。
細かいことにはうじうじ悩んだり心配したりするくせに、人生を覆すような大きな出来事やハプニングに直面した時は、凛とした強さを持って臨める人だった。
晩年自宅療養していた父親が発作に苦しみ始めた時、姉は冷静に電話を手に取り救急車を呼んだ。その落ち着いた振る舞いは、その場にいた全員を安心させた。
電話を置くと、お風呂上がりのスッピンでは病院に付き添えないからと姉は鏡に向かってメイクを始めたのだ。
私はその瞬間、ひどい違和感を覚えていた。
いつもの姉と、非常時の姉はまるで別人のように思えたからだ。
父の病状を一番心配して非常事態が起こることを日々恐れていた姉が、いざそういう場面になるといつも一番落ち着いて対処していた。
母や私はオロオロするばかりで、何も出来ず立ち尽くしていたというのに。
心配するということは、あらゆることを想定できる能力なのだとその時思った。
心配症で小さなことに日々怯えて暮らすということは、誰よりもいざという時のことを明確に想定できているということだ。
いざという時に対処する姉は、誰よりも強くたくましかった。
祖母の仏壇には、親戚の誰かがお土産で買ってきたのだろう恐山の湯呑みと、数個のコップが所狭しと並んでいる。ビール会社の刻印がされたレトロなグラスがふと目に入った。
水が入っている。
姉が最期にこのグラスに水を満たしている姿が目に浮かんだ。
彼女はここに来るといつも一番にお水を新しいものに変えて、小さな蝋燭に火を灯していた。
昨日のことのように鮮明に思い出せるのに。
その時の姉はどんな顔をしていただろうか?
その部分だけ白くモヤがかかったように、ぼんやりとうつろいでいた。
死とは、そういうものなのだ。
昨夜までは思い出せていたのに、と焦燥感が身を襲う。
彼女がこの世を去ってから、一日また一日と過ぎるたび、記憶が遠ざかってゆく。
確かに姉がそこに居たという記憶はあるのに、彼女の顔の部分だけがポッカリと抜け落ちていた。
以前も何度かそんな経験があった。
父が亡くなった後。愛猫が虹の橋へ旅立ったあの時もそうだ。
さっきまで確かにここに居て、命を宿していた肉体が、まるで別のものに変わってしまったように色をなくす。
曖昧、になるのだ。
思い出の中の姉には徐々にモヤがかかり、彼女の存在が一瞬にして色褪せてしまったように遠ざかっていく。
これが失う悲しみというものなのだ。
姉にだけ、色がない。
「和葉ちゃん・・・かな?」
誰かに名前を呼ばれて、急に現実に引き戻された。
振り返ると、そこには見知らぬ男性が立っていた。
0
あなたにおすすめの小説
あやかし家族 〜五人の兄と愛され末妹〜
南 鈴紀
キャラ文芸
妖狩りにより両親を奪われ、囚われの身となった半妖の少女・鈴音は浄化の狐火を利用するだけの道具のように扱われていた。呪いにより成長は止まり、容姿も思考も幼いまま、感情が消え失せてもなおただ生かされるままに生きていた。
しかし妖保護部隊本部第一部隊との出会いにより、鈴音の止まっていた時間が動き出す。
掴みどころはないが頼れる氏神・雅仁、兄には厳しいが弟妹には優しい狼の妖・千里、人間嫌いだが人当たりの良い振りが得意な人間・遥杜、可愛いもの好きで元気いっぱいの猫又・鴇羽、大人しいが思いやりに溢れる猫又・瑠璃。
五人の兄と過ごす時間の中で、無いものだらけだった鈴音にもやがて大切なものが増えていく。
妖×家族の心温まる和風ファンタジー。
踏み台(王女)にも事情はある
mios
恋愛
戒律の厳しい修道院に王女が送られた。
聖女ビアンカに魔物をけしかけた罪で投獄され、処刑を免れた結果のことだ。
王女が居なくなって平和になった筈、なのだがそれから何故か原因不明の不調が蔓延し始めて……原因究明の為、王女の元婚約者が調査に乗り出した。
妻が通う邸の中に
月山 歩
恋愛
最近妻の様子がおかしい。昼間一人で出掛けているようだ。二人に子供はできなかったけれども、妻と愛し合っていると思っている。僕は妻を誰にも奪われたくない。だから僕は、妻の向かう先を調べることににした。
冷徹公爵の誤解された花嫁
柴田はつみ
恋愛
片思いしていた冷徹公爵から求婚された令嬢。幸せの絶頂にあった彼女を打ち砕いたのは、舞踏会で耳にした「地味女…」という言葉だった。望まれぬ花嫁としての結婚に、彼女は一年だけ妻を務めた後、離縁する決意を固める。
冷たくも美しい公爵。誤解とすれ違いを繰り返す日々の中、令嬢は揺れる心を抑え込もうとするが――。
一年後、彼女が選ぶのは別れか、それとも永遠の契約か。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる