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あの頃 ③
しおりを挟む「一緒に始めてみないか。」
ある明け方、一晩中めちゃくちゃに抱き合ったあとの気怠さの中で、彼が言った。
「何を・・・」
「あいつの居ない世界で、幸せに生きること。」
淳弥さんが、どこを見ているのかわからない遠い目でそう告げる。
きっと俺と同じ、あの頃を見つめている瞳。
俺たちは、お互いの手を取るしかなかった。
同じ悲しみを味わっているのは、お互いだけだと痛いほどにわかっていたから。
あの頃。
俺たちはいつも幸せだった。
淳弥さんの奏でるギターの音に、兄貴の歌が乗って、まるで世界は二人のためにあるように見えた。
俺はその眩しい光景を恍惚の表情で眺めていて、彼らの間にある感情に永遠を見出していた。
ある日世界は音を立てて見る見るうちに崩れて行って、ぽっかりと開いたブラックホールのような暗闇に俺を置き去りにして行った。
悲しくて、苦しくて、虚しくて。
俺は全ての幸福を、あの頃に置いてきたのだと嘆いた。
もう手の届かない遠い場所。
あの頃に戻りたいという気持ちは、いつしか呪いのように俺を闇へ沈めていった。
「淳弥さん・・・っ」
彼の身体に触れる。
あの頃、兄貴が俺と同じように触れた身体。
彼の首筋。彼の鎖骨。彼の胸板。彼の背中。
兄貴の全てをたどるように、指でなぞる。
「カイト・・・置き去りにして、悪かった。」
涙が溢れた。
違う。そうじゃない。
淳弥さんもあの日から、ずっと俺と同じ暗闇の中に居たと痛いほどにわかるから。
世界で一人きりに思えたけれど、その暗闇の中には淳弥さんがいて、俺の手をとってくれたんだ。
そう思った。
♢♢♢♢♢♢
「カイト、ただいま。」
「淳弥さん、おかえり。早かったね。」
俺はキッチンで味噌汁を作りながら、予定より早い恋人の帰宅に慌てて声を上げる。
「打ち合わせが早く終わったから、急いで帰ってきた。」
「連絡くれればいいのに。」
俺が唇を尖らせると、淳弥さんはごめんな、と優しくささやいてキスをする。
「今から帰るよ、って連絡したら、心配するだろ?」
確かにそうだ。
少しでも遅いと思ったら、事故にあったんじゃないかって反射的に心配して居てもたってもいられなくなる。
「それはそうだけど。まだ晩ご飯完成してないよ?」
「そんなのゆっくりでいい。」
彼が僕の腰に手を回して、深く唇を重ねる。
「ん・・・っ、だめ、火かけてるから、危ない~。」
「可愛い。カイト・・・」
淳弥さんにキスされると、俺はすぐに身体が熱くなってしまう。
なんとか理性を保って、キッチンに戻る。
俺は淳弥さんを追いかけて、彼のバンドが活躍する大都会へ出てきた。
彼と一緒に新しい部屋を見つけて暮らし始めてもう一月になる。
俺たちは、新しい世界で、新しい幸せを掴む努力をしている。
地元の部屋は引き払って、このマンションで一緒に暮らし始めた。
「今日は、めちゃくちゃに抱かれたい気分・・・」
ボソッと呟くと、聞こえたのか聞こえてないのかわからないけれど、淳弥さんが俺に笑顔をむけた。
「今日は、めちゃくちゃに抱きたい気分。」
男らしい彼の目に、俺は言葉を失う。
一瞬にして真っ赤になった顔を彼に見えないようにして、聞こえなかったフリをした。
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