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♤『朝帰り』(SIDE 沢渡 仁)
しおりを挟む優羽とラブホテルで一晩共にした。
彼に求められたのに、結局俺は何もできなかった。
ずっと大切に想ってきた優羽との関係を、一夜の過ちで台無しにするなんて馬鹿げている。
そんなふうに言い訳をして、彼と向き合うことから逃げた。
それ以上にショックだったのは、蛍の存在が俺に歯止めをかけたという事実。
優羽と一緒に過ごしていても、蛍のことが頭から離れなかった。
蛍の存在がこんなに大きくなっているなんて。
胸がざわつく。
ホテルを出たところで、優羽の恋人に遭遇した。
彼は怒るでも問いただすでもなく、優羽を疑う気持ちは微塵もないのだと分かった。
良い男を恋人にしたな。素直にそう思ってしまった。
彼は優羽のことを信じているし、揺るがない。
数秒の出来事だったけれど、彼の芯の強さが伝わってきた。
優羽が幸せであればそれでいい。
俺はまた言い聞かせるように心の中で復唱すると、その場をあとにした。
蛍と暮らし始めてから、初めての朝帰り。
罪悪感がモヤのように胸を覆っていた。
家に帰ると、玄関に知らない男の靴があった。
白と黒のごつい男物のスニーカー。
心当たりがなくて、胸がヒヤリと冷たくなる。
蛍の部屋を覗くと、ベッドで男と抱き合って眠っていて驚いた。
この感情はなんと表現したら良いのだろう。
今までの人生で経験したことがない、複雑な感情だった。
二人とも服を着ていたので、一瞬頭をよぎった不安は思い過ごしだとわかる。
胸を撫で下ろしている自分は、一体どんな立場なのだろう。
保護者代わり、と言い切ってしまうには難しい感情が胸をざわつかせていた。
恐らく、彼は蛍の友人の黒衣君だろう。
落ち着いて考えてみたら、そう思い当たった。
最近蛍の話に、よく出る名前。
想像していたよりずっと大人の男、という印象の彼に驚いた。
蛍と同じ歳だというのに、男らしさが際立つ顔立ち。
俺がモタモタしているうちに、優羽も蛍も決まった人ができてしまったのか、と
置いてけぼりをくらった気分になる。
何も決めることができない、優柔不断な自分が情けなかった。
リビングでコーヒーを淹れていると、蛍の友人が起きてきた。
「おはようございます。お邪魔しています。」
ヤンチャな見た目とは裏腹に、しっかりとした言葉遣い。
「仁さん、ですよね?」
「君は、黒衣君、だったかな?」
「そうです。宍戸黒衣です。はじめまして。」
「はじめまして。蛍がいつもお世話になってます。」
彼は、真っ直ぐに俺を見据えている。
「蛍は、昨日泣いて俺に電話してきました。」
彼の視線に、俺を攻めるような色があることに気付く。
それよりももっと強い意志を感じさせる、覚悟のある男の目。
「俺、蛍のこと守りたいと思っています。」
淀みのない、真っ直ぐな決意を載せた彼の声。
歳下とは思えない、男の迫力。
彼の覚悟が伝わってきた。
蛍を大切に想ってくれているのがわかって嬉しい。
嬉しいと思うのは、やはり蛍への気持ちが恋愛感情ではないという証に思えた。
ほっとしている自分がいる。
蛍に恋愛感情を抱いていたとしたら。
想像しただけで、ひどい罪悪感がこみ上げてきた。
「黒衣君、ありがとう。」
優しい視線を返すと、彼は面を食らったような顔を一瞬見せた。
ガタン、と大きな音を立てて、蛍の部屋のドアが開く。
目を腫らした蛍が、いかにも空元気というテンションで起きてきた。
「仁!!朝帰り!!門限破ったから、俺らの朝食用意すること!!」
蛍の健気さ。
切ない気持ちが込み上げてきて、思わず首を振る。
俺は、蛍の気持ちに応えることが出来ない。
泣いて黒衣君を頼った蛍。
それに答えてくれた彼の優しさと想いの強さ。
少し距離を置いたところから、彼らを見守っていこう。
俺が蛍のために出来ることは、それくらいしかない。
「じゃあ、近くのカフェで朝食にしようか。」
俺の提案に、二人は顔を見合わせて、笑った。
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