わけあって極道の妻になりました

ととりとわ

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番外編

龍臣さんのはじめてをください①

 龍臣の決死のプロポーズから二か月余りが経った四月の金曜日。
 いちかは今日、二十八歳の誕生日を迎えた。夕方からそわそわしていたのは、今夜彼と、夜景が見えるレストランで食事をする約束をしているからだ。
 時計の針が定時に差し掛かるとすぐに席を立つ。数日前から準備を進めてきただけあって残業はない。
「じゃ、お先に失礼します」
「はい、お疲れさま」
 まずは教頭に。それから、教務主任、同僚の先生方と順番に頭を下げて、職員室をあとにする。更衣室で身支度を整えて出てきたところ、後ろから男性の声に呼び止められた。
「萬木先生! 今日は早いですね。自分も今帰りです」
 小走りにやってきたのは、二年後輩の教員である尾田だ。彼は細身の体型をした今どき風の若者で、いちかの隣のクラスの担任をしている。
「尾田君も早いじゃない。仕事大丈夫なの?」
「いやー、大丈夫とは言えないんですけど、萬木先生が帰るのが見えたので、つい」
 と言って頭を掻く。いちかは曖昧な笑みを浮かべて、職員用の昇降口で靴を履き替えた。
 正直な話、いちかはあまり尾田が得意ではない。彼が新卒で入ってきた時に指導役だった縁でよく話をするが、無遠慮な態度に最近は距離を置きがちだ。
「じゃ、お疲れさま。また来週ね」
 いちかは手を上げて素早く踵を返した。ところが、校舎の階段を足早に駆け下りたところで、また尾田が横に並ぶ。
「今日のワンピース、すごく似合ってますよ。もしかしてデートですか?」
 近くに寄ってじろじろと顔を覗き込む彼を、いちかは軽く睨みつけた。
「あなたに言う必要ないと思うけど。ごめんね、急いでるの」
 背中まで伸びた髪がなびくほど足を速め、パンプスの踵を大きく鳴らす。
 彼のこういうところが嫌なのだ。隣のクラスの担任ということで無下にもできず、それとなく伝えてはいるがわかってくれない。
 校門を出て左に折れると、遠くに龍臣の車が止まっているのが見えた。いつもより近い場所で待機しているのは、履き慣れない踵の高い靴で出掛けたいちかを気遣ってのことだろう。
 (こういうさりげない優しさが、彼の素敵なところなんだよねえ)
 運転席の龍臣と視線で合図を交わしていたところ、尾田の顔がにゅっと出てきて視界を遮る。
「そうだ、萬木先生! デートじゃないなら僕と食事でもどうですか? おいしい店知ってるんですよ」
「行きませんてば」
 足を速めて彼を避けると、龍臣が車の中から出てきた。ドアの横に立った彼は、左手をトラウザーズのポケットに突っ込み、煙草を持った右手の肘を水平に持ち上げて紫煙をくゆらしている。
(まずい……!)
 いちかは青くなった。
 明らかに機嫌が悪い時の龍臣だ。尾田に付きまとわれて迷惑がっていることに気づいているのかもしれない。
「じゃ、せめて一緒に帰りましょうよ! ほ、ほら、あそこにめちゃくちゃガラの悪い男がいるから、ひとりじゃ危ないですって」
 尾田がなおも食い下がってくる。龍臣がこちらに一歩足を踏み出すのを見て、いちかはついに走り出した。学校のすぐ近くで喧嘩なんてさせるわけにいかない。慣れないヒールにもたつきながらも、なんとか尾田に捕まらずに龍臣のもとにたどりつく。
「ごめんね。待たせちゃった?」
 龍臣が、いや、と言って、いちかに穏やかな笑みを向ける。しかしすぐに視線をずらし、鋭い三白眼で睨みを利かせた。その視線の先には、当然尾田がいる。
「あっ、え? え?」
 尾田は狐につままれたような顔をしてふたりの顔を交互に見て、龍臣の煙草を持つ手を震えながら指差した。
「こっ、ここは路上喫煙禁止ですよ!」
「……そうか。それは悪かった」
 龍臣が顔の前に手を持ってきて、煙草をぐしゃりと握りつぶす。冷酷な表情でパラパラと残骸を撒く彼を見て、尾田が震えあがった。
「いちか。こいつ、どうしてほしい?」
「えーっと……私の大切な同僚だから、仲良くしてほしいかな」
 渋い顔をして頷いた龍臣が、尾田に向かって右手を差し出す。
「九条龍臣だ。俺の婚約者が世話になってるな」
「ええっ!? は、はいっ……こちらこそ」
 尾田がびくびくしながら持ち上げた手を、龍臣が握った。その途端、尾田の喉から変な声が出る。
 うっ血するほどきつく握られた尾田の手を見て、いちかは心の中で祈った。
(どうか骨折には至りませんように……!)
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