雪解けの前に

FEEL

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IMM-028

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 家を出た真人は街中を走り回っていた。
 地図に書かれた目撃情報を頼りに周辺を捜索したが、雪湖の姿は見当たらなかった。仕方なく捜索範囲を町全体に拡大して片っ端から回ろうと決めた。しかし雪湖の姿を見かけることすらできなかった。
 そこで真人はもう一度レポートを確認する。

「こいつはいったいなんなんだ……」

 028……。
 レポートにはそれだけ書かれていて、特徴は種類などの情報が全くない。
 研究内容から考えれば生き物である事は間違いないが、どんな生き物なのかわからないことには捜索範囲を絞ることも出来なかった。
 仮に小動物だとしたらどこに潜んでいるのか想像もつかない。60年生きたとされるネズミと同じだったとしたら地上だけじゃなく地下も捜索範囲になる。そうなれば真人にはお手上げだ。
 走り続けて汗をかいた体に冷たい風が当たって心地が良い。街並みを見ると帰路に就く人がちらほらと見え始めていた。
 太陽は傾き始めて空は青から赤に変わっていく。暗くなってしまったら余計に捜索が困難になる。真人は苛立ちを感じて脚を揺らした。
 街中はあらかた見て回った。それでも雪湖の姿はなかった。やはり、地上だけではなく地下に潜ってしまっているのだろうか。

「……何をやってんだ俺は」

 愚痴っぽく呟いた真人はその場でしゃがみこんだ。
 こんな事をして本当に雪湖を見つける事が出来るのだろうか。
 そもそもこのレポートだって真偽のほどはわからない。普通に考えるなら創作や妄想を書き記したものだと考えるのが自然だ。それほどまでに書かれている内容は現実離れしている。

 実際のところ、雪湖は何かしら思うところがあって家を出て行ってしまったんではないだろうか。そして家を出る直前、後ろ髪を引かれてつい未練たらしい事を書いてしまった。そう考える方がいくらも納得できる。
 結局、突然すぎる別れに納得ができていないのだ。だから真人は僅かな可能性にすがってレポートに書かれた事を鵜呑みにしている。もう一度雪湖に会って、ちゃんと話し合いたい。悪いところがあるのなら改善したい。
 それを伝えたくて、真人は必死になって街を走り回っていた。

 座り込んだ真人が人込みを見ていると、同じ速度で歩く集団に混じって全力で走る青年を見かけた。
 必死の形相で辺りを見回しながら足を動かす彼は今の自分のようだ。そう思うと目が離せなかった。
 辺りの店舗を端から順番に出入りした彼は、一度息を整えてから再び走り出す。真人は彼が見えなくなるまでその姿を追いかけていた。

「はぁ……」

 重たい息を吐き捨てて。真人は立ち上がる。
 こんなことをしても意味がないのかも知れない。雪湖はとっくに街を出て、新しい人生設計を考えているのかも知れない。
 それでも、雪湖と離れたくない。やり直せるならやり直したい。
 雪湖の笑顔が頭に浮かぶ。真人はもう一度その表情を見たくて走り出した。

 再び雪湖を探し始めて数時間が経ち、空はすっかり暗くなっていた。
 人の通りはまばらになっていて、嫌に冷たい風が身体を叩く。街を端から端まで走りぬいた真人は限界を感じて足を止めた。

 結局、こんなものだ。

 怪しげなレポートを見つけて。それとなく恋人の謎を知って。物語の主人公にでもなった気分で走り回った。
 でも、現実はどこまでも現実で自分は主人公ではない。都合よくヒロインを見つけることなんて出来ないのだ。
 夢から覚めたような感覚を覚えた真人はその場に座り込む。失意と疲労で、もう一歩も動ける気がしなかった。

「雪湖……雪湖ぉ……」

 どれだけ恋焦がれても雪湖からの返事はもう返ってこない。それがたまらなく寂しかった。
 真人は地面に座り込んだまま人目を気にすることなく咽び泣く。

「う……うぅ……うっ」

 どれぐらいそうしていたのか。地面がライトで照らされて車のエンジン音が聞こえた。
 エンジン音はどんどん大きくなり、すぐ横でピタリと止まった。
 アイドリングしたまま車は動かなかった。恐らく自分が邪魔をしているのだろう。それならクラクションなりなんなり鳴らせばいいのに。
 運転手には申し訳なかったが、その場から動くだけの気力が真人にはなかった。
 そうしていると車のドアが開く音が聞こえて、

「……真人」

 雪湖の声が、自分を呼んだ。

「え……」
「こんなところで何してるのよ」
「……こっちの、台詞だよ」

 ギシギシと軋む身体を這わせて雪湖に向かう。すると雪湖はヒールを鳴らして、真人に近づいて体に触れた。

「冷たい、いつからここにいたの?」
「わからない……」

 雪湖の体温が体に伝わり、真人は目をゆっくりと閉じた。彼女の吐息が静かに聞こえる。幻覚でも妄想でもなく、本当に雪湖がそこにいた。

「雪、湖……う、うぅ……」
「ちょっと、急に泣かないでよ……」
「う、うぐ……ごめっ……」
「……私の方こそ、ごめん」

 言いながら、雪湖は真人の身体を優しく抱きしめる。
 雪湖の艶髪が顔にかかり、真人は嬉しくて人目を気にせず泣き叫んだ。
 雪湖は真人の身体を抱きしめ続けて、子供をあやすように何度も、何度も背中を優しく叩いていた。

「もしかして、私を探してくれていたの?」
「そ、そうだよ……あんな書置きを残して、ほっとけるわけないだろ」
「そうだね。ごめん」
「いいんだ……こうして、会えたから……」
「うん」

 暫くの間、二人はそのまま抱き合っていた。雪湖の熱いくらいの体温が真人の身体に馴染み始めた時、雪湖は立ち上がって真人を引っ張り起こす。

「とりあえず車に乗って。車が来たら迷惑だから」
「う、うん」
「それに……色々聞きたいこともあるでしょ?」

 雪湖はそう言うと目を伏せた。儚げな表情を見て真人は部屋で見つけたレポート用紙の内容が頭をよぎる。
 真人は頷いてから助手席に乗った。

「シートベルト、ちゃんとしてね」
「わかってるよ。雪湖が運転するときは必ず言われてたからね」
「安全確認は大事でしょ。教習所でも習わなかった?」

 皮肉っぽく雪湖が言うと、運転席に座ってシートベルトを締めた。
 車を発進させた雪湖は何も言わない。エンジン音だけが聞こえる車内はとても静かだった。

「あ」

 雪湖が息を漏らす。

「どうした?」
「雪」

 雪湖から目を離して前を向くと、丁度一粒の雪がフロントガラスに張り付いた。大粒の雪は少しづつ数を増やしていって、外は雪景色に変わっていく。

「……綺麗、ね」

 消え去りそうな声で雪湖が呟く。
 雪のせいか彼女の肌はいつも以上に白く見えて、見ておかないと雪のように解けて消えてしまいそうな危うさを感じていた。

「どこに向かってるんだ?」
「すぐそこの病院」
「病院って……まだ少し寒いけど俺は大丈夫だよ」
「違うの、私がそこに用事があるの」
「どこか悪いのか?」
「ん……」

 雪湖は黙り込んで運転に集中していた。
 思わせぶりな態度に真人は怪訝な表情をするが、運転中なのもあって深くは追及しなかった。
 病院が見えてきて雪湖はスピードを緩める。ゆっくりと駐車場に向かうと適当な場所に車を止めて大きく息を吸い込んだ。
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