雪解けの前に

FEEL

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28番

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 寮母の部屋に忍び込んでから数日が経っても。寮母から話題に上がることはなかった。
 忍び込んだ事もストールの事も気づいていないということだろう。そう思ってようやく安心してきた朝、目を覚ますと姉が部屋にいなかった。

 ベッドにはパジャマが脱ぎ捨てられていないから、起きてそのままトイレにでも行ったのだろうと思った。
気にせず着替えを始めると、廊下からドタドタと足音が近づいてきた。

「起きてるっ!?」

 姉が慌ただしく扉を開ける。

「起きてる。着替えてるから閉めてよ」

 そう言ったが、姉はそのまま息を整えて言った。

「人が死んでる」
「……え?」

 聞き間違えたかと思って疑問符を浮かべる。しかし姉の慌てた様子から聞き間違えでも冗談でもないのだと私は唾を飲み込んだ。

「死んだって、誰が?」
「あんたの前に入って来た男の子で……とにかく来て、みんな集まってるからっ」

 そう言い残して姉は部屋から離れる。
 脱ぎかけたパジャマを再び着込んで姉の後を追いかけた。

 廊下を出るとすぐ横の部屋で人だかりができていた。
 私が追いかけてきた事に気付いた姉がこちらを見て手招きする。

「見て」

 言いながら姉が視線を動かす。
 同じ方向に振り向くと、ベッドの上で子供が横たわっていた。
 すぐ横では同室の男の子が声を掛けながらなんどもベッドで横たわる身体を揺すっていた。

「寝てるように、見えるけど……」

 言いかけた言葉を止める。
 少年は綺麗な顔で、パジャマ姿のままだった。見ているだけならよく眠っているようにしか見えない。
 しかし、なんど身体を揺すられても目を開けない人形のように身体を強張らせて全身を揺らす。なんとも言えない違和感に、私は本当に死んでいるのだと感じた。

「どいてください。皆さんどいて」

 呆然としていると声と共に身体を強く押された。
 騒ぎを聞きつけた寮母がやって来て、子供をのけて部屋に入った。
 倒れている少年の様子を確認すると、寮母はこちらを向く。

「みんな。病院に連絡するからこの部屋に入らないように。着替えて食堂に移動しなさい」
「でも……」

 人込みの中から誰かが声を漏らす。

「ここに残っていても出来る事はないでしょう? ここは私たち大人に任せなさい」

 そう言われて子供たちは戸惑いながらも部屋に戻る。
 私も姉と一緒に部屋に戻っている最中、姉が私の肩を叩いた。

「用紙、覚えてる?」

 姉の小さな声に私は頷いた。

「あの子は何番だったんだろ……」

 独り言のように呟く姉に、私は押し黙る。
 姉と同じように気にはなったが、頭の中はごちゃごちゃとしていてそれどころではなかった。

 初めて死体を見た。

 寮母は病院に連絡すると言っていたけど、横たわる彼にはもう生気を感じなかった。何をしたって手遅れだというのは感覚で理解できていた。
 恐らく見ていた子供たち全員がそう思っていたと思う。それほどまでに少年の姿は異質なものだった。

 着替えを済ませて食堂に向かうと、部屋にやって来た時と違う寮母が座っていた。
 あんな出来事があったのに、いつも見ているような張り付いた笑顔を作り全員が椅子に座るのを待っていた。

 私と姉が椅子に座ってから、遅れて少年がやってきた。死んでしまった少年と同室だった子供だ。
 目を赤くして鼻をすすりながら椅子に座ると、寮母は触れることもなく両手を合わせる。

「いただきます」『いただきます』

 子供たちは寮母の声に遅れて挨拶をする。いつもはにぎやかな食卓が今日はとても静かだった。

 何事もなく食事は終わり。子供たちは薬を渡される。いつものように薬を飲んでいく子供たちを見て、私は手を止めていた。
 少年の眠ったような死に顔がちらつく。
 寮母の部屋で用紙を見ていた私は、少年の死因はこの薬のせいだと勘ぐっていた。
 少なくとも、寮母の言う通り栄養剤だとはとても思えない。

「どうしたんですか?」

 薬を飲むのを躊躇っていると、寮母に声をかけられた。
 顔を上げると周りに人はいなくて、残っているのは私1人だった。

「どうした……って?」
「薬を飲む手が止まっていますが、どうしたのかなと」

 寮母の瞳がぎょろりとこちらを見る。
 こんな得体の知れない薬なんて今すぐに捨ててしまいたい。
 けれども飲まなければ寮母の不信感を買ってしまう。いや、既に不振に思われているかも知れない。だからこんなに薬を飲む姿を観察しているのかも。

 薬に対する緊張のせいか色々な考えが浮かんで頭がこんがらがってくる。身体は強張り瞳からは涙が滲んでくるのを感じた。手に薬を乗せたまま私は寮母の顔を見つめて震えていた。
 寮母の口が開いて何かを言われそうな時、

「あんた何してんの?」

 姉がこちらに向かってそう言った。

「あ……薬……」

 状況を説明しようと声を出すが、上手く声が出せない。

「薬? あー、もしかしてお茶より水がいいのかな?」

 姉はそう言うとグラスに水を注いでこっちにやってくる。手元にグラスを置くと同時に耳に顔を近づけた。

「水と一緒に口に含んで、水だけ飲みこみな」

 私は「ありがとう」と言って頷いてから薬を口に放り込み、水を流し込んだ。
 口の中で薬を抑えてからわざとらしく喉音を鳴らして水を飲む。その姿を寮母はずっと見つめていた。

「よし、じゃあ部屋に戻ろっ」
「う、うん……」

 促されるまま立ち上がり、姉の後をついていこうとする。

「待ちなさい」

 食堂から出ようとすると、寮母に止められた。

「なんですか?」

 姉が怪訝な表情を作り聞くと、寮母は私が座っていた机を見る。

「食器を片付けていませんよ」
「あ……すいません」

 早足で机に戻って食器をシンクに持っていく。急いで洗うとそのまま部屋に戻った。今度は何も言われずに無事に部屋に戻る事ができた。
 姉が廊下を確認してから部屋の扉を閉めると、こちらを見る。

「ほら、薬吐き出しな」
「うん……」

 舌を出して薬を取り出す。

「良かった。まだ溶けてない」
「よし、ティッシュにでも包んで捨てておこう」

 言われた通りにティッシュを取って薬を包んだ。そのまま丸めたティッシュをゴミ箱に放り込んだ。

「私が薬を飲む事を躊躇ってたの、よくわかったね」
「そりゃあの用紙を見たし、いつまで経っても部屋に戻って来なかったからね。嫌な予感がして戻ってみたら案の定。寮母に詰められてて慌てちゃったよ」

 姉は呆れたように手を上げてかぶりを振る。

「だって、どうしたらいいのかわからなかったし。あんたはどうしたのよ?」
「私? 私も同じように捨てた。ほら」

 姉の机下に置かれたゴミ箱を見るとさっき捨てたのと同じような形のティッシュが入っていた。

「あんな得体の知れないもの、もう飲めないって」

 姉の意見に同意する。
 何が目的なのかわからないが、薬が原因で人が死んだ可能性がある以上、飲み続けることなんて出来ない。
 しかしそう思うのは私たちが寮母の部屋に入って置かれている資料を見たからだ。寮母の前では飲んでいる体を装わないと不審に思われて、部屋に入り込んだことまでバレてしまうかも知れない。
 そうなったら、どんな扱いをされるのか想像がつかない。
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