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出会いの夜

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「面倒を避けたいのは部長ですよね、上の人たちからいろいろ言われるんでしょう、結局自分の身を守りたいだけで、会社の利益のことなんて考えてないじゃないですか。もっと向上心を持ってくださいよ」

 部長は苦々しく顔を歪める。
 図星を食らった表情だ。

「まったく……いくら美人で高学歴でも、それでは嫁の貰い手がないぞ」

 室内の空気が凍てつくより先に、ガタンッと大きな音を立てて椅子から立ち上がる。
 部長の背丈は私と同じくらいだ。ただし、なにも履いていなければ。
 五センチのヒールを味方につけている私は、その分部長を見下ろす形になる。
 
「それこそハラスメント窓口に相談しますよ」

 冷ややかに言って退けると、部長は「うっ」と口ごもり目を伏せた。
 はんっ、と鼻で笑って見せると、デスクに置いた書類を入れ革鞄を持ち上げる。

「クライアントのところに行ってきます」

 黒のパンプスを鳴らし、将棋の駒のように鎮座する社員たちを横切る。
 磨き抜かれた廊下を闊歩すれば、通りすがりに聞こえる談笑の声。
 給湯室前で足を止めた私の視界に映ったのは、休憩でもないのに紙コップを手にしながら話している男女の姿。
 銀行や証券会社などの金融系システムを担っている、理系業種のこの職場には、女性社員はほとんどいない。
 いるのはお茶汲みや誰にでもできる事務仕事をこなす雑用係の派遣くらい。
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