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導きの時

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 彼が姿を見せた刹那、時間が止まった気がした。
 先ほどまでの醜い空気が払拭されたような瞬間。
 この室内にいる誰もの視線を鮮やかに攫った彼は、大衆を見つめていた。

「なに、この綺麗な、猫……?」
「神々しい……こんな生き物がいるの?」

 澄み切った静寂の中、ぽつぽつとこぼれる台詞。
 猫の目の前にいたまりちゃんは、驚きで一歩引いていた足をゆっくりと進めた。
 釘付けになるのがわかる。
 
「可愛い……どこから来たの――」

 そう言ってまりちゃんが背を屈め、猫に触れようとした時だった。
 彼の纏う星屑のような光が、闇に呑まれ影が伸び上がる。
 三本に割れた尻尾、この建物を覆うほどの巨大で真っ暗な猫が襲いかかる。

「シャーーー!!」

 威嚇する鳴き声とともに、真っ青な顔をした参列客たちが追われるように出口へ向かう。
 すると待ってました、と言わんばかりに白鳥さんと未國さんが会場の扉を開けた。
 その先にいる獣たちを、私は確かに見た。
 
「キャーーッ! さ、猿っ、猿が引っ掻いた!」
「おいっ、イノシシが向かってくるぞ!」
「く、苦しい! なんだこれは、巻かれて息が……!」

 猿に、イノシシに、蛇に竜。会場の外に逃げ込んだ彼らを次々巻き込み、こらしめてゆく。
 恐怖の奇声がこだまし、徐々に遠のく頃、勝手に扉が閉まり、ピタリと静寂が訪れる。
 立ち往生していた私は、すっかり最初の形容に戻った彼の背を眺めていた。
 三本の尻尾を揺らしながら、くるりとこちらを振り向く。
 いつも私を癒してくれた、蜂蜜色の甘い瞳。
 見間違えるはずがない。
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