アオハルのタクト

碧野葉菜

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夢想曲(トロイメライ)

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 またアカンかった。あんなに練習したのに。肝心なところで引っかかった。もっとリラックスして弾ければよかった。そうすれば誰にも負けんかったはずやのに――。
 夏休みの直前、開催されたピアノのコンクール、一次は通過したものの、二次であっさり落っこちた。
 三歳から始めたピアノ、もうとっくに十年経過していて、とてもビギナーとは言えん。それやのに、未だ名のあるコンテストで最終審査まで進んだことがない。
 やけに晴れ渡る空が恨めしい。いっそ土砂降りになって、わけがわからんくらい、グチャグチャになって、俺のこの気持ちまで流してくれたらええのに。
 目の前に広がる湖、夏の陽射しを浴びてキラキラ光る水面、白いアヒルのボート。父さんと母さんが、昔デートで乗ったらしい。あの頃はもっと綺麗やったのにねって、そんなことは知らん。知ったこっちゃない。自分に関係ないことなんて、みんなどうでもええ。
 そんな投げやりな気持ちで、誰かの食べ残しを啄む鳩を眺めていると。

「バァッ!!」
「うわっ!?」

 奇襲をかけられ、ベンチの上で飛び跳ねた。ほんまに、尻が二、三センチ浮いたんやないかと思う。同時に近くにおった鳥たちも羽ばたいた。この時ばかりは、鳩の気持ちも理解できた。
 目を丸くして、脈打つ胸を押さえる俺の前には、片手を口に当て、ケタケタ笑う人物がおる。

「やばい、声、超裏返ってた」

 いきなり視界に飛び込まれて大声を出されたら、誰でも変な声が出るやろう。人を困らせて喜んでるんや。驚いた反応を見て、バカにしたように笑う、悪趣味な奴。

「そういうん、やめろ言うてるやん、心臓に悪い」
「別にいいでしょ、拓人は心臓強いんだから」

 確かに正常やとは思う、心電図で一回も引っかかったことがないし。かといって物理的な強さと精神的な強さが、比例するとは限らんやろう。臆病者をノミの心臓なんて揶揄する言葉もあるくらいや。
 だけどそれについて、反論の術はない。誰もが拒絶したいことを、生まれた時から経験し続けている彼女。自分が知らん薄暗い領域を、どこまで掘り下げてええかわからんかった。そんな俺の気持ちを、たぶん彼女は知っている。ようわかった上で、抵抗できん俺に、平気で答えにくい言葉を投げかけるんや。
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