アオハルのタクト

碧野葉菜

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夢想曲(トロイメライ)

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「もう、放したり、かわいそう――」

 最後まで言い終わる前に、春歌の右手が、蝶の羽を捕まえた。二枚重ねて、人差し指と親指でぎゅっと握る。わしゃわしゃと動く手足、無常ってこういうことか。

「無邪気に虫を殺していいのって、何歳までだと思う?」

 春歌はそう言って、そっと伸ばした左手の指で、羽をつまんだ。根本が離れてゆく。黒い胴体から、青い煌めきがむしり取られる。ひらひらと、茹だる夏の空気に泳ぐ、最後の一枚も。  
 羽をもがれて、イモムシのようになった蝶が、春歌の手から滑り落ちる。ようやく逃げることができたのに、もうどこにも行けん。地面でピクピク蠢く蝶――やったものに、死の匂いを嗅ぎつけた蟻が集まってくる。
 ここに来るまで、何匹蟻を踏み潰したやろう。蟻がよくて蝶はアカンなんて、説明ができん。哲学は苦手や。一つだけ言えるとしたら、綺麗か汚いかの違い。だからか、俺が止めることができんかったんは。蝶をもぐ春歌の顔が、あまりに綺麗やったから。
 
「拓人みたい」
「え?」
「こんな顔してた」

 春歌の顔を見た後、改めて視線を落とす。暑さのせいか、パリパリに乾いてヒビ割れた土。そこに横たわる瀕死の虫みたいな、俺がそんふうに見えたって言うんか。
 もう少しマシな例えがないもんかと思う反面、どこか納得してまう自分が一番腹立たしかった。

「どうせ、また落ちたんでしょ。だからここで黄昏てた」

 そうや。その通りや。なんとなく家におりたくない、一人になりたい時は、ようこの場所に来る。
 そんなことを、昔、春歌にだけは話したっけ。春歌は覚えてるんやろうか。ああ、頭がええから忘れられんのか。
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