アオハルのタクト

碧野葉菜

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夢想曲(トロイメライ)

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「優希ちゃん、拓人のこと好きなら、もっとちゃんと捕まえといてよ。コレ、私のとこばっか来るからさ」

 後ろにおる俺を指差した上、コレ呼ばわりなんて、失礼すぎるやろ。だけど、他の内容のインパクトが強いせいで、悪態つくタイミングを逃した。
 母さんも優希も似たような表情をしている。ポカンと開いた目と口、鳩が豆鉄砲を食らうって、たぶんこんな顔や。

「勘違いしないでね。今日はちょっと公園で、下着になって遊んでただけだから」
「ちょっ、もうええからっ、早よ、こっち!」

 二人にさらなる追い込みをかける春歌に、声を被せるように口を挟む。これ以上、誤解を生む発言を阻止するために、春歌の手首を掴み、階段へ連れていく。

「今から俺の部屋、来るん禁止な! ピアノ弾くから、絶対開けんなよ!」
 
 俺の大声に、あっけに取られた優希が我に返ったらしい。階段を上る後方から、追いかける足音が聞こえた。

「で、でもっ、春歌ちゃんは、柳瀬くんと付き合ってるんやろ!?」

 優希の発言は、ハッキリと俺に届いた。耳から耳へ、抜けてくれたらええのに。きっちり胸につかえて、しつこく頭に反響する。

「なによ、せっかく私が弁解してあげたのに」

 俺に引っ張られ、後ろをついて歩く春歌が、不服そうな声を漏らした。

「いらん。春歌が言うたら余計に傷口が広がる……いろいろ、めんどくさいねん」

 春歌が帰った後のことを考えると、胃の辺りがキリキリと痛む。ハァと一息つきながら、檜色の階段を上りきると、後ろを振り返った。

「自分の家でもないのに『おかえり』とか……ウケる」

 ふっと、薄い唇の隙間から漏れる吐息。いつも血色がええとは言えん膨らみは、嘲笑の色に染まっている。
 確かに、冷静に考えればおかしな話や。他人の家におって、その家の人間が帰ってきて「おかえり」なんて。
 おまけに優希は、俺の両親を「ママ、パパ」と呼んでいる。元は「たっちゃんママ、パパ」が、長くて省略された感じやけど、知らん奴らからすれば、優希の実親だと勘違いするやろう。それが俺たちにとっては、当たり前になっている。いつからなんて、記憶にないくらいや。
 慣れていくことの恐ろしさ。それを認識させる春歌は、なにより恐ろしい。
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