アオハルのタクト

碧野葉菜

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夢想曲(トロイメライ)

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「ちょっと待って、もう帰るん?」

 焦って呼び止める俺に、見返り美人な春歌の目が、だったらなにって物語ってる。なにか引き留める方法はないかと、疲れたはずの脳をフル回転させる。
 
「いや、せっかく来たし、外暑いし、ジュースでも」

 甘いもので釣ろうとするなんて、子供の頃から進歩がない。そもそも春歌は甘党やないのに、自分の学習能力の低さと、引き出しの少なさに嫌気がさす。
 春歌は変わらず俺を見ていた。穴が開きそうなほどまっすぐな瞳に、心まで見透かされそうや。こんな時はどうしたらええんかわからず、結局俺から目を逸らすことが多かった。
 
「じゃあソーダでも飲みながら、将来の夢でも語る?」

 ほら、やっぱり、今回も俺が視線を外した。ソーダなら、いくらでも飲みたい。シュワシュワ甘くてスカッと爽快で、青春にピッタリやないか。
 だけど俺たちはそれで終われん。将来への不安なんて、持てる時点で幸せなんやろう。自分が数年後も、存在してると信じてるんやから。
 友達との喧嘩や親との確執、好きな子を振り向かせる方法。なんで春歌は、そんなありきたりなことを、悩みにできんかったんやろう。
 春歌にとって、命に関わること以外は、その辺の石ころと同じ。生まれつきの重い病が、彼女の精神を強く、大人っぽく育んだ。まるで寿命を短く凝縮したかのように。

「安心してよ。健康で、両親が揃っていて、お金持ち、水島拓人の未来は夢と希望で溢れています」
  
 言い終えた春歌は、小さな笑みを送り去っていく。ドアを閉められた後も、春歌の残像がこびりついて離れんかった。
 春歌が言ってることは正しい。それが俺の状況で、取り巻く環境や。育ててくれた両親、優しい幼馴染、余りある時間と資金。
 自分が恵まれていると思えば思うほど、春歌の音が流れてくる。五感を攫う、歌う旋律。
 春歌の言う通り、俺の人生が夢と希望で溢れているなら、なんでこんなにも、みじめな気持ちになるんやろう。
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