アオハルのタクト

碧野葉菜

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受難曲(パッション)

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「俺はピアノがあるから、まあ、それなりに忙しい」
「そっか、拓人はピアノ習ってるもんな。よう飽きんとできるよなぁ」
「でもピアノって運動部やないし、そんなに大変ちゃうやろ」

 引っかかる部分が山ほどある。
 ピアノを習ってる?
 お前の塾と同じように言うなよ。
 大変ちゃうやろ?
 一体、どのツラ下げてそんなことを言うんや。ピアノのことも、俺のことも、全然わかってへんくせに、知ったふうな言葉にうんざりする。だけどここで異論を唱えたりせん。ピアノを必死で練習してることも言わん。プロになりたいなんて素振り、微塵も見せん。
 今の俺はただのピアノの生徒であり、その他大勢の一部に過ぎんから。いつか結果が出た時、周りからすごいなって言われて、プロになれるんやないかって言わせて、そこで初めて頷くんや。
 まさか俺なんかがって、まるであっさり成功したように、謙遜しながらインタビューを受ける。それが最高にカッコええと思うから、本音で話せる友達はおらんかった。

「そんなことより、お前さ、優希ちゃんとどこまで行っとん?」
「ええよなぁ、可愛いし優しいし、スタイルもよくて」

 机の前に立つ二人が、コソコソと小声で話しかけてくる。
 優希の話題は耳にタコや。一緒に登下校してるから、勘違いされても仕方がない。逆の立場なら、俺もそう思ったかも。無知は怖いし、罪やとも感じる。

「だから優希は彼女やないから」
「でもどう見ても、優希ちゃんはお前のこと好きやろ?」
「あんな幼馴染がおるって、拓人はほんまラッキーやな」

 昨日の出来事から心の整理がついてないのに、勝手なことばかり言われて苛立ちが募ってゆく。それでもなるべく角が立たん答えを考えていると、前に立つ二人の間からにゅっと長い手が伸びてきた。
 驚いた二人が反射的に身を引くと、開いた道に立つ人物が明らかになる。このタイミングと色白な手で、すでに誰かはわかりきっていたけど。
 俺の前に堂々と立つ春歌は、白いカッターシャツを小脇に抱えていた。
 
「お、おお、春歌、おはよ」

 言い終える前に、特に表情のない顔で、ずいっと衣類を差し出してくる。
 朝の挨拶もないなんて、無礼な奴――とは思わん。むしろ、苦手な話題を断ち切ってくれて感謝した。
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