アオハルのタクト

碧野葉菜

文字の大きさ
上 下
44 / 70
受難曲(パッション)

15

しおりを挟む
 無性にピアノを弾きたくなる時がある。コンクールや習い事のためやなく、その時の気分で浮かんだ曲を奏でたくなる。
 いつでも共通してるんは、ショパンの曲やということ。小さな頃から一緒に歩んできた、バリエーション豊かな曲たち。その中には、いずれかの感情に相応しいものが必ずある。 
 明るい時、感傷的な時……その狭間で揺れ動く複雑な今も、やっぱり俺は、ピアノを弾いていた。
 最後の鍵盤の音が空気に吸い込まれるように消えてゆくと、パチパチと精一杯の拍手が聞こえる。
 夕焼けに染まるグランドピアノから少し離れた場所、ダイニングテーブルの椅子をこちらに向けて座っている観客。にこりと微笑み顔を傾ければ、栗色のウェーブしたロングヘアーがふわりと揺れる。

「すごいわ、たっちゃん、ピアノの先生になれるね」

 いつからやろう。母さんの褒め言葉が「ピアニスト」から「先生」になったんは。もしかしたら本人も、気づいてないのかもしれん。
 プロは無理やけど先生ならって、遠回しにあきらめろって意味やと思う。俺がどんなに下手なピアノを弾いたところで、いつも反応は同じ、散々褒めちぎるだけ。ピアノの先生は、父さんの部下からの紹介で、顔色を窺ってるんか、厳しいことはまったく言わんし、コンクールの批評は、最終審査に残った人だけの特権や。だから未だに俺は、まともな感想をもらったことがない。
 いや、一回だけあったか。俺の努力を「つまんない」の一言で片付けた激辛評価。
 思い出し苦笑いをしながら、腰を上げて、ピアノの蓋を閉じる。すると、ダイニングチェアから立った母さんが、微笑んだまま歩み寄ってきた。

「来週、たっちゃんの誕生日、またばぁばたちの家で集まろね」

 親戚の集まりや、優希を呼ぶ時も、母さんは必ず疑問形やなく、肯定文で話しかける。そこに俺の意思はないのに、頷くことで望んだ形になる。決定事項に反発すると、ヒビが入って、どんどん広がって、すべてが壊れる。
 俺が生まれたんがお盆どきやからって、親戚の集まりをその日にする必要なんてないのに。子供の頃から始まった習慣は、高校生になっても続くらしい。ええ加減そういうの、鬱陶しくてしょうがないって、頭の中だけで吐き出した。
 小さく「わかった」とだけ答えて、楽譜を持って二階に向かう。息苦しいんは、急いで階段を上ったせいやろうか。
しおりを挟む

処理中です...