アオハルのタクト

碧野葉菜

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追奏曲(カノン)

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「あははっ、はーはーは!」

 プツリと空いた穴から、堪えていたものが一気に噴き出す。積み上げてきた枠が、跡形もなく崩れる。そこに残った後悔は、一種の光を纏っていた。
 狂ったように笑い終えると、腹を抱えていた腕を下ろし、すっと姿勢を整えた。顔を上げた先に広がる視界は、やけにクリアな現実を映す。

「ごめん、父さん、母さん。ピアノ、弾いてるん俺やないねん」

 驚くほどスラスラと言葉が出た。久しぶり、いや、初めてかもしれん。俺の本音を声にして伝えるんは。

「春歌……青木春歌」

 凍てついた空気を刃で突く。誰もが避けていた名前に、その場にいた全員が固まる。

「母さんは知ってたやろ、幼稚園の時、春歌のピアノを聴いたやんか」

 もう一人の運命の目撃者は、目を泳がせて唇を噛む。あの後、その話題に触れることは一切なかった。息子を遥かに凌駕する音楽を、認められずに葬り去った。

「春歌が死んで初めてのコンクール、腕が勝手に動いた。俺の意思に反して、毎晩毎晩、ピアノを弾く。どんどん激しくなって、指が攣っても止まらずに弾き続ける。俺やない、俺は、こんなに上手くない、俺は、俺にはさい……才能が、ない!」

 カラカラになった喉で、躊躇う答えを言い放った。思い詰めた表情で黙る父さんと、青い顔で周りの目を気にする母さん。両手を前に出して、必死に宥めようとする姿に白けた。

「落ち着いて、たっちゃん、最近忙しかったし、少し疲れてるんやわ」
「人絵さん、どんな育て方してるん」
「精神病院、いや、今は心療内科いうんか、そういうとこに行かせた方がええんちゃう」

 嫌悪と軽蔑に満ちた顔で、耳打ちを始める烏合の衆。中身のない礫は、どこか遠くに聞こえて、俺の内には届かん。

「無能で金だけ浪費してんのに、腫れ物に触るみたいに甘やかされて、そんな優しさがどれだけ俺を惨めにしてきたか……恵まれた人間って型にはめて、幸せまで決めつけて、あげく俺の結果は全部親のおかげって、結局誰もほんまの俺を見てへんだけやろ」

 ふらりと踵を返し、乱暴にドアを開けると、一気に玄関を駆け抜ける。
 いつも全力でぶつかってくるんは春歌だけやった。削り合って、傷つけ合って、深いところに数えきれんほどの証が残る。絆と呼ぶにはあまりに歪な刻印が、呪いのように俺を突き動かした。
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