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第三章 冒険者修行編

第二十六話 美味いっ!

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 オークが苦手な姉弟が間抜けなやり取りをしている傍らで、エドワルダは魔道具袋から調理器具を取り出し、手際良く準備を進めている。
 気を取り直した俺は、道中で採取した葉物などをエドワルダに渡し、その後は料理の完成までぼけーっとすることにした。
 魂が抜け落ちたようなエルフィは、輝きを失い曇った瞳で焦点の定まらないまま何処かを見ているが、きっとエルフィにだけ見える何かがそこにはあるのだろう。

 それにしても、エドワルダの持ってきた調理機具は凄いな。とても冒険者が持ち歩く魔道具じゃないよな。

 家庭用ガスコンロのような魔導コンロは魔石を燃料に炎を起こすのだが、地球のガスコンロのように火力の調整ができる代物で、形状も似ていて下部にはオーブンまで付いている。
 それと、小型ではあるが水を生んでくれる魔導シンクもあり、近くに水源がなくても水が使えるので、これは冒険者が泣いて喜ぶ逸品だろう。
 しかし、どちらも通常は家庭に設置する物なので、おいそれと持ち運びできる大きさではない。だがしかし、魔道具袋なら簡単に出し入れができるので、伏魔殿の中であっても使用することが可能だ。

 魔道具袋の凄いところは収容量も然ることながら、自分で持ち上げられない重量の物でも簡単に収納できることだろう。
 原理などはわからないが、魔道具袋の口を開き、対象物に触れ、『これを魔道具袋に収納しよう』と思うだけで、スゥーッと収納されてしまうのだ。取り出しも同じように、魔道具袋に手を入れて、『これを取り出そう』と思うと、スゥーッと目の前に出てくる。しかも、ズドンっと落ちるように出てくるのではなく、静かに目の前に現れるので、ちょっとした手品のようだ。

 魔道具を考えたり作った人は凄いなー、などと呑気に思っていると、鼻孔を擽る香りが何処からか漂ってきた。いや、何処からも何もエドワルダの手許からなのだが。

 そんな肉の焼ける香ばしさと香草の良い香りは、俺の意識を一気に奪っていく。
 肉の焼ける香りなど何度も嗅いでいるのだが、オーク肉の焼けるこの香りは、意識を逸らそうにも俺の心を捕らえて離さない。
 それでも何とか意識を逸らすことに成功し、ふとエルフィに視線を向けると、そこには瞳を閉じてうっとりした表情で鼻をスンスンさせている美少女の姿があった。

「姉ちゃん」
「スンスン……」
「姉ちゃん」
「スンスンスン……」
「放っておくか」
「スンスンスンスン……」

 エルフィのうっとりとした表情が、何かいけない薬にでも手を出したかのような危険なくらい幸せそうなので心配になり、これはいかんと俺は声を掛けてみたが、ヘヴン状態のエルフィは全く反応しないので放っておくことにした。

 暫くして、「できた」と言うエドワルダの声に、エルフィがピクリと反応していた。

 俺の声には反応しなくても、食事を与えてくれる人の声には反応するんだな。

 軽く俺が不貞腐れていると、エドワルダの魔道具袋から取り出されたテーブルには、パンの他に三品の料理が乗っていた。
 オーブンで焼いたのだろうか、テーブルの中央にある大皿にはこんがりと焼けているゴロッとした肉の塊が鎮座している。
 大皿の隣には、肉野菜炒め的な品が乗った中皿があり、スープは小分けされているが、ここにはスライスされた肉が入っている。

 エドワルダの料理は、味は可もなく不可もないのだが、食材の切り方などが大雑把で見た目があまり良くなく、何より食べにくい特徴という名の欠点があった。
 しかし、食材の切り方などが大雑把なのは今でも変わっていないのだが、それでも幾分は細かくなり、味の付け方は凄く上手になっている。今朝のスープも若干飲みにくかったが味は良かった。そのため、味に関しては心配は全くない。

 うん。食欲をそそる香り。若干焦げた肉の塊から、脂がジュウジュウと弾ける音とともに滴る。味の付け方が上手になっエドワルダが調理した料理は、見た目こそ些か不格好だが普通の料理に見える。よし、これは大丈夫だ。

 俺はオークが二足歩行の人間型の魔物であることを思い出さないよう、嗅覚を香りで刺激し、油が弾けるような音を聴覚を研ぎ澄まし聞き分け、料理として出来上がった品々で視覚を釘付けにした。
 後は、ナイフとフォークを使って触覚で肉の質感楽しみ、残りの感覚である味覚を舌に集中してただ味わうだけ。それだけで、俺の五感は全て使い切られる。

 余計なことは何も感じなくていい。俺は五感の全てを使って”肉”を頂くのだ。むしろ、それ以外に集中する必要はない!

 目の前にある料理はオークを使ったものだと思い出さないよう、ただただ”肉”に集中する俺は、この時点で目の前にある”肉”が”何の肉”であるかなど問題視していなかった。
 エドワルダが塊から切り分けてくれた”肉”にフォークを刺し、ナイフをスゥーッと入れる。
 何の抵抗もなく入ったナイフは、簡単に”肉”を切り分ける。
 俺はフォークの先にある”肉”を見つめ、ゴクリと喉を鳴らす。
 五感の内、味覚を除いた四つの感覚が、『この”肉”は旨い』と教えてくれた。
 先程の『ゴクリ』の原因は、俺の研ぎ澄まされた四つの感覚が教えてくれた『旨い』という合図に、まだ使っていないはずの味覚が勝手に反応して、唾液が口の中で溢れてしまった所為だ。

「いただきます」

 口に入れることを嫌悪するより、未だに”肉”を味わえないことに痺れを切らした俺の口は、無意識に言葉を発すると、”肉”の刺さったフォークを持つ左手が、これまた勝手に口へ向けて動き出した。
 こうなると、後はだらし無く開いた口にその”肉”を放り込み、咀嚼してじっくり味わうだけである。

 ――パクっ

「――――っ!」

 美味いっ!

 下拵えも碌にされておらず、一時間すらかからぬ焼き時間だった肉の塊が、僅かに付けられた塩と香草の風味とともに、肉の塊から溢れ出る脂が見事に絡み合い極上の味を俺の舌に感じさせる。
 この”肉”から溢れ出る脂の甘みと、”肉”自体の持つ旨味が、これ以上は何の調味料も必要としない程に美味いと思わせてくれる。
 
 しかし、本当に調味料は要らないのかと冷静に考えると、申し訳程度でも塩があるからこそ、この甘味が引き立っているのかもしれない、と思い至る。そして、ほのかに香る香草類の僅かな辛味、これはコショウの類だと思うが、これもまたアクセントとなり、この”肉”の旨さを引き立てている。

「……エドワルダ」
「ん?」
「美味いぞこの”肉”!」
「知ってる」

 俺はこの感動を与えてくれた調理人のエドワルダに、今まさに感じたばかりの感動を伝えたくなり、感謝の気持ちも込めて『美味い』と伝えたのだが、相変わらずの反応で返されてしまった。
 だがしかし、そんなことで意気消沈することもなく、俺は黙々と”オーク肉”を貪った。

 塩気の少ない肉野菜炒め風と、同じく塩気の少ないスープも、どちらもオーク肉の甘みと旨味で全てをカバーしており、味が薄いなどと露ほども思うことなくバクバク口に運んだ。

 俺はオークを思い浮かべないように五感を全て使って集中していたはずだが、いつしか脳裏で”オーク肉が美味い”と認識していた。それから暫くして腹が膨れるにつれ落ち着いた俺はふと思い出した。

 姉ちゃんはどうしてる?

 俺は夢中になっていたオーク肉の料理から視線を外し、そっとエルフィへと視線を流した。

「ちょっと、本当に、モグモグっ……これ美味しいわ、モグモグっ。――あぁ~、モグモグっ……止まらないぃ~」

 うん、俺以上の勢いでオーク肉を食べてるね……。

 俺は二足歩行の人型ってところに嫌悪感があり、それはある意味で『人間』を食べてしまうような錯覚に陥っていた。その所為でなかなかの葛藤があったのだが、エルフィは単に気持ち悪いというだけだったので、美味しそうな匂いがしていた時点で、既に食欲が勝っていたのかもしれない。

 でも、俺も嫌悪感を何とか自力で消し去る努力はしたつもりだけど、結局は美味そうだと思って食欲に任せ食べたわけだし、俺も姉ちゃんと変わらないよな。

 アホな姉と自分が同じだと思うのは少々不本意ではあるが、認めるほかなかったのである。

「ねぇエドワルダ」
「ん?」
「オークは沢山確保してあるわよね」
「ここにあるのと同じくらいだけ」
「なっ!? ブリッツェンがあんなに倒していたのに、どうしてそれだけなのよ!」

 オークの旨さに魅了されたエルフィは、オークが沢山確保されていると思っていたのだろう、ストックが少ない事実を突き付けられキレていた。

 そうだ、忘れてた。姉ちゃんは気に入った食材があれば、それだけをひたすら狩ってはストックするアホな人だった。

「ごめん姉ちゃん」
「何よ!」
「俺も姉ちゃんもオークを食べるのは嫌がってたでしょ? だから、エドワルダに必要な分だけ取るように言ったのは俺なんだ」
「何やってるのよ! こんなに美味しいのをあんなに倒したのに、どうして回収してないのよ! なんなの? 馬鹿なの? まったくもー」

 そうそう、知ってた。姉ちゃんは食べ物に関してはこういう人だった。
 理不尽なことを言われているけど、俺は反論とかしないよ。言うだけ無駄だし。

 ぶつくさ言いながらも、再びオーク肉に夢中になるエルフィを眺めながら、これからはオークをメインに狩ることになるのだろう、と思いつつも、自分としてもオークは美味いと思えるので、一刻も早く『二足歩行の人型の魔物を食べるのはちょっと……病』を完治させるには良いのかもしれないとも思った。

 余談であるが、日本人時代の俺は豚より牛派だったが、オークの登場により断然豚派になった。
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