星渦のエンコーダー

山森むむむ

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清濁併せ呑む

魔導書の解読 暗闇を知る道標

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 この事態は、ただ単に柳が繭に入り電脳世界へと単独でダイブしている、ということではない。
 命が失われそうなのだ。

 当然、何日も中にいれば衰弱する。飲まず食わずだ。
 その時間が長くなればなるほど、彼の救出は難しくなる。
 本人が命を賭けているつもりなら、おそらくは向こう数日健康を保つことは考えていない。つまり水も食事もろくに取らないまま入ったのだ。

 長時間の繭の使用で死亡した事例は過去にあり、有名なものはバラエティゲームに没頭しすぎたゲーマーが衰弱死した、というものである。
 冗談では済まされない。彼は遊ぶために今回の事態を引き起こしたわけではない。
 通常、一定時間が経過しても繭から出ない使用者の命を守るため、自動的に扉が開く仕様となっているが、それを防ぐために多重のロックとプログラム改変が施されていた。
 これを全て解体することは現実的ではない。全力をかけて自らを隔離している。時間稼ぎとしては十分だ。

 周囲の人間に危害が及び、命を奪われる最悪の事態を防ぐため犠牲を捧げようとしているのだ。自らの身体で。
 動機が大きすぎる。確固たる意思で自らを繭に閉じ込めた柳の気持ちを慮って、心が沈み込んでゆくのを抑えた。
 この動機であれば、発覚から救助されてしまう可能性をなんとしても潰そうとするはずである。

 置いてあった個人デバイスはオートモニタリングモードの繭を補助するために、彼自身が数々のプログラムを作成し、内密にプロトコルを走らせるための仕込みが施されていた。
 現在も稼働中であるが、外見上からは電源を完全にオフにしているかのように見えている。
「……どうにも、シノはだめだなあ。こーゆーの」
 コーヒーの缶を咥えた渋川が同意する。
「わかるか、お前にも。……かわいー奴なんだけどな」

 やはり、ユエンは彼が慎重で思慮深くはあるが、根底が素直すぎて悪巧みには向かないと考えた。経験のない計画には、ボロが出やすい。

 行き先を分析するために個人デバイスを暴く。
 高度なロックがかかるデータ領域を見つけ、目星をつけた。隠しているつもりなのだろうが、クリスタルへの行為以降、図書館での調査でも彼の人格への理解が深まった。
 皮肉にも彼が居なくなった後に、より親しみを感じている現状に、自嘲的な笑みを浮かべる。

 出会った日に、ユエンは彼が自分に興味を抱くよう仕向けた。
 視線で誘い、直後に興味を失ったかのように教室を出る。突然名前を呼び、一人きりで作業する室内へと入り込んだ。作業を手伝った。親切を示すが、こちらの情報は選び取ってわずかにしか与えない。
 全てのアプローチに素直に誘導されてしまう彼は、悪意を持った第三者に付け入る隙を与えてしまうように見えたが、ことクリスタルに危機が訪れた時の行動力には目を見張るものがあった。
 明確に計画して相手を誘引し、確証を得ると平和的方法で解決した。あの事件をユエンは静観したが、自分では考え得ない解決方法に驚いたことをよく覚えている。

 彼は対応策を経験上、知っている。
 そのケースが豊富なのだ。数々の分野に秀でているのであれば、なるほどその素直すぎる人格はそのままに、身につけた術を活用して身を守っていたことは納得できることであった。
 いくら仮面を挿げ替えようとも、役を演じようとも、人の魂は変えられない。

 バイザーを引き上げた。隣にいた渋川が声をかけてくる。
「本気だな、こりゃあ……」
 ユエンは応じた。
「束になってかかれば、流石に彼でも観念するでしょう」
 その言葉に渋川が眉を寄せた。彼が何かを言う前に、ユエンは続ける。
「……いえ、意思が固いことはわかります。観念、させます」


◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 部室にヴィンセントが現れる。パパ!と声を上げたクリスが駆け寄って、彼は大きな身体でクリスを抱きしめた。
 少し離れた位置で柊が一礼すると、ヴィンセントも目線で挨拶をする。

「柳くんは……」
「あの中に入ってる。柳……怖いに決まってるのに、一人でここに忍び込んで、シートを握りしめたままオートで……! 私、私……そばにいてあげたくて……だけどできなくて……!」
 傷ついた指先を見たヴィンセントは、娘の気持ちを察して眉間に皺を寄せる。

「島のネットワークをここで一部優先的に使えるよう手配している。うちの者がじきここへ来る予定だ。サファイアはハード面からの支援ができると言って動いている。今、各種ネットワーク機器と島のシステムを繋げるため部下を動かしているそうだ。食事なども学校に連絡したから来る」
 クリスタルは歩み寄った高崎と共に説明を聞いた。
「……うん、ありがとうパパ……」
「柳くんが、心配だろう」
 ヴィンセントはクリスの頭を撫でる。
 大きな瞳が柔らかく、安心したように潤んだ。この薄い金髪は、ヴィンセントにとって生まれ故郷を連想させる、懐かしいものだった。
「明日万全の体制で柳くんを迎えにいくんだろう?」
「……うん」
「涙を拭きなさい、クリスタル。お前は笑顔が一番かわいい」

 クリスは泣いてばかりいた。それは自らの半身と言えるほどに親しい彼が、決別を突きつけて離れ去ろうとしているのならば当然のことのように思える。
 目元は腫れていた。

 柳は泣くとこんなふうに目が腫れてしまう自分のことを、うさぎみたいだ、なんて言っていたことを回想する。
 クリスは、好きな人に腫れた目元を見せたくないと考えたのに、そんな冗談を言ってくれる柳を、また新しく好きになってしまったのだった。
 そう。そんな彼を助けに行きたい。希望を取り戻す。そのためには、今はやるべきことをきっちりと終えていかなくては。

「……うん、パパ! ありがとう。じゃ、私もう寝るね! ユエンに怒られちゃう」
「ああ、おやすみ。クリス」
「おやすみ、パパ」


◆ ◆ ◆ ◆ ◆


「あいつは人間だった」

 ベランダで風に吹かれていると、窓を開けたユエンに声をかけられた。彼は窓枠に肘をつくには背が高すぎて、そのまま立って話そうとしたが、長話がしたいのか引き戸を開けてベランダに出てきた。
「……なんだ急に。寝るんじゃねーのかよ、リーダー・チェン」
「寝る前のルーティンだ……毎晩こうして、空を拝んでる」
 もう消灯時間だった。男女別にした空き教室で、それぞれ好きなように横になっている。
 この部屋の大人たちは夜通し作業するつもりらしい。交代が来るから大丈夫、と言われていた。暗い部屋の隅から、まだ作業音が聞こえた。
「ふーん……俺は風に当たりたくてな」
「シノのことが、やっぱり心配だろ。ずっと一緒にいたんだもんな」
「……」
 ユエンは、無言を肯定と受け取ったようで、話を続ける。

「だからおれのことが許せなかったんだろ?」
 映画館でのこと、その後のジムでのこと。ユエンの強引な詰め寄りかたに反発して、自分は幾度か衝突した。
「親友として、お前が考えてることを阻止しないといけないなら……そうしようと思っていた」
 ユエンは長髪を結んでいた髪留めを外した。そして、首から下がったアクセサリーも手に取る。
 どれも金色に輝いたものであり、メッキではなくきちんと作られた本物であることが、なんとなくわかった。
「おれはシノに打ち明けた……隠蔽者のこと」
 知ったばかりの敵対組織の名称。
 まだ耳慣れないが、その口調からはユエンが今まで孤独に、真剣にこの組織と戦ってきたことが読み取れた。

「俺はシノに断ち切られた」
 喧嘩なんか、したこともなかった。クリスがきゃんきゃんと吠えるのをなだめ、謝る柳との仲を取り持つことがお決まりのパターン。その過程でクリスに怒られたり、柳に宥められたりした。それが自分の欠かせない日常。妹と彼ら。どちらも、大切だ。
 柳が自分から離れようとするなんて、想像したこともない。
「落ち込んでんの? 流磨……シノから親友と思われてないんじゃないかって? 嘘だろ」
 図星を突かれた。
「何がだよ、お前の立ち位置の方がよっぽどあいつに近い」
 立てた膝に置いていた腕を曲げ、頭を抱き込んで顔を隠す。
 構わずユエンが覗き込むように迫ってきた。こいつの距離の詰め方、やっぱり好きになれない。
「やっぱ妬いてんだろ。お前らしくもない。お前はシノの唯一無二だよ。背中のこと、知ってたんだろ」
「あれは事故で……」
 十歳の東雲柳は、クリス曰く『落ち着くまでの試行錯誤の段階』だったらしい。

 今にして思えば、柳はいつも壁を背にして着替え、決して他人には背中を見せないよう振る舞っていた。
 しかし、彼が経験した事件の深刻さをある程度知っていたクラスメイトと同様に、自分も深入りして彼を傷つけるよりは、遠巻きに傍観することを選んでいた。

 あの出来事は、単なる偶然。
 隣にいた男児が自分でなければ、他の誰かが背中を見ていた。その誰かがまた柳にさらに深い傷を与えたのかも知れず、また配慮ができる誰かなら、そいつが親友のポジションになっていたのかもしれない。
「受け入れたんだよな? シノは。それはお前があいつをちゃんと想ってやったからだろ、多分」
「……え」

 思いがけない指摘だった。
 そうか、あいつは俺を受け入れることを自ら選んだ。
 礼を言ってきた。そして微細な表情の緩みは、おそらくあの頃の東雲柳の、精一杯の笑顔だったろう。

「お前たちは、クリスと三人……あ、玲緒奈ちゃんもか。一緒にいるのが一番楽しそうだ。見ているこっちがニヤニヤするくらいに」
「そのれおのこと名前で呼ぶのなんなんだよ」
「他に呼び方あるかよ? お前も清宮だし」
「……あ、まあいいか……サンキュ」
 長く座っていたから、尻を痛くしないために立ち上がる。
 関節を伸ばした。体を動かす気持ちよさと、胸のつかえが降りた気持ちよさの、両方を深く味わう。

「綺麗だな、空」
 ユエンが首飾りを握ったまま言った。確かに、晴天の今夜は満点の星空だ。しかし素直な返答は柄じゃない。
「お前そういうこと言う奴なの?」
「失礼すぎないか?」
「いや、別にいいけど」
 ユエンは、ハート型のペンダントをしていたらしい。装飾品にあまり関心がないため、その形を流磨は覚えようとしていなかった。
 こいつは何か手首だの首だの、毎日色々とチャラチャラとくっ付けているやつだ。それを身につける良さというものが、今のところ自分にはわからない。
「なんなんだよお前……おれのこと嫌いなの?」
 下からじとりと睨まれる。普段から見下ろされる相手に見上げられているというのは、悪い気分じゃない。

 再び座る。
「変な奴だとは思ってる」
「悪かったって! シノのことは」
「いや、そーじゃなくて」
 暫しの無言。
「なんだよ」
 遠くで繁華街のドローンが光るのが見えた。
「……なんかお前、人の言葉を引き出して欲しいものだけ取っていくのが目的かと思えば、夜空見上げてキレーだとか、まるで意味のないこととか言ってくるじゃん。極端すぎ。意味がわからねえ」

 この島の警備システムは、自分たちが寝ている間にも常に見張っている。
「それは……まあ流磨は初対面で印象最悪だったろうってのはあるだろうけど」
「自覚してたのかお前」
「りゅ……! そりゃああるよ、心を痛めながら一生懸命やってたんだ! おれだって喧嘩はしたくない……ターゲットの親友なら仲良くなっておくべきか悩んだこともあった。だけど……」
「いいや、それはもういい。お前が悪いやつではないことは、この事態への対応を見てわかってる」
「……全部説明してないけど」
「そのうちに吐かせる」
「吐かせようとしなくても、言える範囲で言うよ!」

 警備ドローンが、警察車両を誘導している。どうやら繁華街で何かがあったらしい。たぶん、交通事故か喧嘩か、酔っ払いが暴れたか。
 世界的にも人口あたりの犯罪発生率が低いことで知られるこの国だが、この島はなかでも、概ね平和だ。
 まるで現状、自分たちが直面している事態なんてないかのように振る舞う、街の明かりたち。今は、普段のランニング中は煌びやかで眺めるのが好きな景色も、憎たらしいちらつきのように感じる。
 そんな人工物たちの上に、太古の光が無限に広がっていた。地上を眺めるのに飽き、ユエンの目線に当たりをつける。
 深呼吸をした。

「綺麗だよな。星って真っ暗で空気もなくて、なんにもないところに浮かんでんのに、おれらのとこまで届くの、すげーよな……今見てる光なんかずーっと昔のやつだし」
 ユエンは、長髪を手櫛でとかしながら空に見入っている。なんだ、ロマンチックを気取るには相手が違うだろう。
「星なんだよな、おれらは……あんなふうに、世界中本当は真っ暗闇なんだ。他の星にぶつかる奴もいるし、何もかもを飲み込むブラックホールなんてもんもある。この次元で一番スケールのでかい物理法則は、地球にしがみついてるおれらの社会と同じ……それは人が宇宙に進出するようになったって変わらなかった。羊飼いが見上げてた時代から、ただ、変わらないまま……なんか、無力だって思い知るために光ってるみたいだよ」

 意外と感傷的だ、と思った。
「そういやシノのやつ、俺とお前のほうが気が合いそうだなんて言ってたぜ」
「はあ?」
 再び睨まれた。自分の言葉ではないから、不当な仕打ちである。
「……やっぱお前とは気があわねーな」
「どーゆー意味だよ、りゅーちゃん」
「それマジでやめろ」

 思いを馳せる、ということを試みる。
 目を閉じてみると、やはり脳裏を過ったのは、あのばかやろうのことだった。仕方なくユエンの話に合わせ、自分の気持ちを説明する。
「……でかい星なんだよ、あいつは。昔から、一番輝く星だった。それが突然非常階段から、自分より何倍もでかい、信じてた大人に裏切られて落とされて、内側も外側もメチャクチャに踏み荒らされてぶち壊されて。でも俺はあいつの背中の傷をみてから、友達になった。……一度でも、あいつが無力な奴だと思ったことはない」
「……それが、シノが星だって言う理由なのか?」
 いいや、少し違う。大切なのは、その後だ。

 数多輝く星たちのなかの一人。ありふれた小さな輝きを、流磨も昔は自認していた。
 そこへ現れたのは、自分と同じく小さな、しかしキラキラとした眩しい輝きを取り戻そうとする少年。
 とても苦しそうだ。流磨は、助けてやりたいと思った。
 助けられたのは流磨の方だったのかもしれない。
 悩み苦しむ眩しい星は、この手を取って広い宇宙を教えてくれた。ここにいてもいいけど、君ももっと遠くの世界を見物してみない?と。

「あいつは輝きを奪われた。そりゃ、真っ直ぐに育てばもっともっとでかくて強くて、ちがう色の光に燃えていたかもしれねーけど、あいつは生きて努力して、人を導く星になった。……ユエン、俺の北極星はあいつだよ。シノが導いてくれなかったら今の俺はなかった。れおのメンタルコーチとか言ってるけど、れおは実際には俺を通して、あいつに導かれてるんだ」
 最愛の妹を支えられる自分。東雲柳と共に切磋琢磨する自分が、今は好きでいられる。ありふれた星じゃない。唯一無二だ。
 今までの努力と時間は、自分一人だけが持ち得る特別な、燃える光。
 自信を持つことができる。未来にある何かを、掴み取る力があると言える。そう、胸を張って。

 折角こちらが話を合わせてやったというのに、ユエンが間抜け面で迫ってきた。
「お前そういうこと言う奴だったの?」
「蹴っ飛ばすぞ、てめえ」
 顔を近づけるな、腹立たしい。脚で無駄にでかい身体を突き飛ばす。
「やめろって! ……いや、ごめん、茶化して。そうだな……おれもシノのことを知って、この島に来た。シノを、追って。」

 ユエンは拳に入っていた首飾りの、ペンダント部分を開いた。
 そこには日に焼けた健康的な肌の外国人……いや、ユエンも……こいつも外国人だ。じゃあ、おそらくアメリカの。
 外見、その色からして、実の兄弟にはみえない。流磨は彼の胸ぐらを掴んだ時の言葉を思い出す。

「おれにとっても星だな、東雲柳は」
 親友、だろうか?
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