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第弐章 戦国乱世、お金の章
第二十三節 女たちの闘い、開幕
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戦いの黒幕の2人目・大名と、3人目・国衆[独立した領主のこと]を悉く服従させるために……
4人目・『武器商人』を己の味方にしようと、織田信長はこう言って欺き始めた。
「わしは、全ての大名や国衆を従わせるまで決して戦を止めない。
そして。
全ての大名と国衆を従えた後は、朝鮮を制圧し、明へと攻め込む。
わしに味方すれば、どれだけの銭[お金]を儲けられるか考えてみよ!」
と。
「織田信長に『投資』すれば、確実に銭[お金]が儲かるぞ!」
永楽銭というお金を軍旗にまで掲げた信長に、お金を儲けたい人々は熱狂した。
瞬く間に信長にお金が集まり、瞬く間に信長の敵からお金が消えた。
「金の切れ目が、縁の切れ目」
この言葉の通り……
固い結束を誓い合った仲間までもが消え、先を争うように信長へ寝返っていく。
大名と国衆たちは、こうして信長への服従を余儀なくされた。
◇
次に各個撃破戦法の餌食となるのが、戦いの黒幕の4人目・武器商人である。
彼らはまんまと信長に欺かれていた。
平和な世を達成するために働いているなど、夢にも思っていなかったのだ!
天下惣無事命令。
つまり……
すべての戦を直ちに停止せよ、という命令が出た瞬間。
武器商人たちは信長がひた隠しに隠してきた真の狙いに気付き、そして怒り狂うことだろう。
「おのれ!
信長め!
『決して戦を止めない』
こう嘘を付いて、我らを欺いていたのか!
口惜しや……
まんまと利用されていたとは!」
と。
必死の抵抗を試みたところで既にもう遅い。
命令は絶対であり、いかなる理由があろうと決して例外を許さないからだ。
戦を止めない者たちに加えて……
兵糧や武器弾薬を売り捌いて銭[お金]を稼ごうと、争いの種を撒き、愚かな者を操って戦へと発展させようとする武器商人たちも『すべて』根絶やしにされる。
そして。
お金そのものを変えられて宋銭と永楽銭は『使用禁止』となり……
武器商人たちは戦争で儲けたお金をすべて失い、無力で、平凡な、ただの人間となる。
まさに、兵は詭道なり。
◇
「父上も、信長様も……
人の持つ傾向を知り尽くしておられたのですね」
「うむ。
策略とは、人の持つ傾向を『利用』するものだからな」
「だからこそ成功するのですか」
「そうだ」
「ではお教えください。
銭[お金]の登場で、人がこれほど大きく『変わって』しまったのはなぜですか?」
「変わってしまった、とは?」
「生きるための手段に過ぎない銭[お金]を、人が生きる目的へと変えていき……
大勢の人が銭の奴隷と化しました。
ただし。
銭は、人が生まれた最初から存在していたわけではありません」
「確かに」
「あの平清盛が日ノ本に持ち込んで、たかが数百年です」
「ははは!
そなただけであろうな。
人の数百年の歴史を、『たかが』などと考えるのは……」
「茶化さないでください」
「すまない。
そなたの視野の『広さ』に感心していたのだ」
「人は獣[動物のこと]とは全く違います。
獣にはなくて人だけが持っているものがあまりにも多いからです。
それなのに……
他人を思いやる心を忘れ、正義感を暴走させて相手を攻撃し、己の生き方について考えようともしません。
これでは獣と何ら変わらないではありませんか」
「……」
「人はなぜ、人だけが持つ貴重なものを生かせなくなったのでしょうか?」
「凛よ。
わしは別の視点から、同じことを考えたことがある」
「別の視点?」
「『人のあるべき姿』についてだ」
「人のあるべき姿、ですか」
「こう考えてみよ。
『赤子』が銭[お金]を欲しがったり、他人を攻撃したりするだろうか?」
「それはないでしょう」
「つまり。
人は本来、銭を欲したり、他人を攻撃する傾向を持っていないことになる」
「なるほど」
「真摯に『学ぶ』ことを怠るから、そうなるのだ」
「それゆえに……
父上は、寺で子供たちを教えておられたのですね?」
「うむ。
わしは、五つの徳を学ぶことだと結論付けた。
仁[自分より他の人を優先すること]、義[私利私欲より正義を重んじること]、礼[上下関係の秩序を守ること]、智[学ぶことを怠らないこと]、信[誠実であること]だ」
「五つの徳を持てば……
人は、人のあるべき姿に戻れると?」
「ところが。
オルガンティノという南蛮人がわしに献上した『書物』には、全く別のことが書かれていた」
父は、一冊の書物を娘に差し出す。
手に取るとずっしりと重い。
「この書物ですか?」
「そうだ。
何千年も前から長い年月を掛けて書かれたようだが……
この書物には、こう書いてあるらしい」
「何と書いてあるのです?」
「最初の人が……
邪悪な者に唆されて人を造りし御方に反抗し、己の好き勝手に生きることを望んだからだと」
「邪悪な者に唆されて人を造りし御方に反抗?
己の好き勝手に生きることを望んだ?
なぜ、そんな馬鹿な真似をしたのです?
それに。
邪悪な者とは、誰なのですか?」
「分からない。
この書物には、分からない部分が多すぎる。
宣教師のオルガンティノでさえ、我が問いに十分な答えができなかった」
「えっ!?
問いに十分な答えができないなんて……
宣教師に、他人にあれこれ教える『資格』があるのか疑問ですが」
「確かにそうだな」
「分かる範囲で考えると……
こうなるのでしょうか?
人が人のあるべき姿を失ったのは、その邪悪な者の『せい』だと」
「うむ。
一部しか我らの言葉に訳していないようだが……
この書物は、わしよりもそなたが持つべき書物なのかもしれん」
「わたくしに頂けるのですか?」
「凛よ。
探し求め続けるのだ。
人のあるべき姿とは、何か。
なぜ、それを失ってしまったかを」
「かしこまりました」
◇
一月後。
凛は、花嫁衣装に身を包んでいた。
かつて母の煕子が着ていた衣装だ。
「父上。
今までお世話になりました。
凛は、行って参ります」
娘が顔を上げた。
父が最も愛情を注いだ娘は、涙を浮かべていた。
ただし、その『目』は鋭さを増していた。
一つの記憶が呼び起こされる。
「あれは、信長様が手元に置いて大切に育てていた『愛娘』とお会いした日だ。
武田信玄の後継者である四郎勝頼に嫁ぐ前の12か13歳の頃か……
わしは、美しく鋭い目に強烈な印象を受けた。
千里眼。
あの御方の目は、千里の先まで見通せる異能[超能力のこと]を感じてしまうような目であった。
凛の目は、あの御方の目に瓜二つのような気がする」
「あの御方の目に瓜二つということは……
信長様が手元に置きたいと思ったほどの優れた『才能』を持っていることに加え、世の中の『本質』を見極めたい気持ちが非常に強いからなのか」
それよりも。
大粒の涙を浮かべて自分を見上げる娘の顔は……
父にとって、この世にこれ以上ないほどの愛おしい存在であった。
心の奥底から湧き上がる衝動を抑えることができず、珍しく涙を流し、そして最愛の娘を強く抱きしめた。
「わしは最愛の妻を失い、その血を受け継ぐ娘すら手放さねばならないのか!」
父は一時的に己の宿命を激しく呪った。
◇
1574年晩秋。
花嫁行列が摂津国の大名である荒木村重の居城・有岡城[現在の兵庫県伊丹市]へと向かっていた。
数百人もの護衛の兵が付き、それはそれは長いものであったという。
暗くなった頃に花嫁行列は到着する。
凛は女乗物と言う駕籠に乗っていたが、阿国と比留の導きで外に出た。
城には一斉に篝火が焚かれ、ゆらゆらと揺れる炎が幻想的な景色を作り出している。
侍女たちに促されるまで……
凛は、その景色をずっと眺めていた。
荒木村次と凛の婚礼の儀式が終わると、豪華な宴が始まる。
摂津国の大名である荒木家と、信長に最も重く用いられている明智家の縁組であれば当然だろう。
彼女は初めて夫の顔を見たが、自分を優しそうな目で見ていることに気付く。
少し安堵を覚えた。
一番の心配は、夫となる人が『優しい』かどうかであったからだ。
このときの村次と凛は、ともに15歳であった。
当時では結婚適齢期である。
◇
祝言の翌朝。
凛は夫より先に目が覚めた。
とても浅い眠りで夢を見ていたはずだが、その内容は覚えていない。
外は少し早い雪が降っている。
嫁ぐことが決まった日の夜、左馬助を想って一晩中泣き続けたのに……
昨夜は、優しい夫に自分の体を委ねた。
これらはわずかな期間で起こったことである。
決意の成せる業なのか?
人はこうも変わるものなのだろうか?
改めて自分の心境の移り変わりが不思議でならない。
凛の目が鋭くなった。
ここは敵地の真っ只中だ。
「今日この日より、戦いの黒幕たちを欺く日々が始まる」
3人の『女たちの闘い』が幕を開けた。
第弐章 戦国乱世、お金の章 終わり
4人目・『武器商人』を己の味方にしようと、織田信長はこう言って欺き始めた。
「わしは、全ての大名や国衆を従わせるまで決して戦を止めない。
そして。
全ての大名と国衆を従えた後は、朝鮮を制圧し、明へと攻め込む。
わしに味方すれば、どれだけの銭[お金]を儲けられるか考えてみよ!」
と。
「織田信長に『投資』すれば、確実に銭[お金]が儲かるぞ!」
永楽銭というお金を軍旗にまで掲げた信長に、お金を儲けたい人々は熱狂した。
瞬く間に信長にお金が集まり、瞬く間に信長の敵からお金が消えた。
「金の切れ目が、縁の切れ目」
この言葉の通り……
固い結束を誓い合った仲間までもが消え、先を争うように信長へ寝返っていく。
大名と国衆たちは、こうして信長への服従を余儀なくされた。
◇
次に各個撃破戦法の餌食となるのが、戦いの黒幕の4人目・武器商人である。
彼らはまんまと信長に欺かれていた。
平和な世を達成するために働いているなど、夢にも思っていなかったのだ!
天下惣無事命令。
つまり……
すべての戦を直ちに停止せよ、という命令が出た瞬間。
武器商人たちは信長がひた隠しに隠してきた真の狙いに気付き、そして怒り狂うことだろう。
「おのれ!
信長め!
『決して戦を止めない』
こう嘘を付いて、我らを欺いていたのか!
口惜しや……
まんまと利用されていたとは!」
と。
必死の抵抗を試みたところで既にもう遅い。
命令は絶対であり、いかなる理由があろうと決して例外を許さないからだ。
戦を止めない者たちに加えて……
兵糧や武器弾薬を売り捌いて銭[お金]を稼ごうと、争いの種を撒き、愚かな者を操って戦へと発展させようとする武器商人たちも『すべて』根絶やしにされる。
そして。
お金そのものを変えられて宋銭と永楽銭は『使用禁止』となり……
武器商人たちは戦争で儲けたお金をすべて失い、無力で、平凡な、ただの人間となる。
まさに、兵は詭道なり。
◇
「父上も、信長様も……
人の持つ傾向を知り尽くしておられたのですね」
「うむ。
策略とは、人の持つ傾向を『利用』するものだからな」
「だからこそ成功するのですか」
「そうだ」
「ではお教えください。
銭[お金]の登場で、人がこれほど大きく『変わって』しまったのはなぜですか?」
「変わってしまった、とは?」
「生きるための手段に過ぎない銭[お金]を、人が生きる目的へと変えていき……
大勢の人が銭の奴隷と化しました。
ただし。
銭は、人が生まれた最初から存在していたわけではありません」
「確かに」
「あの平清盛が日ノ本に持ち込んで、たかが数百年です」
「ははは!
そなただけであろうな。
人の数百年の歴史を、『たかが』などと考えるのは……」
「茶化さないでください」
「すまない。
そなたの視野の『広さ』に感心していたのだ」
「人は獣[動物のこと]とは全く違います。
獣にはなくて人だけが持っているものがあまりにも多いからです。
それなのに……
他人を思いやる心を忘れ、正義感を暴走させて相手を攻撃し、己の生き方について考えようともしません。
これでは獣と何ら変わらないではありませんか」
「……」
「人はなぜ、人だけが持つ貴重なものを生かせなくなったのでしょうか?」
「凛よ。
わしは別の視点から、同じことを考えたことがある」
「別の視点?」
「『人のあるべき姿』についてだ」
「人のあるべき姿、ですか」
「こう考えてみよ。
『赤子』が銭[お金]を欲しがったり、他人を攻撃したりするだろうか?」
「それはないでしょう」
「つまり。
人は本来、銭を欲したり、他人を攻撃する傾向を持っていないことになる」
「なるほど」
「真摯に『学ぶ』ことを怠るから、そうなるのだ」
「それゆえに……
父上は、寺で子供たちを教えておられたのですね?」
「うむ。
わしは、五つの徳を学ぶことだと結論付けた。
仁[自分より他の人を優先すること]、義[私利私欲より正義を重んじること]、礼[上下関係の秩序を守ること]、智[学ぶことを怠らないこと]、信[誠実であること]だ」
「五つの徳を持てば……
人は、人のあるべき姿に戻れると?」
「ところが。
オルガンティノという南蛮人がわしに献上した『書物』には、全く別のことが書かれていた」
父は、一冊の書物を娘に差し出す。
手に取るとずっしりと重い。
「この書物ですか?」
「そうだ。
何千年も前から長い年月を掛けて書かれたようだが……
この書物には、こう書いてあるらしい」
「何と書いてあるのです?」
「最初の人が……
邪悪な者に唆されて人を造りし御方に反抗し、己の好き勝手に生きることを望んだからだと」
「邪悪な者に唆されて人を造りし御方に反抗?
己の好き勝手に生きることを望んだ?
なぜ、そんな馬鹿な真似をしたのです?
それに。
邪悪な者とは、誰なのですか?」
「分からない。
この書物には、分からない部分が多すぎる。
宣教師のオルガンティノでさえ、我が問いに十分な答えができなかった」
「えっ!?
問いに十分な答えができないなんて……
宣教師に、他人にあれこれ教える『資格』があるのか疑問ですが」
「確かにそうだな」
「分かる範囲で考えると……
こうなるのでしょうか?
人が人のあるべき姿を失ったのは、その邪悪な者の『せい』だと」
「うむ。
一部しか我らの言葉に訳していないようだが……
この書物は、わしよりもそなたが持つべき書物なのかもしれん」
「わたくしに頂けるのですか?」
「凛よ。
探し求め続けるのだ。
人のあるべき姿とは、何か。
なぜ、それを失ってしまったかを」
「かしこまりました」
◇
一月後。
凛は、花嫁衣装に身を包んでいた。
かつて母の煕子が着ていた衣装だ。
「父上。
今までお世話になりました。
凛は、行って参ります」
娘が顔を上げた。
父が最も愛情を注いだ娘は、涙を浮かべていた。
ただし、その『目』は鋭さを増していた。
一つの記憶が呼び起こされる。
「あれは、信長様が手元に置いて大切に育てていた『愛娘』とお会いした日だ。
武田信玄の後継者である四郎勝頼に嫁ぐ前の12か13歳の頃か……
わしは、美しく鋭い目に強烈な印象を受けた。
千里眼。
あの御方の目は、千里の先まで見通せる異能[超能力のこと]を感じてしまうような目であった。
凛の目は、あの御方の目に瓜二つのような気がする」
「あの御方の目に瓜二つということは……
信長様が手元に置きたいと思ったほどの優れた『才能』を持っていることに加え、世の中の『本質』を見極めたい気持ちが非常に強いからなのか」
それよりも。
大粒の涙を浮かべて自分を見上げる娘の顔は……
父にとって、この世にこれ以上ないほどの愛おしい存在であった。
心の奥底から湧き上がる衝動を抑えることができず、珍しく涙を流し、そして最愛の娘を強く抱きしめた。
「わしは最愛の妻を失い、その血を受け継ぐ娘すら手放さねばならないのか!」
父は一時的に己の宿命を激しく呪った。
◇
1574年晩秋。
花嫁行列が摂津国の大名である荒木村重の居城・有岡城[現在の兵庫県伊丹市]へと向かっていた。
数百人もの護衛の兵が付き、それはそれは長いものであったという。
暗くなった頃に花嫁行列は到着する。
凛は女乗物と言う駕籠に乗っていたが、阿国と比留の導きで外に出た。
城には一斉に篝火が焚かれ、ゆらゆらと揺れる炎が幻想的な景色を作り出している。
侍女たちに促されるまで……
凛は、その景色をずっと眺めていた。
荒木村次と凛の婚礼の儀式が終わると、豪華な宴が始まる。
摂津国の大名である荒木家と、信長に最も重く用いられている明智家の縁組であれば当然だろう。
彼女は初めて夫の顔を見たが、自分を優しそうな目で見ていることに気付く。
少し安堵を覚えた。
一番の心配は、夫となる人が『優しい』かどうかであったからだ。
このときの村次と凛は、ともに15歳であった。
当時では結婚適齢期である。
◇
祝言の翌朝。
凛は夫より先に目が覚めた。
とても浅い眠りで夢を見ていたはずだが、その内容は覚えていない。
外は少し早い雪が降っている。
嫁ぐことが決まった日の夜、左馬助を想って一晩中泣き続けたのに……
昨夜は、優しい夫に自分の体を委ねた。
これらはわずかな期間で起こったことである。
決意の成せる業なのか?
人はこうも変わるものなのだろうか?
改めて自分の心境の移り変わりが不思議でならない。
凛の目が鋭くなった。
ここは敵地の真っ只中だ。
「今日この日より、戦いの黒幕たちを欺く日々が始まる」
3人の『女たちの闘い』が幕を開けた。
第弐章 戦国乱世、お金の章 終わり
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