大罪人の娘・前編

いずもカリーシ

文字の大きさ
23 / 65
第弐章 戦国乱世、お金の章

第二十三節 女たちの闘い、開幕

しおりを挟む
戦いの黒幕の3人目・国衆くにしゅう[独立した領主のこと]をことごとく屈服させるために……
4人目・『武器商人』をおのれの味方にしようと、織田信長はこう言ってあざむき始めた。

「わしは、全ての大名や国衆を従わせるまでいくさを止めない。
そして。
全ての大名と国衆を従えた後は朝鮮ちょうせんを制圧し、みん[当時の中国の王朝のこと]へと攻め込む。
わしに味方すれば、どれだけの銭[お金]を儲けられるか考えてみよ!」
と。

「織田信長に『投資』すれば、確実に銭[お金]が儲かるぞ!」
今川の大軍を撃破した実績に加え、永楽銭えいらくせんというお金を軍旗ぐんきにまで掲げた信長に……
お金を儲けたい人々は熱狂した。
瞬く間に信長にお金が集まるのと同時に、瞬く間に信長の敵からお金が消えた。

「金の切れ目が、縁の切れ目」
この言葉の通り……
信長の敵たちの中にあった『絆』はもろくも崩壊した。


こうして。
国衆くにしゅうは独立を失い、信長の家臣となることを余儀よぎなくされた。

 ◇

次の餌食は、戦いの黒幕の4人目・武器商人である。

彼らはまんまと信長にあざむかれていた。
平和な世を達成するために働いているなど、夢にも思っていなかったのだ!

天下てんか惣無事そうぶじ命令』。
すべてのいくさを直ちに停止せよ、という命令が出た瞬間。
武器商人たちは、信長がひた隠しに隠してきたしんの狙いに気付く。

「おのれ!
信長め!
いくさを止めない』
こう嘘を付いて、我らをあざむいていたのか!
口惜くちおしや……」

必死の抵抗を試みたところで既にもう遅い。
命令は絶対であり、いかなる理由があろうと決して例外を許さないからだ。
いくさを止めない者たちに加えて……
兵糧や武器弾薬を売りさばいて銭[お金]を稼ごうと、争いの種をき、愚かな者をあやつって戦へと発展させようとする者たちは『すべて』根絶ねだやしにされる。

続いて。
後醍醐天皇ごだいごてんのうが実現できなかった、お金そのものを変える施策しさくが断行される。
宋銭そうせん永楽銭えいらくせんは『使用禁止』となり……


まさに、兵は詭道きどうなり。

 ◇

「父上も、信長様も……
人が持つ傾向を知り尽くしておられたのですね」

「うむ。
策略とは、人が持つ傾向を『利用』するものだからな」

「だからこそ成功するのですか」
「そうだ」

「ではお教えください。
銭[お金]の登場で、人がこれほど大きく『変わって』しまったのはなぜですか?」

「変わってしまった、とは?」
「生きるための手段に過ぎない銭[お金]を、人が愚かにも生きる目的へと変えていき……
大勢の人が銭の奴隷どれいと化しました。
ただし。


「確かに」
平清盛たいらのきよもり日ノ本ひのもとに持ち込んで、たかが数百年です」

「ははは!
そなただけであろうな。
人の数百年の歴史を、『たかが』などと申せるのは……」

茶化ちゃかさないでください」
「すまない。
そなたの視野の『広さ』に感心していたのだ」

「人はけもの[動物のこと]とは全く違います。
獣にはなくて人だけが持っているものがあまりにも多いからです。
それなのに……
他人を思いやる心を忘れ、正義感を暴走させて相手を攻撃し、おのれの生き方について考えようともしません。
これでは獣と何ら変わらないではありませんか」

「……」
?」

「凛よ。
わしは別の視点から、同じことを考えたことがある」

「別の視点?」
「『人のあるべき姿』についてだ」

「人のあるべき姿……」
「こう考えてみよ。
『赤子』が銭[お金]を欲しがったり、他人を攻撃したりするだろうか?」

「それはないでしょう」
「つまり。


「なるほど」
真摯しんしに『学ぶ』ことをおこたるから、そうなるのだ」

「それゆえに……
父上は、寺で子供たちを教えておられたのですね?」

「うむ。
わしは、五つの徳を学ぶことだと結論付けた。
じん[自分より他の人を優先すること]、義[私利私欲より正義を重んじること]、礼[上下関係の秩序を守ること]、智[学ぶことを怠らないこと]、しん[誠実であること]だ」

「五つの徳を持てば……
人は、人のあるべき姿に戻れると?」

「ところが。
オルガンティノという南蛮人なんばんじんがわしに献上した『書物』には、全く別のことが書かれていた」

父は、一冊の書物を娘に差し出す。
手に取るとずっしりと重い。

「この書物ですか?」
「そうだ。
何千年も前から長い年月を掛けて書かれたようだが……
この書物には、こう書いてあるらしい」

「何と書いてあるのです?」
「最初の人が……


「邪悪な者にそそのかされて人を造りし御方に反抗?
おのれの好き勝手に生きることを望んだ?
なぜ、そんな馬鹿な真似をしたのです?
それに。
邪悪な者とは、誰なのですか?」

「分からない。
この書物には分からない部分が多すぎる。
オルガンティノでさえ、我が問いに十分な答えができなかった」

「えっ!?
そんなの、無知むち素人しろうとと何ら違いがないではありませんか!
宣教師に人を教える『資格』があるのかはなはだ疑問ですが」

「確かにそうだな」
「分かる範囲で考えると……
こうなるのでしょうか?
人が人のあるべき姿を失ったのは、その邪悪な者の『せい』であると」

「うむ。
一部しか我らの言葉に訳していないようだが……
この書物は、わしよりもそなたが持つべきなのかもしれん」

「わたくしに頂けるのですか?」
「凛よ。
探し求め続けるのだ。
人のあるべき姿とは、何か。
なぜ、それを失ってしまったかを」

「かしこまりました」

 ◇

一月ひとつき後。

凛は、花嫁衣装に身を包んでいた。
かつて母の煕子ひろこが着ていた衣装だ。

「父上。
今までお世話になりました。
凛は、行って参ります」

娘が顔を上げた。
父が最も愛情を注いだ娘は、涙を浮かべていた。

ただし、その『目』は鋭さを増していた。
一つの記憶が呼び起こされる。

「あれは、信長様が手元に置いて大切に育てていた『愛娘』とお会いした日のことだ!
確か。
武田信玄の息子、四郎しろう勝頼かつよりへ嫁ぐ直前の15歳くらい……
わしは、美しく鋭い目に強烈な印象を受けた。
千里眼せんりがん
あの御方の目は、千里の先まで見通せる異能[超能力のこと]を感じさせてしまうような目であった。
凛の目は、あの御方の目に瓜二うりふたつのような気がする」

「あの御方の目に瓜二つということは、信長様が手元に置きたいと思うほどの素質を持っていることに加えて……
世の中の『本質』を見極めたい気持ちが強いからなのだろうか」

それよりも。
大粒の涙を浮かべて自分を見上げる娘の顔は……
父にとって、この世にこれ以上ないほどのいとおしい存在であった。
心の奥底から湧き上がる衝動を抑えることができず、珍しく涙を流し、そして最愛の娘を強く抱きしめた。

「わしは最愛の妻を失い、その血を受け継ぐ娘すら手放さねばならないのか!」
父は一時的におのれの宿命を激しく呪った。

 ◇

1574年晩秋。

花嫁行列が摂津国せっつのくにの大名である荒木村重あらきむらしげの居城・有岡城ありおかじょう[現在の兵庫県伊丹市]へと向かっていた。
数百人もの護衛の兵が付き、それはそれは長いものであったという。

暗くなった頃に花嫁行列は到着する。
凛は女乗物おんなのりものと言う駕籠かごに乗っていたが、阿国おくに比留ひるの導きで外に出た。

城には一斉に篝火かがりびかれ、ゆらゆらと揺れる炎が幻想的な景色を作り出している。
侍女じじょたちに促されるまで……
凛は、その景色をずっと眺めていた。

荒木村次むらつぐと凛の婚礼の儀式が終わると、豪華な宴が始まる。
摂津国の大名である荒木家と、信長に最も重く用いられている明智家の縁組であれば当然だろう。

彼女は初めて夫の顔を見たが、自分を優しそうな目で見ていることに気付く。
少し安堵あんどを覚えた。
一番の心配は、夫となる人が『優しい』かどうかであったからだ。

このときの村次と凛は、ともに15歳であった。
当時では結婚適齢期である。

 ◇

祝言の翌朝。

凛は夫より先に目が覚めた。
とても浅い眠りで、何か夢も見ていたはずだが、その内容は覚えていない。
外は少し早い雪が降っている。

嫁ぐことが決まった日の夜、左馬助さまのすけを想って一晩中泣き続けたのに……
昨夜は、優しい夫に自分の体を委ねた。

これらはわずかな期間で起こったことである。
決意の成せる業なのか?
人は、こうも変わるものなのだろうか?
自分の心境の移り変わりが不思議でならない。

凛の目が、鋭くなった。
ここは敵地の真っ只中なのだ。


3人の『女たちの闘い』が幕を開けた。


第弐章 戦国乱世、お金の章 終わり
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

if 大坂夏の陣 〜勝ってはならぬ闘い〜

かまぼこのもと
歴史・時代
1615年5月。 徳川家康の天下統一は最終局面に入っていた。 堅固な大坂城を無力化させ、内部崩壊を煽り、ほぼ勝利を手中に入れる…… 豊臣家に味方する者はいない。 西国無双と呼ばれた立花宗茂も徳川家康の配下となった。 しかし、ほんの少しの違いにより戦局は全く違うものとなっていくのであった。 全5話……と思ってましたが、終わりそうにないので10話ほどになりそうなので、マルチバース豊臣家と別に連載することにしました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

織田信長 -尾州払暁-

藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。 守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。 織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。 そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。 毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。 スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。 (2022.04.04) ※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。 ※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。

アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)

三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。 佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。 幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。 ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。 又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。 海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。 一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。 事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。 果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。 シロの鼻が真実を追い詰める! 別サイトで発表した作品のR15版です。

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。 生きるために走る者は、 傷を負いながらも、歩みを止めない。 戦国という時代の只中で、 彼らは何を失い、 走り続けたのか。 滝川一益と、その郎党。 これは、勝者の物語ではない。 生き延びた者たちの記録である。

電子の帝国

Flight_kj
歴史・時代
少しだけ電子技術が早く技術が進歩した帝国はどのように戦うか 明治期の工業化が少し早く進展したおかげで、日本の電子技術や精密機械工業は順調に進歩した。世界規模の戦争に巻き込まれた日本は、そんな技術をもとにしてどんな戦いを繰り広げるのか? わずかに早くレーダーやコンピューターなどの電子機器が登場することにより、戦場の様相は大きく変わってゆく。

日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-

ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。 1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。 わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。 だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。 これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。 希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。 ※アルファポリス限定投稿

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

処理中です...