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第肆章 武器商人の都、京都炎上の章
第五十二節 将軍殺しの黒幕、京の都
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明智光秀、佐久間信盛、柴田勝家、丹羽長秀、木下秀吉など織田軍きっての将帥たちが自軍を率いるために織田信長の元を離れていくと……
菅屋長頼、長谷川秀一、福富秀勝、矢部家定、堀久太郎[後の堀秀政]、万見仙千代といった側近衆が信長の元に残ることとなった。
「信長様。
恐れながら……
申し上げたき儀があります」
側近衆で最初に口火を切ったのは、信長から最も気に入られている万見仙千代であった。
「申せ」
「それがしが常に気に掛けていることは、主の『評判』です」
「で、あるか」
「例え『半分』であったとしても……
京の都を焼き討ちにすれば、主の評判が落ちることは避けられません」
「では。
どうせよと?」
「可能ならば……
何卒、ご再考を」
「考え直せと申すのか?」
「御意」
◇
「待たれよ仙千代殿!」
仙千代の先輩格であり、親友でもある堀久太郎が慌てて止めに掛かった。
側近衆より格上である織田軍の将帥たちを集めた話し合いで、一度は決まったことである。
それを覆して最初からやり直せというのはあまりにも乱暴過ぎだろう。
「いくら信長様のお気に入りとはいえ……
このままでは、仙千代が罰せられてしまうかもしれない!」
咄嗟に久太郎は親友を庇おうとしたのだ。
ところが。
信長に怒りの表情は全く見えない。
むしろ我が子を教え諭すような目をしている。
「純粋に、正しさを追求するのは良いことだと思う。
ただし。
『木を見て森を見ず』
これはいかんぞ?
そちたちは広い視野を持ち、物事を一部ではなく全体として見ようとする優れた素質の持ち主ではあるが……
過去の『経緯』を知るという点ではまだまだのようじゃ」
「はっ。
未熟者の我らをお許しください」
「久太郎よ。
仙千代よ。
京の都に、大罪を犯した過去があることを知っているか?」
信長が発した想定外の話に、2人はしばし混乱した。
「大罪を犯した過去……?
どういうことでしょうか?
先程、木下秀吉様が仰ったようなことではなく?」
「今から8年ほど前。
京の都は、『将軍殺し』という大罪を犯したのじゃ」
「将軍殺し!?」
「武士の棟梁[代表のこと]であり、日ノ本の支配者でもある将軍を殺すなど……
決して許されることではない」
「何と!?
それは真にございますか?」
「久太郎。
仙千代。
京の都に巣食う商人どもが……
どれだけ屑であるかを教えてやろう。
己ばかりを安全な場所に置き、他人ばかりを危険な場所に置いて将軍殺しまでさせた顛末をな」
◇
「およそ8年前の5月19日。
将軍である足利義輝公が、京の都で三好一族によって殺害されたことは知っているな?」
信長の問いに対し、久太郎が先に応えた。
「存じております。
三好一族の中で最も優れた当主であった三好長慶の死後、三好一族と義輝公の関係が悪化し……
完成前の二条御所に1万人もの三好軍が押し寄せ、多勢に無勢で死を悟った義輝公は華々しく討って出て斬死したと……」
「『現象』の話など、どうでも良い。
それよりも。
三好一族が将軍に襲い掛かったのはなぜじゃ?」
「義輝公が三好一族の思い通りにならず、邪魔になったからだと……」
「久太郎よ。
逆に、将軍が三好一族の思い通りになったことが一度でもあったのか?」
「そ、それは……
ありません。
三好長慶が当主でいた頃から、将軍と三好一族は何度も衝突しておりました」
「良いか。
将軍を意のままに操りたい三好一族。
一方で。
三好一族ごときに意のままに操られるわけにはいかない、武士の棟梁である足利将軍家。
両者が相容れるはずがないのは分かるな?」
「その通りです」
「ただし。
将軍にとって最も重要な仕事である、京の都の治安を維持するには……
周辺で最も勢いがあった三好一族の持つ『武力』が不可欠であること。
阿波国[現在の徳島県]の一国衆に過ぎない三好一族にとって、相応の地位を得るには武士の棟梁である将軍という『権威』が不可欠であること。
両者が相容れないとしても、両者が互いを必要としていたことも分かるな?」
「まさに、その通りと存じます」
「繰り返すが。
京の都周辺に勢力を持ち、なおかつ足利家一門でもあった細川家や畠山家などの大名、その両家に属していた国衆たちにとって……
阿波国の一国衆に過ぎない三好一族に従うことがどれほどの屈辱か分かるか?
それもこれも。
武士の棟梁である将軍に重く用いられているからこそ仕方なく従うのであって、その将軍を殺してしまったら全てが『台無し』であろう」
仙千代が反応した。
「つまり。
広い視野で見れば……
三好一族にとって将軍を殺害する利点などなく、むしろ『自滅』の道であるはずだと?」
「ああ、そうじゃ」
「そうならば。
導かれる結論は一つしかありません。
『三好一族は、何者かに利用されて将軍を殺害した』
と」
「よく導いたな」
「義輝公は、日ノ本各地で起きていた大名同士の戦を止めさせようと何度も働きかけていたと聞きます。
武士の棟梁としての本来の『仕事』を全うしたかったのでしょうか」
「その結果として、日ノ本各地の大名同士が起こしていた戦が止んでしまうと……
『誰』が困る?」
「武器商人たち!」
「そういうことよ」
「ただし、一つ疑問が残ります」
「どんな疑問じゃ?」
「木下秀吉様は……
『京の都の商人は、儲けの一部を室町幕府に裏で収めていた』
こう仰っていました。
当然ながら、幕府の頂点に君臨している将軍とも深い関係を持っていたはずです」
「そうであろうな」
「仮に。
京の都の武器商人から……
『いっそのこと。
邪魔な将軍を殺してはどうです?』
こう唆されたところで、武器商人など信用しないはずです。
『おぬしたちは幕府と深い関係があると聞くぞ?
それなのに、将軍を殺せだと?
我ら三好一族を罠に嵌めるつもりなのか?』
と」
「仙千代の申した通り。
普通に考えれば……
京の都の商人どもに唆された程度で、将軍を殺して自滅の道を歩むとは考えにくい。
ただし。
三好一族が、将軍に対して激しい復讐心を抱いていたとしたらどうじゃ?」
「復讐心!?
何に対する復讐心です?」
「三好一族には、当主の長慶の他にも優れた人物がいたであろう。
弟の実休、冬康、一存に加え、嫡男の義興などじゃ。
この者たちは、ほとんどが謎の死を遂げている。
冬康に至っては忠義者にも関わらず逆賊に仕立て上げられたとか」
「あ!
そういうことにございますか。
三好一族は、何者かに偽りの話[デマ]を吹き込まれたと!」
「うむ。
『これらは将軍の足利義輝が、三好一族の力を削ごうとしてやったことだ』
とな」
「視野の広い優れた人物が尽く死に、視野が狭いことに加えて、己の頭で筋道を立てて考えられない小物ばかりが集まった三好一族ならば……
偽りの話[デマ]を真に受けたとしても何ら不思議はありません。
将軍に対して激しい復讐心を燃えたぎらせている状態で、莫大な銭[お金]を持つ京の都の商人たちに将軍を殺すよう唆されたら……
逆に、復讐を遂げる絶好の機会だと思ってしまう!」
「久太郎。
仙千代。
京の都に巣食う商人どもが……
どれだけ屑であるかが分かったであろう?
己ばかりを安全な場所に置き、他人ばかりを危険な場所に置いて将軍殺しという前代未聞の悪事を働かせるとは到底許されるものではない。
本来なら、京の都すべてを灰にしても決してやり過ぎではないと感じるのだが」
「……」
◇
「さて。
仙千代よ。
わしの評判を気にしてくれていることは嬉しく思うぞ。
加えて、無関係な者の犠牲を最小限にする必要もあろう。
用意周到な準備が必要だな」
「はっ」
「そこでじゃ。
久太郎と一緒にやって欲しいことがある」
「何をすればよろしいのでしょう?」
「京の都を2つに割れ。
醜い身内争いのせいで焼き討ちにあったとの『筋書き』を用意せよ」
「信長様。
京の都という敵を一致団結させないために、謀略を仕掛けて2つに割れとの命令にございますか?」
「『窮鼠、猫を噛む』
こういう言葉がある。
鼠のような雑魚であったとしても……
下手に追い込むとかえって一つにまとまり、厄介極まりない敵と化してしまう」
「仰る通り、如何にして敵を『一つにさせない』かが肝心と心得ます。
そういえば……
確か……
京の都の中に酷い差別が存在していることを思い出しました」
「ほう」
「その差別を『利用』して2つに割るのが良いかもしれません」
「久太郎。
仙千代。
期待しているぞ」
【次節予告 第五十三節 戦争をする理由は、第一にお金】
「織田信長が未曾有の大軍を率いて京の都を灰にするつもりらしい」
この知らせを聞いた京の都の人々に、過去の記憶が甦って来ます。
比叡山を焼き尽くす炎が、東の空を真っ赤に染めた日のことです。
菅屋長頼、長谷川秀一、福富秀勝、矢部家定、堀久太郎[後の堀秀政]、万見仙千代といった側近衆が信長の元に残ることとなった。
「信長様。
恐れながら……
申し上げたき儀があります」
側近衆で最初に口火を切ったのは、信長から最も気に入られている万見仙千代であった。
「申せ」
「それがしが常に気に掛けていることは、主の『評判』です」
「で、あるか」
「例え『半分』であったとしても……
京の都を焼き討ちにすれば、主の評判が落ちることは避けられません」
「では。
どうせよと?」
「可能ならば……
何卒、ご再考を」
「考え直せと申すのか?」
「御意」
◇
「待たれよ仙千代殿!」
仙千代の先輩格であり、親友でもある堀久太郎が慌てて止めに掛かった。
側近衆より格上である織田軍の将帥たちを集めた話し合いで、一度は決まったことである。
それを覆して最初からやり直せというのはあまりにも乱暴過ぎだろう。
「いくら信長様のお気に入りとはいえ……
このままでは、仙千代が罰せられてしまうかもしれない!」
咄嗟に久太郎は親友を庇おうとしたのだ。
ところが。
信長に怒りの表情は全く見えない。
むしろ我が子を教え諭すような目をしている。
「純粋に、正しさを追求するのは良いことだと思う。
ただし。
『木を見て森を見ず』
これはいかんぞ?
そちたちは広い視野を持ち、物事を一部ではなく全体として見ようとする優れた素質の持ち主ではあるが……
過去の『経緯』を知るという点ではまだまだのようじゃ」
「はっ。
未熟者の我らをお許しください」
「久太郎よ。
仙千代よ。
京の都に、大罪を犯した過去があることを知っているか?」
信長が発した想定外の話に、2人はしばし混乱した。
「大罪を犯した過去……?
どういうことでしょうか?
先程、木下秀吉様が仰ったようなことではなく?」
「今から8年ほど前。
京の都は、『将軍殺し』という大罪を犯したのじゃ」
「将軍殺し!?」
「武士の棟梁[代表のこと]であり、日ノ本の支配者でもある将軍を殺すなど……
決して許されることではない」
「何と!?
それは真にございますか?」
「久太郎。
仙千代。
京の都に巣食う商人どもが……
どれだけ屑であるかを教えてやろう。
己ばかりを安全な場所に置き、他人ばかりを危険な場所に置いて将軍殺しまでさせた顛末をな」
◇
「およそ8年前の5月19日。
将軍である足利義輝公が、京の都で三好一族によって殺害されたことは知っているな?」
信長の問いに対し、久太郎が先に応えた。
「存じております。
三好一族の中で最も優れた当主であった三好長慶の死後、三好一族と義輝公の関係が悪化し……
完成前の二条御所に1万人もの三好軍が押し寄せ、多勢に無勢で死を悟った義輝公は華々しく討って出て斬死したと……」
「『現象』の話など、どうでも良い。
それよりも。
三好一族が将軍に襲い掛かったのはなぜじゃ?」
「義輝公が三好一族の思い通りにならず、邪魔になったからだと……」
「久太郎よ。
逆に、将軍が三好一族の思い通りになったことが一度でもあったのか?」
「そ、それは……
ありません。
三好長慶が当主でいた頃から、将軍と三好一族は何度も衝突しておりました」
「良いか。
将軍を意のままに操りたい三好一族。
一方で。
三好一族ごときに意のままに操られるわけにはいかない、武士の棟梁である足利将軍家。
両者が相容れるはずがないのは分かるな?」
「その通りです」
「ただし。
将軍にとって最も重要な仕事である、京の都の治安を維持するには……
周辺で最も勢いがあった三好一族の持つ『武力』が不可欠であること。
阿波国[現在の徳島県]の一国衆に過ぎない三好一族にとって、相応の地位を得るには武士の棟梁である将軍という『権威』が不可欠であること。
両者が相容れないとしても、両者が互いを必要としていたことも分かるな?」
「まさに、その通りと存じます」
「繰り返すが。
京の都周辺に勢力を持ち、なおかつ足利家一門でもあった細川家や畠山家などの大名、その両家に属していた国衆たちにとって……
阿波国の一国衆に過ぎない三好一族に従うことがどれほどの屈辱か分かるか?
それもこれも。
武士の棟梁である将軍に重く用いられているからこそ仕方なく従うのであって、その将軍を殺してしまったら全てが『台無し』であろう」
仙千代が反応した。
「つまり。
広い視野で見れば……
三好一族にとって将軍を殺害する利点などなく、むしろ『自滅』の道であるはずだと?」
「ああ、そうじゃ」
「そうならば。
導かれる結論は一つしかありません。
『三好一族は、何者かに利用されて将軍を殺害した』
と」
「よく導いたな」
「義輝公は、日ノ本各地で起きていた大名同士の戦を止めさせようと何度も働きかけていたと聞きます。
武士の棟梁としての本来の『仕事』を全うしたかったのでしょうか」
「その結果として、日ノ本各地の大名同士が起こしていた戦が止んでしまうと……
『誰』が困る?」
「武器商人たち!」
「そういうことよ」
「ただし、一つ疑問が残ります」
「どんな疑問じゃ?」
「木下秀吉様は……
『京の都の商人は、儲けの一部を室町幕府に裏で収めていた』
こう仰っていました。
当然ながら、幕府の頂点に君臨している将軍とも深い関係を持っていたはずです」
「そうであろうな」
「仮に。
京の都の武器商人から……
『いっそのこと。
邪魔な将軍を殺してはどうです?』
こう唆されたところで、武器商人など信用しないはずです。
『おぬしたちは幕府と深い関係があると聞くぞ?
それなのに、将軍を殺せだと?
我ら三好一族を罠に嵌めるつもりなのか?』
と」
「仙千代の申した通り。
普通に考えれば……
京の都の商人どもに唆された程度で、将軍を殺して自滅の道を歩むとは考えにくい。
ただし。
三好一族が、将軍に対して激しい復讐心を抱いていたとしたらどうじゃ?」
「復讐心!?
何に対する復讐心です?」
「三好一族には、当主の長慶の他にも優れた人物がいたであろう。
弟の実休、冬康、一存に加え、嫡男の義興などじゃ。
この者たちは、ほとんどが謎の死を遂げている。
冬康に至っては忠義者にも関わらず逆賊に仕立て上げられたとか」
「あ!
そういうことにございますか。
三好一族は、何者かに偽りの話[デマ]を吹き込まれたと!」
「うむ。
『これらは将軍の足利義輝が、三好一族の力を削ごうとしてやったことだ』
とな」
「視野の広い優れた人物が尽く死に、視野が狭いことに加えて、己の頭で筋道を立てて考えられない小物ばかりが集まった三好一族ならば……
偽りの話[デマ]を真に受けたとしても何ら不思議はありません。
将軍に対して激しい復讐心を燃えたぎらせている状態で、莫大な銭[お金]を持つ京の都の商人たちに将軍を殺すよう唆されたら……
逆に、復讐を遂げる絶好の機会だと思ってしまう!」
「久太郎。
仙千代。
京の都に巣食う商人どもが……
どれだけ屑であるかが分かったであろう?
己ばかりを安全な場所に置き、他人ばかりを危険な場所に置いて将軍殺しという前代未聞の悪事を働かせるとは到底許されるものではない。
本来なら、京の都すべてを灰にしても決してやり過ぎではないと感じるのだが」
「……」
◇
「さて。
仙千代よ。
わしの評判を気にしてくれていることは嬉しく思うぞ。
加えて、無関係な者の犠牲を最小限にする必要もあろう。
用意周到な準備が必要だな」
「はっ」
「そこでじゃ。
久太郎と一緒にやって欲しいことがある」
「何をすればよろしいのでしょう?」
「京の都を2つに割れ。
醜い身内争いのせいで焼き討ちにあったとの『筋書き』を用意せよ」
「信長様。
京の都という敵を一致団結させないために、謀略を仕掛けて2つに割れとの命令にございますか?」
「『窮鼠、猫を噛む』
こういう言葉がある。
鼠のような雑魚であったとしても……
下手に追い込むとかえって一つにまとまり、厄介極まりない敵と化してしまう」
「仰る通り、如何にして敵を『一つにさせない』かが肝心と心得ます。
そういえば……
確か……
京の都の中に酷い差別が存在していることを思い出しました」
「ほう」
「その差別を『利用』して2つに割るのが良いかもしれません」
「久太郎。
仙千代。
期待しているぞ」
【次節予告 第五十三節 戦争をする理由は、第一にお金】
「織田信長が未曾有の大軍を率いて京の都を灰にするつもりらしい」
この知らせを聞いた京の都の人々に、過去の記憶が甦って来ます。
比叡山を焼き尽くす炎が、東の空を真っ赤に染めた日のことです。
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