独裁者・武田信玄

いずもカリーシ

文字の大きさ
60 / 74
【最終章 西上作戦】 武田家を滅ぼす策略に抗うべく、信長と家康打倒を決断す

第六十話 器用な息子、武田四郎勝頼

しおりを挟む
徳川家康が、武田信玄にめられる少し前のこと。

武田軍の補給線は……
駿河国するがのくにから遠江国とおとうみのくに[いずれも現在の静岡県]に至る1本のみであった。
現在の国道1号線に相当する。

これに信玄の息子・四郎しろう勝頼かつよりの活躍で2本目が出来た。
別動隊を率いて信濃国しなののくに高遠城たかとおじょう[現在の長野県伊那市高遠町]から杖突つえつき街道と秋葉あきば街道を南下して遠江国とおとうみのくに二俣城ふたまたじょう[現在の浜松市天竜区]の攻略に成功したからだ。
現在の国道152号線に相当する。

二俣城は難攻不落の城で有名であったが……
冴え渡った勝頼の采配によって水の手を断たれ、あっという間に陥落してしまう。
続いて勝頼は、これまたあっという間に大規模な『兵站へいたん拠点』を築いた。

 ◇

兵站拠点とは何だろうか?

答えから先に言うと、兵糧や武器弾薬を大量にたくわえておく拠点のことだ。
このような拠点は、戦場の兵士に兵糧や武器弾薬を補給する上で必要不可欠である。

攻めて来る敵から自分の領地を『防衛』している場合……
戦場が自分の領地内で非常に近く、そもそも補給を考える必要はない。

一方で、今回の武田軍のように敵の領地を『攻略』している場合……


補給を整えることをおこたれば、戦場にいる兵士たちに兵糧や武器弾薬が届かなくなる。
戦闘中に弾薬切れを起こして『敗北』する可能性が高まる。

仮に勝利できても、襲い掛かって来る激しいえを避けることができない。
兵士たちは生き延びるために食料の現地調達を余儀よぎなくされる。

要するに『略奪』の始まりだ。
これでは現地の人間からの敵意を増幅させるだけであり、次の勝利は覚束おぼつかないだろう。

一度は補給を整えたとしても……
攻略が進めば進むほど、自分の領地から戦場が『遠ざかって』いく。


要するに。
攻略戦で勝利を収めるためには、補給に要する時間を『短縮』することが絶対条件となり、できるだけ戦場の近くに兵糧や武器弾薬をたくわえる拠点を築くことが必要不可欠となるのだ。

こう考えると……
四郎勝頼が敵の総大将・徳川家康の居城のある浜松城からほど近い二俣城ふたまたじょう[どちらも現在の浜松市]に兵站へいたん拠点を作ることに成功したことは、戦局を有利に進める上で非常に大きな貢献を果たしたと言える。

これで武田軍の補給は盤石となった。

 ◇

四郎勝頼が率いる別働隊の動きは異常なほど早い。

難所を越え、難攻不落の城を落とし、大規模な兵站拠点を築く……
本来ならばどれも面倒なことを『手早く』済ませてしまった。

三方ヶ原みかたがはら合戦の直前。
想定よりもはるかに早い合流を果たす息子を見て、さすがの父も驚きを隠せない。

こう漏らすほどであった。
「息子よ。
どれも面倒なことであるのに、これほど手早く済ませてしまうとは……
見事であるぞ」

「有難きお言葉。


「正確さを後回しにしている割には……
十分に正確であったと思うが?
そなたは随分と『器用』だな」

父は、息子の尋常じんじょうならざる実力の片鱗へんりんを見たような気がしていた。

 ◇

ここから勝頼は、父の側で補佐することとなる。

三方ヶ原みかたがはらの台地に上がると……
父は突然、全軍に命令を出した。

「行軍を停止せよ。
そして、急ぎ布陣せよ」
と。

これを見た勝頼は、こう読んでいた。
「徳川家康は必ず追い掛けて来るだろう。
多くの城を落とされ、何とか我らに一矢報いっしむくいたいはずだ。
織田の援軍はたった3千人のようだが……
鉄砲の弾丸と火薬を大量に持ってきたとか。
これを最大限に生かした戦法を使ってくると考えるべきだろう。
一撃離脱戦法いちげきりだつせんぽう』だな」

続けてこう読む。
「このあたりは家康にとって庭のようなものだ。
奴の頭の中には全ての地形が入っている。
我らを狙撃するのに有効な場所をことごとく熟知していると考えた方が良い」

問題はここからであった。
「一撃離脱戦法。
これは……
我ら武田軍にとって厄介極やっかいきわまりないぞ?
行軍中でも、休憩中でも、食事中でも、睡眠中でも、突然に徳川軍から狙撃される。
いつどこから狙撃されるか分からない。
常に気が抜けず、夜もおちおち眠れない。
兵たちは体力も精神も消耗して、士気は大きく落ちるだろう。
父上はどう対処するつもりなのだろうか?」

 ◇

父が行軍を停止させた直後。

徳川軍が、浜松城を出たとの情報が入った。
予想通りの展開であった。
父もまた、同じように読んでいたのだろう。

布陣を命じたということは……
ここで一気に叩いておこうということか。

ところが!
布陣する陣形の名前を聞いて呆気あっけに取られてしまった。

「ん!?
魚鱗ぎょりんの陣』?」

魚鱗の陣は、大軍が使うべき陣形ではない。
むしろ大軍の利点を生かせる『鶴翼かくよくの陣』を組む方が兵法の常識だろう。

さらに驚いたのが……
武田軍最強との呼び声高い山県昌景やまがたまさかげ隊と、その昌景も一目置くほどの名将の内藤昌豊ないとうまさとよ隊を後方に配置したことだ。
これだけ強力な部隊を予備にするなど有り得ない。

父は一体、何を考えているのだろうか?

 ◇

父の武田信玄は、武田家における『独裁者』である。

「逆らう者は厳罰に処す」


数年前。
四郎しろう勝頼かつよりが尊敬していた兄であり、かつ父の嫡男ちゃくなんにして後継者である太郎たろう義信よしのぶが、謀反の疑いを掛けられて厳罰に処せられた。
父を追放して武田家当主の地位を奪い取るくわだて、つまり『義信事件』の黒幕としてであった。

「父以上に並外れた純粋さを持ち、なおかつ『不器用』でもあった兄が、父上を追放するくわだてを練り上げたと申すのか?
そんな馬鹿な!
兄が黒幕など、絶対に有り得ない。
やるなら正々堂々とやるはずだ!」
勝頼は、こう疑問を抱いていた。

そして。


兄は、隣国の駿河国するがのくに遠江国とおとうみのくに[合わせて現在の静岡県]を治める今川義元いまがわよしもとの娘を妻にしていた。
政略結婚で結ばれた夫婦ではあったが、兄は妻を一途に愛していたらしい。

一方。
兄のしゅうとである今川義元は……
嫡男ちゃくなん氏真うじざね凡人ぼんじん[普通の人という意味]に過ぎないことが頭痛の種であった。

「息子の代になれば武田信玄から侵略されるぞ!」
疑心暗鬼ぎしんあんきに陥った義元は、ある『命令』を出す。

桶狭間おけはざまの戦いで義元よしもとが討死したことで、命令は実行に移された。
あらかじめ武田家中かちゅう国衆くにしゅうや家臣の中にいる、欲深い愚か者どもを『買収』しておけ。
わしに万が一のことがあれば……

と。

事件の黒幕は、兄の太郎たろう義信よしのぶではなかったのだ!
あの海道一かいどういち弓取ゆみとりとも呼ばれた実力者・今川義元いまがわよしもとしんの黒幕と考える方が、はるかに納得がいく話ではないか!

それなのに、不器用な兄は……

 ◇

「わしは……
おのれの信念を貫いた結果として謀反人となるのは一向いっこうに構わない。
だがな!
どうしようもない奴らに利用され、謀反人に仕立て上げられるのだけは御免だ!
利用されるくらいならば!
自ら正々堂々と父上に挑み、敗れて謀反人として処断される方が、男として何百倍も素晴らしい『最期』ではないか!」

こう言った兄の太郎たろう義信よしのぶは、その後……
何の弁明もせず自害して果てた。

実際のところ。
くわだてに参加した者たちは、買収された欲深い愚か者ばかりではなかったようだ。
飫富虎昌おぶとらまさ長坂昌国ながさかまさくに曽根虎盛そねとらもりなど……
純粋に義信個人に対して忠誠を誓っていた家臣も少なからずいたらしい。

ただし。
誰が純粋で、誰が欲深いかを正確に区別することはできない。
飫富虎昌おぶとらまさら主だった者たちはことごとく処刑され、それ以外の者たちは領地と財産を没収された上で追放された。

こうして謀反人と見なされた者たちは徹底的に『粛清しゅくせい』されたのである。

 ◇

「逆らう者は厳罰に処す」

この厳格さは軍においても同様であった。
指揮官の命令に逆らう兵士は、その場で首をねられるのだ。

魚鱗ぎょりんの陣に布陣せよ」
父の命令はあまりにも非常識であったが……
誰も文句を言わず、瞬く間に完成した。

これを見た徳川・織田連合軍は、鶴翼かくよくの陣に布陣する。
本陣にいる武田一族の者たちがこう言い始めた。

「ははは!
敵は、兵法を知らないのか?
少数のくせに鶴翼の陣に布陣するとは……
馬鹿だな。
そんなに中央を突破されたいのか」

こう反論したかったが我慢した。
「十字砲火を狙っているのが分からんのか。
鹿鹿?」
と。


【次話予告 第六十一話 敵を欺くには、まず味方から】
合戦が開始すると……
四郎勝頼は、再び非常識な命令を聞きます。
「鶴翼の陣へ陣立てを変えよ」
と。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

if 大坂夏の陣 〜勝ってはならぬ闘い〜

かまぼこのもと
歴史・時代
1615年5月。 徳川家康の天下統一は最終局面に入っていた。 堅固な大坂城を無力化させ、内部崩壊を煽り、ほぼ勝利を手中に入れる…… 豊臣家に味方する者はいない。 西国無双と呼ばれた立花宗茂も徳川家康の配下となった。 しかし、ほんの少しの違いにより戦局は全く違うものとなっていくのであった。 全5話……と思ってましたが、終わりそうにないので10話ほどになりそうなので、マルチバース豊臣家と別に連載することにしました。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

本能寺からの決死の脱出 ~尾張の大うつけ 織田信長 天下を統一す~

bekichi
歴史・時代
戦国時代の日本を背景に、織田信長の若き日の物語を語る。荒れ狂う風が尾張の大地を駆け巡る中、夜空の星々はこれから繰り広げられる壮絶な戦いの予兆のように輝いている。この混沌とした時代において、信長はまだ無名であったが、彼の野望はやがて天下を揺るがすことになる。信長は、父・信秀の治世に疑問を持ちながらも、独自の力を蓄え、異なる理想を追求し、反逆者とみなされることもあれば期待の星と讃えられることもあった。彼の目標は、乱世を統一し平和な時代を創ることにあった。物語は信長の足跡を追い、若き日の友情、父との確執、大名との駆け引きを描く。信長の人生は、斎藤道三、明智光秀、羽柴秀吉、徳川家康、伊達政宗といった時代の英傑たちとの交流とともに、一つの大きな物語を形成する。この物語は、信長の未知なる野望の軌跡を描くものである。

もし石田三成が島津義弘の意見に耳を傾けていたら

俣彦
歴史・時代
慶長5年9月14日。 赤坂に到着した徳川家康を狙うべく夜襲を提案する宇喜多秀家と島津義弘。 史実では、これを退けた石田三成でありましたが……。 もしここで彼らの意見に耳を傾けていたら……。

織田信長 -尾州払暁-

藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。 守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。 織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。 そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。 毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。 スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。 (2022.04.04) ※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。 ※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。

織田信長IF… 天下統一再び!!

華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。 この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。 主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。 ※この物語はフィクションです。

アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)

三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。 佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。 幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。 ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。 又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。 海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。 一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。 事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。 果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。 シロの鼻が真実を追い詰める! 別サイトで発表した作品のR15版です。

幻の十一代将軍・徳川家基、死せず。長谷川平蔵、田沼意知、蝦夷へ往く。

克全
歴史・時代
 西欧列強に不平等条約を強要され、内乱を誘発させられ、多くの富を収奪されたのが悔しい。  幕末の仮想戦記も考えましたが、徳川家基が健在で、田沼親子が権力を維持していれば、もっと余裕を持って、開国準備ができたと思う。  北海道・樺太・千島も日本の領地のままだっただろうし、多くの金銀が国外に流出することもなかったと思う。  清国と手を組むことも出来たかもしれないし、清国がロシアに強奪された、シベリアと沿海州を日本が手に入れる事が出来たかもしれない。  色々真剣に検討して、仮想の日本史を書いてみたい。 一橋治済の陰謀で毒を盛られた徳川家基であったが、奇跡的に一命をとりとめた。だが家基も父親の十代将軍:徳川家治も誰が毒を盛ったのかは分からなかった。家基は田沼意次を疑い、家治は疑心暗鬼に陥り田沼意次以外の家臣が信じられなくなった。そして歴史は大きく動くことになる。 印旛沼開拓は成功するのか? 蝦夷開拓は成功するのか? オロシャとは戦争になるのか? 蝦夷・千島・樺太の領有は徳川家になるのか? それともオロシャになるのか? 西洋帆船は導入されるのか? 幕府は開国に踏み切れるのか? アイヌとの関係はどうなるのか? 幕府を裏切り異国と手を結ぶ藩は現れるのか?

処理中です...