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【研究者の旅立ち】
服の色は白、青、黒。そんな三人の旅立ち。
しおりを挟む「おーい、ステファン!大変だ、大変だ、これを見てくれ!」
「なーに?いつもながらに騒がしいね。どうしたの?」
息せきってドアを開けてきた黒衣の男、サイモン・プラサドをステファン・バルトゥーはいつもの通り悠然と出迎えた。
「レンヌに火種と布の買出しに行ったら、お触れが出てたんだ!買った布を一枚拝借して内容を書き写してきたんだけど、これがもうとんでもない事でさあ」
サイモンは巾着をぐりぐりとまさぐって、その布を取り出した。表面に書かれた文字を、ステファンは淡々と読んでいく。
「…北方蛮族の侵入に我がガロンヌ州はもはや対抗できる術を持たない。今週、土の曜日をもってエトルリア帝国はガロンヌ州を放棄し、隣のアルプ州に全ての軍民を移動する。もしこの命に従わぬ場合は全ての家財、食糧を接収し、場合によっては死罪に処する」
「ついにこの日が来たというわけか。あっけないな」
青いローブを身にまとう長髪の男が、奥の部屋からゆったりと歩いてきた。彼の名は、パトリシオ・ヤンという。
「のんびりしてる場合か!土の曜日って言ったらあと三日しかないんだぞ」
焦りを隠せないサイモンに、ステファンは相変わらず何事も無いかのように穏やかに応じる。
「ああ、三日じゃここの撤収はまず終わらないね。僕ら二人、片付けるのが壊滅的にヘタクソだから」
「この中で最も整理整頓が出来ているのは、どう見てもサイモンだな」
「つまりなんだ、俺に全部やれっていうのか?冗談じゃない」
そう言ってそっぽを向くサイモンの肩を、ステファンはそっと叩いた。
「諦めないで、方法がもう一つあるから」
「おっ、本当か!教えてくれ、なんなんだ?」
サイモンは少し期待を浮かべた目でステファンの方を向いた。そんな彼に、ステファンは容赦なくこう答えた。
「三人で逃げよう。それが一番いい」
「なんだとぉ?!」
次の日の朝早く、旅支度を整えた三人は研究所の入り口前でめいめい荷物を確認していた。
「おいステファン、本当に研究成果を全部置いてきて良いのかよ?」
「しょうがないよ、どうせ帝国のことだもの。調べるだけ調べさせて使う気ゼロに決まってる」
「二百年前から水周りも動力機関も全く同じものを使い続けているからな。国そのものも衰えているし、もはや発展しようという意欲も無いんだろう」
この三人は一応、帝国直属の研究所のスタッフである。帝国はかつて初代皇帝シクストスの時代に、その発展に資する文化を育てるため、様々な高等技術を有したと言われる古代文明の研究施設を各地に展開した。
しかし建国から約四百年の時を経てこれらは形骸化し、その成果が帝国の民衆のために活かされる事は無かった。
「そりゃあなぁ…俺達がいくら頑張ったところで、お偉方が全然反応してくれないんだもんな。しょうがないっちゃしょうがないけど、なんか残念だよ」
少し未練があるかのように、サイモンは木造りの研究所を眺めていた。
「ま、どの道成果も資料も道具も全部持って出て行くなんてまず無理だったから。これでよしとしなきゃね」
あっさりと言ってのけるステファンに、早速パトリシオが次を見据えた提案をする。
「それで、まずはどこに逃げるかだな。なおかつ、私達は戦いを得意としない研究者…護衛を雇うことも考える必要があるな」
「そうだね、ここからだとバエト州かアルプ州か…帝国の命令どおりにアルプに逃げるのもありだけど」
「言うとおりにしたところで、結局また冷や飯食わされる気がするのは俺だけか?」
「ごもっともだね。高飛びできるものならしたいよ。例えば、ずっと向こうにある国とかね」
ステファンはそう言って、東の方を指差した。エトルリア帝国よりずっと東に行くと、同じくらいの規模を持つ強大な王国があり、更にその東には謎に包まれた島国があるということらしいが、そんな場所まで行くのはこの当時の交通事情を見れば命がけに等しかった。
「この二つの選択肢ならば、バエトに行くほうが今までよりは自由にやれるかもしれないな」
パトリシオが冷静に見解を述べる。
「その代わり、たぶん仕事は探し直しだろうけどな。そこんとこ考えないとキツイと思うぞ」
と、すぐにサイモンから指摘が入る。
「三人力を合わせて、売り込めば良いじゃない」
結局、最後はステファンが事も無げにまとめようとするのだった。
「お前を見てると不安が尽きないよ…とにかく、バエトに行くならパトが言うとおり誰かに守ってもらわないとなあ。どうやって探す?」
「レンヌの酒場に行って、流れの戦士にでも声をかければ良いんじゃないか?」
「そうしようか。こういう世の中だから、持ちつ持たれつって事で言いくるめればタダでも護衛してくれるかもしれないしね」
非常に楽観的なステファンを、サイモンは相変わらず不安げに、パトリシオは何も考えていないかのように見つめていた。
「それじゃ、行こうか」
「分かった」
「はいはい」
一行は、ステファンを先頭に歩き出した。
研究所から続く獣道を暫く歩いていたとき、パトリシオが突然足を止めた。
「あだっ!なんだよパト、突然止まるなって!」
最後尾を歩き続けていたサイモンは当然のごとく、急に止まったパトリシオの背中に激突した。
「悪い。何か変なものを踏んだようでな」
「こういう所で人が踏むものって言えば、そうだね…」
「ステファン、汚いネタは禁止な」
二人が掛け合っているさなか、パトリシオは落ち着いてゆっくりと視線を地面に向けた。だが、その顔は見る見るうちに青ざめていった。
「どうしたの、顔に斜が入ってるよ?」
「…二人とも、すぐに走って逃げてくれ。私も後からついていく」
訳が分からないがとりあえず、と思って二人が駆け出そうとしたその時、後ろから飛び出そうとしていたサイモンが盛大に転んだ。
「どわっ!なんか足に巻きついてるぞ!何なんだよ、これ!」
「あぁ、蛇みたいだね」
ステファンはあっさり答えながら、既に数メートル前方を走って逃げていた。
「一人だけ余裕ぶっこいてんじゃねえ!助けろよ!」
「サイモン、そいつはどうやらマムシだな。下手に刺激するよりはそこで動かないほうがやり過ごせるかもしれない」
「これが落ち着いてられるかっての!」
サイモンは、背負っていた杖をどうにかこうにか取り出すと蛇に向かってがむしゃらに振り回し始めた。そのおかげでどうにか噛み付かれる事態には至っていないが、力尽きればマムシの毒を得るのは目に見えていた。
「そうだ、パト。思いっきり大きな声で助けを呼ぼう」
「…そうだった。そこは私の得意とする所だったな」
パトリシオは思い出したように頷くと、大きく息を吸い込み、普段の物静かさからは想像もつかないような野太い声を周囲に響かせた。
「誰か、助けてくれ!!仲間が蛇に襲われているっ!!」
―それを言い終わるか終わらないかというタイミングで、スパン、と綺麗な音がして蛇の血液が辺りに少し飛び散った。
「わ、わ…なんだ、何が起こったんだ?ひえっ!この蛇、いつの間にか首がなくなってるよ?」
「―落ち着いて。男の子でしょ?」
優しげだが、どこか威厳のある女性の声が聞こえてきた。ステファンとパトリシオも、それに気づいて声のした方を振り向く。
「ごめんなさいね、あんまりいきなりだったから少し驚かせちゃったかしら?」
青い髪の女性は三人に当たらないように返り血を払うと、すっとその剣を鞘に収めた。
「…見事すぎるくらいの早業だった。ともかく、ありがとう。これで仲間が助かった」
パトリシオは驚きを隠さぬまま、女性に向かって頭を下げた。
「いやぁ、凄いねぇ。本当に助かったよ」
ステファンは相変わらず、何事も無かったかのように飄々としていた。
「あ、ありがとうございます!」
一番大振りな反応をしたのはやはりサイモンで、少し頬を赤らめて頭を下げた。足にはまだ蛇の亡骸が巻きついたままになっているので、いささか不恰好だった。
「あら、左足に蛇が包まったままね。取ってあげるからじっとしてて」
「あ、はい…」
サイモンは更に顔を赤くして、少しもじもじしながら女性の介抱を受けた。
「どうしたの?恥ずかしがる事はしてないと思うんだけどなぁ…」
と、素直に疑問を浮かべる女性にステファンが答えた。
「彼は女性に免疫が無いんだよね。だから、こうしてなかなか面白い反応をするんだよ」
「久々に見せてもらうと、やはり良い図になっているな」
「うるさいな、お前らも揃いも揃って絶食系のくせに」
「あら、三人とも女の人に興味が無いってこと?」
またまた素直に、青髪の女性は尋ねてきた。
「別にそういうわけではないのだが」
「仕事柄、触れ合う機会が無いんだよね」
ステファンとパトリシオはあっさりと答えて、その話を終わりにしようとした。
「そうなの…ごめんなさい、初めて会った人になんて話してるのかしら。そう言えば、貴方達はどういう仕事をしてる人なの?」
向こうのほうから話題を変えてきたので、ステファンが代表してこれに答えた。
「僕らは帝国の古代文明研究施設の人間だったんだけど、近いうちにガロンヌから帝国が撤退するって事で、バエトあたりで新しい仕事を探そうかな…っていう感じで今出発したばかりなの」
「あら、それなら目的地は一緒ね」
「本当ですか!」
蛇から解放されたサイモンが、すっと立ち上がった。
「うん。バエト州のウエスカという街に仲間が待っているから、合流しようと思っていたところなのよ。良かったら、一緒に行かない?」
「これは、渡りに船だな。是非協力して欲しい」
「実はちょうど護衛を探していたところなんだ。もちろん、それなりの見返りは…」
言いかけたステファンを、女性は優しく制した。
「いらないわ。研究者さんって、いろいろ大変な思いをしている上にそんなに儲からないって聞いたから…私への報酬は、無くても大丈夫よ」
「さらっときつい事言ってのけてくれるね」
「しょうがないってステファン…事実だろ、それは」
女性に同意するサイモンの顔は、まだどこか恥ずかしそうだった。その二人を尻目に、パトリシオは丁寧に挨拶をした。
「何はともあれ、これで一緒に行く事が出来るな。迷惑をかけるかもしれないが、よろしく頼む」
「ええ、よろしくね。私はオルタンスよ」
「僕はステファン。こっちの青いのがパトリシオ、黒いのがサイモンね」
「なんて手抜きな紹介してるんだ!」
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