バッドエンド後の乙女ゲームでこれ以上なにをどう頑張れと言うのですか

石田空

文字の大きさ
4 / 16

声かけられても笑顔で躱した

しおりを挟む
 姉さんの踊りが終わり、私たちは楽器をひとまず置いてから、お客さんたちにお酌をはじめた。
 この辺りは前世でのキャバクラでさんざんキャストの先輩たちに叩き込まれたこともあって、楽器の稽古よりもよっぽど様になっていた。

「いやあ、素敵な演奏でしたね。芸妓になりたてで大変でしょうが、頑張ってくださいね」
「はい、ありがとうございます」

 しおんは早速お客さんたちに声をかけられ、笑顔で対応していた。それでもお酒の酌には慣れていないようでまごつくのを、姉さんがすかさずフォローを入れるからボロが出ていない。
 私も前世でさんざん先輩たちのお世話になったもんなあと、しみじみと思い返していたところで、私はよく知っている人にお酌をせねばと「お隣失礼しますね」と座って、お猪口に銚子でお酒を注いだ。
 ふわんと香り立つ日本酒の香り。多分高い奴だろうなと想像がつくけれど、それを幸哉さんはひと口喉を鳴らして飲んだ。

「……ありがとうございます」
「いえ。おかわりはいりますか?」
「食事をいただいてからで」
「はい」

 そこで会話は止まってしまう。
 キャバクラ時代でだったら、もうちょっと話を繋ぐことができたけれど、幸哉さんの前でだったら駄目だった。
 登紀子のもじもじとしたのがまろび出てしまうし、そもそも登紀子はそんなに口数の多い子じゃないから、変に思われてしまったら困ると、「お仕事はなにされてるんですか?」とか「ここには初めてですか?」みたいな初めての客の定番のセリフが喉から出てこない。
 丁寧な箸使いで、食事をいただく幸哉さんを眺めながら、ここでずっと座っていても不自然だからと、他のお客さんの面倒を見ようとしたとき。

「ああ……」

 幸哉さんがお猪口をひっくり返してしまった。ほとんどお酒は入っていなかったとはいえど、畳が少し濡れてしまう。
 私は慌てて懐の手拭いで畳を拭いてから、「代わりのお猪口をいただいてきますね」と立ち上がって廊下に出た。
 台所に新しいお猪口を取りに行こうとパタパタと歩いている中。

「登紀子さん」

 呼ばれて立ち止まるべきか、無視するべきかを迷ってしまった。
 聞きたいことはいくらでもあったけれど、それを聞いてしまっていいものかも、答えが出ない。
 あなたは今どこでなにをしているのか、とか。
 一見さんお断りなのに、どうやってここに来たのか、とか。
 もう新しく所帯は持ったんだろうか、とか。
 聞きたいことが溢れてきても、それを口にしてしまったら、まだ座敷に上がったばかりで稼いでもいないのに駄目だと、喉にすっぽりと蓋をした。
 幸哉さんはしばらくはなにも言わなかったけれど、またひと言投げかけてきた。

「芸妓さん」

 そう声をかけられてしまったら、答えるしかなくなった。

「はい」
「すみません、僕のせいでご迷惑をおかけして。着物は濡れませんでしたか?」
「いいえ。少し畳が濡れただけで、すぐ拭いたので無事でしたから。お客様はお召し物を汚したりしませんでしたか?」
「僕は食事をしていただけで、特になにも……いい旅館ですね」

 そう言って、廊下から中庭を眺めた。
 わびさびを取り入れたそこは、太い苔むした松の下に石と砂利が敷き詰められて、砂利は波を描いている。典型的な枯山水の庭だった。
 灯りで夜も見えるようにしているところがまた、粋な心遣いだ。

「そうですね」
「……今日、初めて座敷に上がったと伺いましたけど、いつから芸妓として修業なさっていたんですか?」

 その言葉に、私は答えを探して考えあぐねる。
 幸哉さんは優しい人だ。少なくとも私の記憶だけでなく、登紀子の中でも相当根を張っているくらいには。
 でも、再会するまでに時間が経ち過ぎている。
『華族ロマネスク』では、時間経過と共に、変化というよりも変質と言ったほうがいいくらいに性格が豹変してしまう人が少なくなくて、彼が私や登紀子の知っていた彼のままだという保証がどこにもなかった。
 少なくとも婚約を破談した幸哉さんのお父様は、登紀子の実家が借金まみれになったと知った途端に破談する程度には損切りが早い。これは次男が悲惨な目に合わないようにという配慮というよりも、おたくの息子さん預かってますからたかりに行きますという火の粉が飛んでくるのを防ぐためもあったのだろう。
 そんな損切りの早いお父様の影響を、幸哉さんが受けていないとは考えにくいのだ。
 一瞬ゴクリと唾を飲み下してから、私は笑顔をつくる。
 前世からの専売特許だ。どんなときにも、笑顔を忘れずに。

「新しいお猪口をすぐに用意しますから、ひとまず先にお座敷にお戻りくださいませ。すぐに戻りますから」
「芸妓さん……自分は、早乙女幸哉と申します。あなたは、なんとお呼びしたらよろしいですか?」

 そう尋ねられてしまった。
 笑顔が解けそうになるのを必死で堪えて、私はなんとか喉から声を振り絞った。

「……ときをとお呼びくださいませ」
「ときをさん」
「それでは、お座敷でごゆるりとお寛ぎあそばせ」

 そうしゃなりと礼をしてから、私はそそくさと廊下を歩いて行った。
 目尻から涙が溢れそうになるのを、私は必死で堪えていた。
 名前で呼んでくれた。呼んで欲しかった。あの人は誠実そうなままだった。でも。
 私の中で、死んだと思っていた登紀子がわんわんと声を上げて泣き出すのを感じながら、必死で堪えた。
『華族ロマネスク』では、いい人から順番に退場していく。残ったのは実父も含めて、ろくでもない人物ばかりだ。
 もし私が幸哉さんに泣きついたら……攻略対象たちを刺激しそうで怖い。
 そもそもこの辺り一帯の不審者事件が全く解決していないんだ。これが攻略対象という証拠もないのに、攻略対象じゃないという保証もない。
 死ぬかもしれないところに、幸哉さんを巻き込める訳ないじゃない。

「お願いだから冷静になってよ……あなただって幸哉さんが死ぬのは嫌じゃない。私たち、まだなんにも稼いじゃいないんだから、ここを五体満足に出られる保証だってないのよ? あなただってしばらく心を閉ざして死んだふりするくらいに、ひどい目に遭ったんでしょう? 同じ目に幸哉さんに遭って欲しいの? 少なくとも私は嫌だよ」

 私は登紀子にそう呼びかける。私の中の登紀子のぐずり声が止まった。よし。
 お金を稼いで、遊郭を出よう。攻略対象たちが手出しできない場所まで行かなくちゃ。
 そう心に強く決めたんだ。

****

「幸哉、柳田家のご息女との婚姻、諦めてもらう」

 父に呼び出しを受けたと思ったら、開口一番にそう切り出された。
 それに思わず僕は噛みついた。

「……どうしてですか? 父さんも彼女のことを気に入っていたではないですか」
「ああ、今時女学校に入ったら、すっかりと俗っぽくなる娘が多い中、彼女は華族としての振る舞いを忘れない、いい娘さんだと思っているよ。だが、柳田家はもう駄目だ……彼女のことは残念だが、諦めなさい」
「説明になっていません。どういうことかお教え願えますか?」
「最近、柳田家が傾いているということは知っていたかね?」

 華族は基本的に俗世に疎い。
 商売っ気のある華族は面汚しだとそしりを受けるが、見栄ばかり張る張りぼて状態を続けた結果、どんどん資産を食い潰していく者が後を絶たないとは聞いていた。

「知っていますが……柳田家が傾きかけているのであれば、建て直せばよいではありませんか。僕はそのために養子に入るつもりだったのですから」
「辞めておけ。借金が問題ではないのだ」
「では……いったいなにがそんなに問題なんですか?」
「金勘定ができない。それだけならば、我が家が援助をすれば済む問題ではあったが……よりによって借金する先をあそこは間違えた」

 カポン、とししおどしが鳴った。父の声は硬かった。

「よりによって、成金の鬼龍院家の援助を受けるとは……あそこと関わってはならん。火の粉が飛んでくる前に、養子縁組の話を白紙に戻してもらう」
「……鬼龍院と、ですか?」

 父は頷いた。
 最近やけに界隈を賑わせている富豪であり、わずか一代で巨万の富を得たとは言われているが、その商売には薄暗いところが多い。
 裏であくどい者たちと手を組んでいるとか、謀略で社交界の人心掌握をしているとか。
 既に没落しかかっている柳田家では、抵抗なんてできないだろう。
 父の言うことは正しいが。

「登紀子さんだけでも助けたいなんて、青臭いことを言うんじゃない」
「……っ!」
「彼女のことは、諦めなさい」

 父のひと言に、僕はとうとう最後まで逆らい続けることができなかった。
 今でも後悔している。どうしてあのとき、なにがなんでも彼女を助けると言い切ることができなかったのかを。

 家を出たのは、それから一年経った頃だった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

冷徹団長の「ここにいろ」は、騎士団公認の“抱きしめ命令”です

星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー全16話+後日談5話⭐︎ 王都最硬派、規律と責任の塊――騎士団長ヴァルド・アークライトは、夜の見回り中に路地で“落とし物”を拾った。 ……いや、拾ったのは魔物の卵ではなく、道端で寝ていた少女だった。しかも目覚めた彼女は満面の笑みで「落とし物です!拾ってくださってありがとうございます!」と言い張り、団長の屋敷を“保護施設”だと勘違いして、掃除・料理・当番表作りに騎士の悩み相談まで勝手に開始。 追い出せば泣く、士気は落ちる、そして何より――ヴァルド自身の休息が、彼女の存在に依存し始めていく。 無表情のまま「危ないから、ここにいろ」と命令し続ける団長に、周囲はざわつく。「それ、溺愛ですよ」 騎士団内ではついに“団長語翻訳係”まで誕生し、命令が全部“愛の保護”に変換されていく甘々溺愛コメディ!

我儘令嬢なんて無理だったので小心者令嬢になったらみんなに甘やかされました。

たぬきち25番
恋愛
「ここはどこですか?私はだれですか?」目を覚ましたら全く知らない場所にいました。 しかも以前の私は、かなり我儘令嬢だったそうです。 そんなマイナスからのスタートですが、文句はいえません。 ずっと冷たかった周りの目が、なんだか最近優しい気がします。 というか、甘やかされてません? これって、どういうことでしょう? ※後日談は激甘です。  激甘が苦手な方は後日談以外をお楽しみ下さい。 ※小説家になろう様にも公開させて頂いております。  ただあちらは、マルチエンディングではございませんので、その関係でこちらとは、内容が大幅に異なります。ご了承下さい。  タイトルも違います。タイトル:異世界、訳アリ令嬢の恋の行方は?!~あの時、もしあなたを選ばなければ~

とっていただく責任などありません

まめきち
恋愛
騎士団で働くヘイゼルは魔物の討伐の際に、 団長のセルフイスを庇い、魔法陣を踏んでしまう。 この魔法陣は男性が踏むと女性に転換するもので、女性のヘイゼルにはほとんど影響のない物だった。だか国からは保証金が出たので、騎士を辞め、念願の田舎暮らしをしようとしたが!? ヘイゼルの事をずっと男性だと思っていたセルフイスは自分のせいでヘイゼルが職を失っただと思って来まい。 責任を取らなければとセルフイスから、 追いかけられる羽目に。

初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】

星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。 だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。 しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。 王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。 そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。 地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。 ⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。

大根令嬢の雑学無双、王弟殿下を添えて。~ 前世を思い出したので、許婚をほったらかして人助けしまくります!!

古森真朝
恋愛
気弱な伯爵令嬢のカレンは、自分勝手な婚約者レナートに振り回されていた。耐え続けていたある日、舞踏会で何者かに突き飛ばされ、階段から落ちてしまう。 その傷が元で儚く……なるかと思いきや。衝撃で前世を思い出したカレンは一転、かの『ド根性大根』みたいな超・ポジティブ人間になっていた。 『モラハラ婚約者の思惑なんぞ知るか!! 今度こそ好きなことやって、目いっぱい幸せに長生きするんだから!!!』 昔ひたすら読書に耽って身に着けた『雑学』を武器に、うっかり採れ過ぎた作物や、開墾しようとすると不幸に見舞われる土地、不治の病にかかった王族、等々の問題をどんどん解決。 領地の内外で心強い友人が出来たり、いつの間にかものすごく有名になっていたり、何かと協力してくれる王弟ヴィクトルから好意を寄せられたり(注:気付いてない)する中、温かい家族と共に仕事に励んでいく。 一方、前世から因縁のある人々もまた、こちらに転生していて――

<完結>溺愛最強 ~気づいたらゲームの世界に生息していましたが、悪役令嬢でもなければ断罪もされないので、とにかく楽しむことにしました~

夏笆(なつは)
恋愛
「おねえしゃま。こえ、すっごくおいしいでし!」  弟のその言葉は、晴天の霹靂。  アギルレ公爵家の長女であるレオカディアは、その瞬間、今自分が生きる世界が前世で楽しんだゲーム「エトワールの称号」であることを知った。  しかし、自分は王子エルミニオの婚約者ではあるものの、このゲームには悪役令嬢という役柄は存在せず、断罪も無いので、攻略対象とはなるべく接触せず、穏便に生きて行けば大丈夫と、生きることを楽しむことに決める。  醤油が欲しい、うにが食べたい。  レオカディアが何か「おねだり」するたびに、アギルレ領は、周りの領をも巻き込んで豊かになっていく。  既にゲームとは違う展開になっている人間関係、その学院で、ゲームのヒロインは前世の記憶通りに攻略を開始するのだが・・・・・? 小説家になろうにも掲載しています。 本編完結済み。 続きのお話を、掲載中です。 続きのお話も、完結しました。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

人見知りと悪役令嬢がフェードアウトしたら

渡里あずま
恋愛
転生先は、乙女ゲーの「悪役」ポジション!? このまま、謀殺とか絶対に嫌なので、絶望中のルームメイト(魂)連れて、修道院へ遁走!! 前世(現代)の智慧で、快適生活目指します♡ 「この娘は、私が幸せにしなくちゃ!!」 ※※※ 現代の知識を持つ主人公と、異世界の幼女がルームシェア状態で生きていく話です。ざまぁなし。 今年、ダウンロード販売を考えているのでタイトル変更しました!(旧題:人見知りな私が、悪役令嬢? しかも気づかずフェードアウトしたら、今度は聖女と呼ばれています!)そして、第三章開始しました! ※重複投稿作品※ 表紙の使用画像は、AdobeStockのものです。

処理中です...