感情ジェネリック

石田空

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 保険医からもらった栄養バーのおかげでちょっとは腹も膨れ、午後の授業は受けられた。
 午後の授業を受けてから、天気の悪さにげんなりとする。
 この雨の中帰るのが嫌で、私は図書館に避難すると、本を借りてきて読んでいた。純文学を読み耽り、雨が緩くなったら帰ろうと思っていたら、私が前に戻したファンタジー小説が目に留まった。
 あのルーズリーフはどうなったんだろう。それとも、誰かに見られたのが恥ずかしくなって捨ててしまったんだろうか。私はその本を抜き取ると、ペラペラと捲ってみたら、新しいルーズリーフが差し込まれているのに気付いた。
 それを抜き取って文章に目を通す。

【なにがわかるの?】

 ずいぶんとツンケンとした意見だった。
 私はその手紙にどう答えたものかなあと腕を組んだ。
 書いている子は、うちの学校の子だとは思うけれど、全部ひらがななんだ。でも文字は読めてはいるから、多分書くのが苦手な子なんだろう。
 だとしたら、もしかすると不登校の子かもしれない。
 そこまで思考を飛ばして、私は首を振った。
 決めつけが原因で、居心地悪くて図書館に篭もっている私が、勝手にルーズリーフの子を決めつけてどうするんだ。もしかするとサボリ癖が付いている子が、暇つぶしに書いたものにマジの返事が来たから面白がっているだけかもしれない。
 最近習うネットリテラシーは、無言のルーズリーフにも通用するんだろうかと思いつつ、私は閲覧席に戻ると、ペンを取り出してどう返事を書いたものかと考えあぐねた。

【お兄ちゃんが死んだんだ。周りは勝手に同情してくるし、はれものあつかいしてくる。
 たしかにそれは世間一般では悲しいことかもしれないけれど、それは私には当てはまらない】

 そこまで書いて、思わず修正液で消してしまった。いくらなんでも乱暴過ぎる。
 私にとって、お兄ちゃんは好きじゃないけど嫌いじゃないという、中途半端な関係だった。年が離れているからとちやほやされた覚えもなく、だからと言って年下だからといじめられた覚えもない、強いて言うなら一緒に住んでいる他人みたいな関係だった。
 だから、ブラック企業に捕まって自殺した。その文面で周りから「お兄さんが亡くなって悲しんでいる」と同情されてもすごく困る。むしろそれが原因で家がガタガタになってしまっている現状に困っている訳だけれど、私がお兄ちゃんについて悲しまないと、なぜか周りが勝手にがっかりするんだ。勘弁して欲しい。
 そんなことを考えているものの、全くの見ず知らずの人にひけらかすことでもないから、さすがに修正液で消した。
 その代わり、別のことを書く。

【勝手に同情されて、勝手にはれものあつかいされるとうっとうしいよね】

 あまりにも無難な回答になってしまったけれど。私はインクが乾くのを待ち、インクが乾いたのを確認してから、そのルーズリーフを本に挟んで帰ることにした。
 雨は緩やかになり、これならば走って帰れそうなくらいになった。それにほっとしつつ、傘を差した。そのとき、私は図書館から別の子が出てきたことに気付いた。
 ちょうど麻に見かけた、ひどく金髪の似合う女の子だった。よくよく見てみると、同い年の女子は私も含めてどことなく肉がついてムチムチしているのに、その子はびっくりするほどほっそりとした体型をしていた。
 その子は傘を持っていなかったらしく、ゆるゆるとした雨すら、傘も差さずに立ち尽くしている。私は手持ちの傘を見た。
 中学時代、そこそこお気に入りの綺麗な傘を持っていたのに、誰かに取られて雨に打たれて帰る羽目になってしまった。それ以来、私は百円均一で買った傘しか使っていない。考えあぐねた末に「あの」と声をかけた。
 金髪の彼女は振り返る。

「なに」

 無愛想でハスキーな声だった。私は傘を差し出す。

「よかったらあげる」
「……なんで?」
「うち、そこまで遠くないから。あげる」
「……欲しくない」
「でも濡れて帰るのはよくないよ」
「あんたが濡れるじゃん」
「うーん、私は走って帰れる距離だから」

 結局その子に傘を押しつけると、私は鞄を盾にして走りはじめた。
 心臓がドキドキしている。可愛い子だなと思って見とれていた子に、ほとんど無理矢理傘を押しつけてしまった。彼女がどこの誰なのかは知らない。
 ただ、放っておくのが嫌だった。なんだか本当に嫌だった。
 雨がだんだん強くなり、うちのマンションが見えてくる。走ってオートロックを開ける頃には、手が冷えてかじかみ、鍵が回せなくなっていた。

「ハハッ」

 思わず笑いが込み上げた。
 あの子が濡れなくってよかったと、そう思ったんだ。
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