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ファンに見つめられるのはいささか照れるし
5話
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面接を終え、無事にたつきは地元に帰ることになった。
たつきの滞在中ずっとビクビク震えていた浜尾さんも、ようやく部屋から出てきて、たつきの見送りには出てきてくれた。
「お世話になりました!」
「い、いえ……自分は全然お世話してないんで……気を付けて」
「はい!」
「本当に浜尾さんもなにからなにまでありがとうございます……」
「いえ……本当に自分はなにも」
浜尾さんはあわあわしながら玄関まで出てきたのに会釈してから、私は駅までたつきを送る。たつきはアパートを出てから、不思議そうな顔で浜尾さんの住む階を見上げていた。
「本当にお姉ちゃんと浜尾さん、なんにもなかったみたいだね?」
「だから何度も言ったでしょうが。私たち、本当にただの同居人でそういうのじゃないって」
「ふうん……でもさあ。本当になんにもないんだったら、むしろお似合いだと思ったけど」
「……はあ?」
この子、別になんでもかんでもかけ算をするタイプではなかったと思うけど。私が訝しがって変な声を上げる中、たつきは「だってさあ」と続ける。
「地元だったらなんでもかんでもすぐ結婚って言うじゃん。私だって、今就活中だっていうのに『いつ結婚するの?』って平気で言われるよ? 全然令和の価値観じゃないけどねー」
「だからって……私と浜尾さんで結婚しろって?」
「そこまで言ってないよ。たださあ。うちの友達んとこでも、結構修羅張ってるから。三年付き合ってたのに、就活を機に別れる別れないって、そりゃあもう。一緒に住んでたから余計に揉めてね。で、お姉ちゃんの場合は一緒に住んでてもなんにも問題起こしてないんだったら、むしろそれでよくないって思ったんだけど、どう?」
「どうって言われても……」
だから、私たち。本当になんにも全くないのに。それでもなんかしないと駄目なんだろうか。私はただの好意であそこに住んでいるだけ。浜尾さんはただの私のファンであり、何度も何度もなにかしたほうがよくないかと申し出ても、全部断られてしまって、生活費折半だけで、それ以上のことはさせてもらってない。
そんな中途半端な関係で結婚の話を持ち出してくるのは、いくらなんでもあの人に申し訳なくないか。
なによりあの人……女性恐怖症なのに、私を置いてくれている人なんだ。そんな人の好意を私の都合で好き勝手したら駄目だろ。いくら人間嫌いの私だって、やっていいことと悪いことくらいはわきまえている。
私がぐじぐじと考えている中、ようやく駅についた。たつきはさっさとICカードにお金を入れると「じゃあね、お姉ちゃん」と手を振った。
「あんまり思い詰めないでね。ただお姉ちゃん、お姉ちゃんの人間嫌いに合わせてくれる人なんてそうそういないんだから、逃がしたら駄目だとは本当に思う!」
そう言い置いて、さっさと改札口を通過して去って行ってしまった。
私は小さく手を振りながら、溜息をついた。
「……だから、浜尾さんにそういうの押しつけたくないし」
浜尾さん以前に、私がものすごく嫌だった。
まるで幼い自分がひとり、地団駄を踏んでいるような気分。男女の友情というものなんて全く信じちゃいないけれど、なんでもかんでもカップルにカテゴライズされないといけないのは、息苦しい。
****
アパートに帰ると、珍しく浜尾さんがリビングでビールを持ってきていた。おつまみには冷や奴に醤油をかけた、とてもシンプルなものだ。
「ああ、お帰りなさい。かしこ先生。妹さんはどうでしたか?」
「ただいま戻りました。なんか妹、余計なことばかり言って、すみません」
「いえ、いえ……むしろ自分がいて、妹さんが気持ち悪がらなかったかのほうが、心配でした」
「それは全然ありませんから。あんまり自分を卑下しないでくださいね」
「はい……あ、かしこ先生もビールよかったらどうぞ。冷蔵庫にありますから」
「ありがとうございます」
私も冷蔵庫からビール缶をひとつ取ると、おつまみになりそうなチーズを持ってきて、一緒に飲みはじめた。
思えば、ふたりで飲むのは初めてだった。
「そういえば意外でした。浜尾さん、昼間からビール飲んだりするんですね?」
「いやあ……妹さんが来て、自己嫌悪に陥ってたので。酒飲んで忘れようかと……」
「ああ、本当にすみません。すみません。こちらのわがままでっっ」
「いやかしこ先生。自分はむしろ、かしこ先生のお手伝いがしたくって申し出たんで、自分が自己嫌悪に陥るのは筋違いと言いますか、かしこ先生全然悪くないです。謝らないでくださいよ」
あわあわとしながらそう訴える浜尾さんに、またも頭を下げてから、私はようやくビール缶のプルタブに指を引っ掛けた。
気持ちのいい炭酸の弾ける音に、ビールのいい匂い。チーズを口に放り込んでから、久々のビールの喉越しと炭酸の感触を楽しんだ。原稿しているときは、アルコールを入れたらなんにも書けなくなるから、手持ちの作業がないとき以外はアルコールなんて口にしない。
私が「プハーッ」と言うと、浜尾さんは控えめに笑った。
「かしこ先生がビール好きなのは知りませんでした。安かったらまた冷蔵庫に買い足しておきますね」
「いえ、いえ。今日はもう仕事にならないのでしませんけど、私も原稿やっているときは基本的に酒を飲みませんから! 酔うと原稿が全然書けなくなるんですよ!」
「意外でした。作家さんの中には、飲みながら書く人もいるって聞きましたけど」
「人に寄りますね。私は全然駄目です。アルコール入れたら、企画書が頭から吹っ飛びますし、キーボードを前にしてもなあんにも打てなくなるんですよ。中にはアルコール入れたほうがブレーキ踏まずに一気に書ける人もいるらしいんですけど、私には向いてませんでした」
「なるほど……ちなみにBL小説は、ブレーキ必要ですか?」
「それも人に寄りますかね。私がお世話になっている会社だったら、いろいろ決まっている規約をかいくぐって書かないといけないんで、頭がクリアにならないとそこまでの計算が回らないんですよ」
基本的に私のお世話になっている出版社では、新年会も忘年会も特になく、飲み会に行ったことはない。働いている歯科医院の飲み会は、アルコールを入れても必死でプライベートのことを口にしないぞと心掛けているせいで、お酒を入れても口が緩くなることなんてなかったのに。浜尾さんといると、口が緩んで好き勝手にしゃべってしまう。
気付けば、たつきに言われたことの愚痴まで口にしてしまっていた。
「……なんか、出先でよく言われるんですよ。結婚はまだか、お見合いはって」
「それ、今だとなにかと問題にならないんですか?」
「今は令和です。大きな企業だと問題になるかもしれないんですけど……昭和の好景気を知っている人だと、その手の話題が問題になるってこと、知らないみたいです……そのせいで、私の引っ越しのときもぐちゃぐちゃ言われました」
「……かしこ先生に、迷惑をかけてしまいましたか?」
浜尾さんにおそるおそる言われてしまい、私は浜尾さんに言ってはいけないことを言ってないかと、ようやく口の滑りを抑えようと、口にチーズを突っ込んで咀嚼した。
チーズをくちゃくちゃ食べながら、私は必死になって首を振る。
「浜尾さんは、なんにも悪くないんです。ただ、男女が一緒に住んでいたら、結婚コールがうるさいだけです。男同士がいたらBLで、女同士だったら百合で、男女だったら結婚って、どの性別で一緒にいてもなんでもかんでもカップリング決められたら、逃げ場なくないですか?」
「……かしこ先生はBL作家ですよね?」
「そりゃ書きますし、好きですけど。三次元でまでなんでもかんでもかけ算してキャーキャー言う小学生女児と変わらないこと、言いたくないです。なんで皆すぐかけ算するんですか。足し算じゃ駄目なんですか」
必死で口の滑りを抑えようとすればするほど、口から出る言葉が支離滅裂になっていっていた。わずかばかり残っている理性が必死でブレーキをかけようとするのに、頭と口が別になってしまったかのように、ちっとも言うことを聞いてはくれなかった。
浜尾さんを困らせてしまう。それじゃあ駄目だろう。私はそう思ったけれど。ビールを飲んでいた浜尾さんは、やんわりと笑ったのだ。
「そうですね。人って何故か、なんでもかんでもラベルを貼りたがりますよね」
そうしみじみとした口調で言ってから、浜尾さんもビールを傾けた。ビールをグビグビと飲み、喉仏が大袈裟なほどに蠢く。それを見て、浜尾さんもそういえば男の人だと気付いたけれど、やっぱり浜尾さんは私と飲んでいる今でもなお、距離を空けたままで、ちっとも詰めるような真似をしなかった。
アルコールという理性を溶かす要素すら、私たちの距離を埋めることはない。
でもこれは溝というよりも、空気の通り穴みたいなもので、むしろ居心地がよかった。呼吸がしやすかった。
「浜尾さんも、それに悩んだりするんですか?」
その呼吸のしやすさに身を任せて、私はポロリと質問をする。一瞬真顔になったけれど、すぐに浜尾さんは笑った。
「自分、人のラベルを貼る男らしさってものが、なにもありませんから。いわゆるラベル貼りが、苦手なんですよ」
「はあ……」
大事にBL小説を買い集め、自室で読んでいるのを知っている。私のゲラを読んで、感動してよかった部分を教えてくれる。
もしテンプレート通りのジェンダーロールだったら。きっとBLそのものに嫌悪感をあらわにするだろうし、むしろ私はそんな人とは一緒に住めなかっただろう。
本当にこの人は私とよく似ている。いわゆるジェンダーロールのギャップに、四六時中苦しめられている。もしかすると、私よりも居心地悪い中で、精一杯の息抜きがBL小説だったのかもしれない。
「浜尾さん、優しいじゃないですか……私はそのまんまでいいと思います。無理に、男らしくとか、年相応とか、考えなくってもいいと思います」
「……かしこ先生?」
「普通って、しんどいじゃないですか……普通にしないといけないって、普通から外れちゃった人間からしたら、息苦しいじゃないですか……普通にしてて息ができないのに、それでも普通にしないと駄目なんですか? 呼吸困難に陥るくらいだったら、もう普通じゃなくっていいです。私も浜尾さんも、呼吸しやすい場所探して落ち着いてるだけじゃないですか……」
だんだんとアルコールが回り過ぎて、意識が朦朧としてきた。いつもだったら、眠たくなる直前で飲むのを止めるのに、今日という今日はリラックスし過ぎてしまったみたいだ。
そのままコテンと意識を飛ばしてしまった。
たつきの滞在中ずっとビクビク震えていた浜尾さんも、ようやく部屋から出てきて、たつきの見送りには出てきてくれた。
「お世話になりました!」
「い、いえ……自分は全然お世話してないんで……気を付けて」
「はい!」
「本当に浜尾さんもなにからなにまでありがとうございます……」
「いえ……本当に自分はなにも」
浜尾さんはあわあわしながら玄関まで出てきたのに会釈してから、私は駅までたつきを送る。たつきはアパートを出てから、不思議そうな顔で浜尾さんの住む階を見上げていた。
「本当にお姉ちゃんと浜尾さん、なんにもなかったみたいだね?」
「だから何度も言ったでしょうが。私たち、本当にただの同居人でそういうのじゃないって」
「ふうん……でもさあ。本当になんにもないんだったら、むしろお似合いだと思ったけど」
「……はあ?」
この子、別になんでもかんでもかけ算をするタイプではなかったと思うけど。私が訝しがって変な声を上げる中、たつきは「だってさあ」と続ける。
「地元だったらなんでもかんでもすぐ結婚って言うじゃん。私だって、今就活中だっていうのに『いつ結婚するの?』って平気で言われるよ? 全然令和の価値観じゃないけどねー」
「だからって……私と浜尾さんで結婚しろって?」
「そこまで言ってないよ。たださあ。うちの友達んとこでも、結構修羅張ってるから。三年付き合ってたのに、就活を機に別れる別れないって、そりゃあもう。一緒に住んでたから余計に揉めてね。で、お姉ちゃんの場合は一緒に住んでてもなんにも問題起こしてないんだったら、むしろそれでよくないって思ったんだけど、どう?」
「どうって言われても……」
だから、私たち。本当になんにも全くないのに。それでもなんかしないと駄目なんだろうか。私はただの好意であそこに住んでいるだけ。浜尾さんはただの私のファンであり、何度も何度もなにかしたほうがよくないかと申し出ても、全部断られてしまって、生活費折半だけで、それ以上のことはさせてもらってない。
そんな中途半端な関係で結婚の話を持ち出してくるのは、いくらなんでもあの人に申し訳なくないか。
なによりあの人……女性恐怖症なのに、私を置いてくれている人なんだ。そんな人の好意を私の都合で好き勝手したら駄目だろ。いくら人間嫌いの私だって、やっていいことと悪いことくらいはわきまえている。
私がぐじぐじと考えている中、ようやく駅についた。たつきはさっさとICカードにお金を入れると「じゃあね、お姉ちゃん」と手を振った。
「あんまり思い詰めないでね。ただお姉ちゃん、お姉ちゃんの人間嫌いに合わせてくれる人なんてそうそういないんだから、逃がしたら駄目だとは本当に思う!」
そう言い置いて、さっさと改札口を通過して去って行ってしまった。
私は小さく手を振りながら、溜息をついた。
「……だから、浜尾さんにそういうの押しつけたくないし」
浜尾さん以前に、私がものすごく嫌だった。
まるで幼い自分がひとり、地団駄を踏んでいるような気分。男女の友情というものなんて全く信じちゃいないけれど、なんでもかんでもカップルにカテゴライズされないといけないのは、息苦しい。
****
アパートに帰ると、珍しく浜尾さんがリビングでビールを持ってきていた。おつまみには冷や奴に醤油をかけた、とてもシンプルなものだ。
「ああ、お帰りなさい。かしこ先生。妹さんはどうでしたか?」
「ただいま戻りました。なんか妹、余計なことばかり言って、すみません」
「いえ、いえ……むしろ自分がいて、妹さんが気持ち悪がらなかったかのほうが、心配でした」
「それは全然ありませんから。あんまり自分を卑下しないでくださいね」
「はい……あ、かしこ先生もビールよかったらどうぞ。冷蔵庫にありますから」
「ありがとうございます」
私も冷蔵庫からビール缶をひとつ取ると、おつまみになりそうなチーズを持ってきて、一緒に飲みはじめた。
思えば、ふたりで飲むのは初めてだった。
「そういえば意外でした。浜尾さん、昼間からビール飲んだりするんですね?」
「いやあ……妹さんが来て、自己嫌悪に陥ってたので。酒飲んで忘れようかと……」
「ああ、本当にすみません。すみません。こちらのわがままでっっ」
「いやかしこ先生。自分はむしろ、かしこ先生のお手伝いがしたくって申し出たんで、自分が自己嫌悪に陥るのは筋違いと言いますか、かしこ先生全然悪くないです。謝らないでくださいよ」
あわあわとしながらそう訴える浜尾さんに、またも頭を下げてから、私はようやくビール缶のプルタブに指を引っ掛けた。
気持ちのいい炭酸の弾ける音に、ビールのいい匂い。チーズを口に放り込んでから、久々のビールの喉越しと炭酸の感触を楽しんだ。原稿しているときは、アルコールを入れたらなんにも書けなくなるから、手持ちの作業がないとき以外はアルコールなんて口にしない。
私が「プハーッ」と言うと、浜尾さんは控えめに笑った。
「かしこ先生がビール好きなのは知りませんでした。安かったらまた冷蔵庫に買い足しておきますね」
「いえ、いえ。今日はもう仕事にならないのでしませんけど、私も原稿やっているときは基本的に酒を飲みませんから! 酔うと原稿が全然書けなくなるんですよ!」
「意外でした。作家さんの中には、飲みながら書く人もいるって聞きましたけど」
「人に寄りますね。私は全然駄目です。アルコール入れたら、企画書が頭から吹っ飛びますし、キーボードを前にしてもなあんにも打てなくなるんですよ。中にはアルコール入れたほうがブレーキ踏まずに一気に書ける人もいるらしいんですけど、私には向いてませんでした」
「なるほど……ちなみにBL小説は、ブレーキ必要ですか?」
「それも人に寄りますかね。私がお世話になっている会社だったら、いろいろ決まっている規約をかいくぐって書かないといけないんで、頭がクリアにならないとそこまでの計算が回らないんですよ」
基本的に私のお世話になっている出版社では、新年会も忘年会も特になく、飲み会に行ったことはない。働いている歯科医院の飲み会は、アルコールを入れても必死でプライベートのことを口にしないぞと心掛けているせいで、お酒を入れても口が緩くなることなんてなかったのに。浜尾さんといると、口が緩んで好き勝手にしゃべってしまう。
気付けば、たつきに言われたことの愚痴まで口にしてしまっていた。
「……なんか、出先でよく言われるんですよ。結婚はまだか、お見合いはって」
「それ、今だとなにかと問題にならないんですか?」
「今は令和です。大きな企業だと問題になるかもしれないんですけど……昭和の好景気を知っている人だと、その手の話題が問題になるってこと、知らないみたいです……そのせいで、私の引っ越しのときもぐちゃぐちゃ言われました」
「……かしこ先生に、迷惑をかけてしまいましたか?」
浜尾さんにおそるおそる言われてしまい、私は浜尾さんに言ってはいけないことを言ってないかと、ようやく口の滑りを抑えようと、口にチーズを突っ込んで咀嚼した。
チーズをくちゃくちゃ食べながら、私は必死になって首を振る。
「浜尾さんは、なんにも悪くないんです。ただ、男女が一緒に住んでいたら、結婚コールがうるさいだけです。男同士がいたらBLで、女同士だったら百合で、男女だったら結婚って、どの性別で一緒にいてもなんでもかんでもカップリング決められたら、逃げ場なくないですか?」
「……かしこ先生はBL作家ですよね?」
「そりゃ書きますし、好きですけど。三次元でまでなんでもかんでもかけ算してキャーキャー言う小学生女児と変わらないこと、言いたくないです。なんで皆すぐかけ算するんですか。足し算じゃ駄目なんですか」
必死で口の滑りを抑えようとすればするほど、口から出る言葉が支離滅裂になっていっていた。わずかばかり残っている理性が必死でブレーキをかけようとするのに、頭と口が別になってしまったかのように、ちっとも言うことを聞いてはくれなかった。
浜尾さんを困らせてしまう。それじゃあ駄目だろう。私はそう思ったけれど。ビールを飲んでいた浜尾さんは、やんわりと笑ったのだ。
「そうですね。人って何故か、なんでもかんでもラベルを貼りたがりますよね」
そうしみじみとした口調で言ってから、浜尾さんもビールを傾けた。ビールをグビグビと飲み、喉仏が大袈裟なほどに蠢く。それを見て、浜尾さんもそういえば男の人だと気付いたけれど、やっぱり浜尾さんは私と飲んでいる今でもなお、距離を空けたままで、ちっとも詰めるような真似をしなかった。
アルコールという理性を溶かす要素すら、私たちの距離を埋めることはない。
でもこれは溝というよりも、空気の通り穴みたいなもので、むしろ居心地がよかった。呼吸がしやすかった。
「浜尾さんも、それに悩んだりするんですか?」
その呼吸のしやすさに身を任せて、私はポロリと質問をする。一瞬真顔になったけれど、すぐに浜尾さんは笑った。
「自分、人のラベルを貼る男らしさってものが、なにもありませんから。いわゆるラベル貼りが、苦手なんですよ」
「はあ……」
大事にBL小説を買い集め、自室で読んでいるのを知っている。私のゲラを読んで、感動してよかった部分を教えてくれる。
もしテンプレート通りのジェンダーロールだったら。きっとBLそのものに嫌悪感をあらわにするだろうし、むしろ私はそんな人とは一緒に住めなかっただろう。
本当にこの人は私とよく似ている。いわゆるジェンダーロールのギャップに、四六時中苦しめられている。もしかすると、私よりも居心地悪い中で、精一杯の息抜きがBL小説だったのかもしれない。
「浜尾さん、優しいじゃないですか……私はそのまんまでいいと思います。無理に、男らしくとか、年相応とか、考えなくってもいいと思います」
「……かしこ先生?」
「普通って、しんどいじゃないですか……普通にしないといけないって、普通から外れちゃった人間からしたら、息苦しいじゃないですか……普通にしてて息ができないのに、それでも普通にしないと駄目なんですか? 呼吸困難に陥るくらいだったら、もう普通じゃなくっていいです。私も浜尾さんも、呼吸しやすい場所探して落ち着いてるだけじゃないですか……」
だんだんとアルコールが回り過ぎて、意識が朦朧としてきた。いつもだったら、眠たくなる直前で飲むのを止めるのに、今日という今日はリラックスし過ぎてしまったみたいだ。
そのままコテンと意識を飛ばしてしまった。
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