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ご乗車の際にはお忘れ物がないようお願いします─失った夢をもう一度─

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 最悪な夢を見たような気がする。
 一番の親友に俺の描いた企画書を盗られる夢だった。
 バイクを乗っても気が晴れるだけで胸がすっとしない。モヤモヤは溜まったまんまだ。
 どれだけ練習しても絵が上手くならず、話を書ききれない苛立ちだけが募っていく。
 ああ、マンガが描きたい。俺の描きたいマンガが描きたいと。
 そう思っていたら、肩を揺すぶられた。ぶんぶんぶんぶんと夜の冷たい大気が頬を殴る。

「お客さん、お客さん。もうそろそろ駅閉めますよ?」
「……う?」

 気付いたら俺は、腕を組んでホームで眠っていた。口にはべったりとよだれが。俺は慌ててそれを袖で拭った。そこでようやく俺は、バイクに乗るためのライダージャケットではなくて、ジージャンを着ている事実に気が付いた。ふと頭に触れる。髪に付けたワックスの反り返りがない髪はベタベタしない代わりにゴワゴワして、思わず自分の髪を摘まんだ。
 全くセットしていない、伸ばしっぱなしの髪をひとつに結んだ頭をしていた。
 俺は駅員さんに「起こしてくれてありがとう」とお礼を言ってから、どうにか頭を探った。
 たしか……俺は自信作を盗作されたんだった……。
 大学ノートいっぱいに描いた企画書。
 必死に描いた企画書をそのまんま持って行かれて……俺だと絶対に描けないような万全な画力でマンガを描かれて、それは見事週刊誌で連載を獲得。俺はグレて、あいつは……。
 あれ? そもそも盗作なんかされたっけか。
 ふとズボンのごわつきが気になって引っ張ってみると、そこにはラムネがあった。
 そうだ、マンガを描くのに糖分はいい。俺はそう思いながら自宅のアパートへと帰っていった。

「ただいまー」
「おかえり」

 挨拶してきたのは、ちょうど夢で俺の企画書を盗作したあいつだった。
 もっとも、盗作なんかしちゃいなかったが。
 そもそも俺は大学ノートいっぱいに描いたあの企画書を、あいつに見せなかったんだ。

「なんか終電まで寝てたわ」
「マジか。締切までずっとマンガ描いてたからだべ。ちゃんと家で寝ないと体壊すよ」
「ヘイヘイ、お前は母ちゃんかよ」

 そう言いながら、俺はグルリと部屋の中を見渡した。
 今時アナログと鼻で笑われそうでも、俺たちはふたりとも金がなくて、昔ながらのペンとインク、コンビニで売っている筆ペンと修正液で描いた原稿を部屋中に紐をかけてそこで留めて乾かしていた。ふたりで評判がいいと聞いた映画は見に行き、物語の舞台と言われた場所には聖地巡礼に行き、せっせと話をつくるスキルを身につけていた。
 それだけ努力しても俺たちは、相変わらずデビューはできていない。それでも、ずっとマンガを描き続けている。相変わらず俺は絵が下手で、周りからは「話は面白いけど画力がギャグマンガ」だと評価され、相変わらずこいつは絵は無茶苦茶上手いのに、マンガが圧倒的に下手という評価だった。
 あちこちの持ち込みに参加しては編集者からこき下ろされ、ときおり週刊誌の公募に送ってはグリグリと抉り込まれるような寸評をいただく。
 マンガを描く時間と生活費を節約するためにふたり暮らしをし、アルバイトでギリギリの生計を立てながら互いのアシスタントをしつつ日々マンガを描いている。

「今日さあ、お前が俺の描いた企画書でデビューして売れっ子になる夢見たわ」
「マジかよ、最低だな。俺」
「おう、最低だったぞ。俺がグレてバイクで走ってたからな。まあ髪ワックスでガーッと固めてるくらいのマイルドヤンキーだったけど」
「うはは、見てえ、それ」

 さんざん笑われたけれど、こっちが夢なのか、あっちが夢なのか、いまいちわからなかった。
 パラレルラインっていう胡散臭い電車に乗る前に、売店に兄ちゃんや駅長さんにさんざん愚痴を聞いてもらって乗り込んだんだから……でもあのデザインも本当にSFチックだったなあ。
 俺はなにげなくノートに絵を描き出すと、「なになに?」とこいつが覗き込んできた。

「さっき見た夢。グレた俺がもしもこうなったらいいなっていう電車に乗る前に、さんざん話を聞いてもらってたんだよ。こんなSFチックな電車に、制服着ている駅長さん。売店の兄ちゃんだけ、なんか昭和っぽかった」
「ふんふん」
「ここに乗るには、未来を変えたいっていうくらいの後悔が必要で、電車に乗っても完全に自分に都合のいい未来に行ける訳ではないと」

 駅長さんに言われた説明をしながら、どんどん絵を描き込んで、ついでにセリフもまとめていく。
 話自体はヒューマンドラマにもかかわらず、絵がそれに合わないちぐはぐな感じだ。
 それを見ていたこいつは、俺の描いた絵を模倣しはじめた。むしろそれは清書といった感じで、俺が描いたらギャグマンガみたいな自分でもどうしてそうなるのかわからないデフォルメの入った絵を、見事に等身大のヒューマンマンガみたいなアレンジで絵に興してくれた。

「こんな感じ?」
「そう!」
「しかしよくできてる夢だなあ、それ。むしろそれさあ。面白いんだから、お前マンガ描けよ」
「えー……でももしもの世界とか電車とかって、ヒューマンドラマじゃん。俺の絵だったら描ききれねえよ」
「ならさあ、前から思ってたことだけれど。俺とお前でマンガ描けばいいじゃん」

 そう言われて、俺は目を見開いた。こいつは続けて言う。

「だってさあ。お前が馬鹿にされるの悔しいし。お前俺より才能あるのに、やれ絵が下手だの、やれギャグマンガやれだの、好き勝手ばっかり言ってさあ。俺は絵は上手い以外にいいところないってくらいにボロクソ言われるのにさ。ならお前がネーム書いて、俺がマンガ描けばいいじゃん」
「……はは、は」
「おい?」
「あははははははははは! それむっちゃいいじゃん! それで行こう!」

 俺は久々というくらいに、腹の底から笑い声を上げた。
 俺はこいつが認められる世界がよかった。こいつは俺よりも才能があるから、こいつがズルや盗みをしないでいられる世界がよかった。
 俺の企画書を読んで魔が差して、ふたりの関係がボロボロになるくらいだったら、もう最初からふたりでマンガを描けばよかったんだ。
 まだどちらもデビューはできていない。金を挟んだらもしかしたら俺とあいつの仲は決裂するかもわからない。ただ。
 マンガ以外が俺たちの関係を引き裂くのは止めろ。
 俺とこいつは揃ったら最強なんだから。

「そうと決まったら、早速企画書書くわ。あっ、これお土産」
「おう? お前今日は寝ろよー」
「寝たら忘れそうだから、書き終えたら寝るー」

 夢の中で売店の兄ちゃんがくれたラムネを、ふたりで分けた。
 頭脳労働には、糖分がちょうどいい。
 そういえば。こんなにSFチックなデザインじゃなかったけれど、近所の私鉄の半見鉄道が舞台だったと思う。今度そこに向かおう。
 ちょうどこれをモデルにしたラノベがあったから、聖地巡礼だ。

****

 俺はあの人がいなくなった線路を、ぼんやりと眺めていた。

「あの人、行きたい世界に行けましたかねえ」
「どうでしょうね。今と違う世界に行くってこと以外、できませんから」
「それなんですけど。もし行った世界がなんか違うってなった場合って、どうなるんですかね?」
「そうですねえ……」

 途端に晴さんは、ぼんやりと言葉尻を伸ばした。
 あれ、答えにくい話だったんだろうか。俺は晴さんの横顔を見た。晴さんはちらりと駅長室を見ていたが、駅長室は長テーブルと椅子、あとコーヒーメーカーとカップくらいしかなくて、他のものを見出すのは難しそうだった。

「再び行く方法を探るしかないでしょうね」
「え……片道切符だから、戻れないんですよね?」

 前にも説明していたことを思い返しながら聞くと、晴さんは頷いた。

「ええ、基本的にはそうなんですけれど、稀に例外は存在しますから。何度もやり直せる訳ではないですが、もう一度だけなら平行世界に移動することは可能なんですよ。ところで」

 晴さんはこちらに振り返って、じぃーっと見てきた。それに俺は途方に暮れた顔になる。

「なんでしょうか?」
「多分フクくんも切符を持っているかと思いますけど、使わないんですか?」
「へあっ?」

 そう言われても。俺はここにバイトに来ているだけで、別に平行世界に移動なんてしたくない。そう思ったとき。ズボンのポケットがごわついていることに気付いて手を伸ばし、気付いた。

【パラレルライン後悔駅発】

 ……今まで二回ほど見た切符が、たしかに存在していたのだ。
 今時ほとんどの人はICカードを駆使して移動しているから、切符なんて新幹線にでも乗らない限りは縁がない。本当にあるんだなとまじまじと見てしまったけれど。
 俺はこれをズボンに押し戻した。

「まだ営業時間ありますよね」

 俺はそう言って、売店のほうに戻っていった。
 結局その日は、マンガ家志望だった彼以外のお客さんは来ることがなく、会計を済ませて店じまいをしたらおしまいだった。
 俺はエプロンを畳んでしまい込むと、最後に晴さんに挨拶をする。

「お疲れ様です」
「お疲れ様」

 そう言って晴さんは駅長室へと引っ込んでいった。
 思えば、俺は制服を脱いだ晴さんを見たことがない。
 同じ場所で働いているだけで、面接をしたのも晴さんならば、このパラレルラインについての説明をしてくれたのも晴さんだ。でも。
 俺はこの人のことをなんにも知らないなあとぼんやりと考える。
 俺がここに入れる理由はわかる。でも、晴さんは?
 晴さんだって未練がなかったら、変えたい過去がなかったら、そもそもパラレルラインに入れないのでは?
 そう思ったけれど、俺は軽く首を振った。
 俺だって事情をなにひとつ説明してないんだから、晴さんにだけ説明しろと言うのはフェアではない。フェアではないから、そのまんまだ。
 駅前の端に寄せていた自転車に跨がり、走り出す。
 もう外灯以外の明かりはほとんどない。大都会だったらいざ知らず、町なんてこんなもんだ。すっかり眠りについた町を、夜風を切って走っていた。
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