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ご乗車ありがとうございます─パラレルラインでいつかまた─
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目が覚めると、アパートの天井が見えた。
俺は寝ぼけながら、昨日のことについて思いを馳せた。
晴さんがえりなさんのために、パラレルラインから出ることなく働いている。彼女が目が覚め、自殺の考えが消えるまで。
あの人が外に出ないのは、俺たちの世界には晴さんの居場所がないかららしい。多分この世界には、並行世界だったらいるはずの晴さんがいないんだと思う。
並行世界の話は何度聞いても考え込んでしまうけれど、そう考えないとやってられない。
昨日の帰りに持たせてくれた叔母さんのつくりおきをありがたくいただいて、少し弁当箱に入れさせてもらってから、俺は出かけることにした。
自転車で大学に到着した途端に「ちょっとトク!」と声を上げられた。
昨日、見事俺に置いてけぼりを食らったみなほである。当然ながら怒っていたので、俺は肩を竦める。
「みなほ、おはよう……」
「おはよう! ひどいじゃない、いきなり置いていくなんて! 気付いたらトクいないし、周りは普通に壁だし、でも地図を確認したらトクのバイト先だしで、訳がわからなかったんだから!」
「うん……これについては俺もちょっと説明できない」
「もう! でも、まあ……トクはいなくならなくって安心した」
そう鼻をすすられると、こちらも後ろめたさと申し訳なさと同時に、変なありがたみが生まれてくる。
「それよりなによ。しょぼくれた顔して。なにかあったの?」
「お前そういうのめざといなあ……うん、バイト先の人の話を聞いて、考え込んでいただけで」
さすがに並行世界から死んだ恋人を追いかけてきたというのは省いたものの、自殺に失敗した恋人が起きず、その人が起きるまでずっと一緒にいるというところまでは説明できた。それを聞いて、みなほは「そうね……」と頬に手を当てた。
「……私は多分、その人のことを馬鹿にはできないわ」
「どうして?」
「多分ね、諦めればいいって、なにも知らない人だったら簡単に言えると思うの。戻ってくるかわからないものでも、忘れない限りは戻ってくる確率ってゼロではないもの。一番簡単なことって、忘れることだと思うわ。でも、忘れるのは本当につらかったことだけなの?」
本当に。みなほのこういう強さに俺は救われている。
「まあ、無責任ながらいいこと言っているみたいに聞こえるもんな。つらいことは忘れればいいって。記憶ってそれだけじゃないから苦しいのにな」
俺がパラレルラインに乗って、父さんと母さんの生きている世界に旅立てないのも、結局は今ある想い出を捨ててしまいたくないからだ。
叔父さんも叔母さんも好きだし、前のコンビニの店長だっていい人だった。野田は気のいい奴だし、俺のためにさんざん泣いて、心配して、怒ってくれるみなほは、多分この世界でなかったら見ることができない。
そう思ったら、つらかったことをなかったことにすればいいなんて、簡単に言えない。
晴さんが起きないえりなさんの傍から離れることができないのだって、結局はあの人の想い出を捨てられないからだ。
彼女が壊れていってしまった後悔も、彼女が投身自殺をしてしまった慟哭も、俺の想像にしかない。でも。
あの人に優しく語りかけていた口調。それだけは知っている。
そんな大切なものをなかったことになんて、できてたまるかよ。
みなほは俺をじっと見てから、少しだけ口を開いた。
「トク、なんか前と変わった?」
「えっ?」
「だってトク、前はなにかあったらすぐいなくなっちゃいそうな雰囲気があったもの。伯父さんたちが亡くなってから、無理して笑っているのが増えてたから。今日は珍しくわかりやすく落ち込んでいたから、あれって思ったの」
そう指摘されて、ふと気付く。
俺も少しは前向きになってきているのかな。いや、そうじゃないか。
「うーん、多分だけれど。俺のバイト先の人みたいな話をしょっちゅう耳にしているせいかも」
「目の覚めない恋人さん以外にもって……トクのバイト先大丈夫なの?」
「大丈夫大丈夫。皆、普通の人間だよ。ただ、皆悩んでるってだけでさ」
そうこう言っている間に、授業の時間が近い。
俺は鞄を持って手を振った。
「じゃあ、今日は授業に出るから」
「行ってらっしゃい」
ふたりとも別れて授業を受ける。
さて……昨日の今日で、俺は晴さんになにを伝えられるんだろう。
****
自転車を漕いで、いつものようにパラレルラインに入る。
「おはようございまーす」
いつもの挨拶を済ませてから、売店を開ける準備をしていたところで、晴さんが出てきた。
「フクくん、昨日は見苦しいところを見せてしまって、すみませんでした」
「いや、なに謝るところあるんですか? それって俺もじゃないですか。年甲斐もなく泣き出したりして。従姉妹にすごい心配されました」
「そうでしたか……でも」
俺がエプロンを付けて、レジの用意をしている中、いつものSFめいた駅長服を着た晴さんは続けた。
「僕がフクくんを尊敬している気持ちは本気ですよ」
「大袈裟ですよぉ。俺、大した人間じゃないですから。ただ、後悔もですけれど、未練が多過ぎて、潔く全部捨て去ることができないだけですから」
「それが一番なんだと思いますよ。僕は……えりなより上に大切なものを見つけられませんでしたから」
「それは、いけないことなんですか?」
そりゃ好きな人が自殺してしまって、悲しいから落ち込んで現実逃避してしまうって、あまりにも普通の人間じゃないか。
悲しいから、代わりの相手を探す人だっているだろうけれど、誰も彼もがそこまでフットワーク軽くも薄情にもなれないだろう。
「それは晴さんがえりなさんを好きだからじゃ、駄目なんですか? 俺はここの駅を利用して別の世界に移動した人も、この世界に残って生きている人も、皆それぞれ強いんだと思いますよ。だって、皆今を必死に生きているだけじゃないですか。どこかでやり直したいって思って全部捨て去るのも、後生大事に全部抱えて生きるのも、昨日よりも今日よりもマシな人生を歩きたいからじゃないんですか?」
晴さんは、本当に珍しく大きく目を見開いてこちらを凝視したあと、破顔した。
「……そう、だといいですね」
「晴さんは俺のことを尊敬すると言ってくれますけど、俺だって晴さんのことを尊敬していますよ。ここにずっとひとりで、大事な人が起きるのを待ちながら別の世界に渡る人たちを見送るって、なかなかできることじゃありませんから」
パラレルライン。
変えたいくらいに激しい後悔があり、ここじゃないどこかに旅立ちたいほどの願いがなかったら、見つけることのできない駅。
「後悔」初、「もしも」行き。
今日もひっそりと、発進中。
<了>
俺は寝ぼけながら、昨日のことについて思いを馳せた。
晴さんがえりなさんのために、パラレルラインから出ることなく働いている。彼女が目が覚め、自殺の考えが消えるまで。
あの人が外に出ないのは、俺たちの世界には晴さんの居場所がないかららしい。多分この世界には、並行世界だったらいるはずの晴さんがいないんだと思う。
並行世界の話は何度聞いても考え込んでしまうけれど、そう考えないとやってられない。
昨日の帰りに持たせてくれた叔母さんのつくりおきをありがたくいただいて、少し弁当箱に入れさせてもらってから、俺は出かけることにした。
自転車で大学に到着した途端に「ちょっとトク!」と声を上げられた。
昨日、見事俺に置いてけぼりを食らったみなほである。当然ながら怒っていたので、俺は肩を竦める。
「みなほ、おはよう……」
「おはよう! ひどいじゃない、いきなり置いていくなんて! 気付いたらトクいないし、周りは普通に壁だし、でも地図を確認したらトクのバイト先だしで、訳がわからなかったんだから!」
「うん……これについては俺もちょっと説明できない」
「もう! でも、まあ……トクはいなくならなくって安心した」
そう鼻をすすられると、こちらも後ろめたさと申し訳なさと同時に、変なありがたみが生まれてくる。
「それよりなによ。しょぼくれた顔して。なにかあったの?」
「お前そういうのめざといなあ……うん、バイト先の人の話を聞いて、考え込んでいただけで」
さすがに並行世界から死んだ恋人を追いかけてきたというのは省いたものの、自殺に失敗した恋人が起きず、その人が起きるまでずっと一緒にいるというところまでは説明できた。それを聞いて、みなほは「そうね……」と頬に手を当てた。
「……私は多分、その人のことを馬鹿にはできないわ」
「どうして?」
「多分ね、諦めればいいって、なにも知らない人だったら簡単に言えると思うの。戻ってくるかわからないものでも、忘れない限りは戻ってくる確率ってゼロではないもの。一番簡単なことって、忘れることだと思うわ。でも、忘れるのは本当につらかったことだけなの?」
本当に。みなほのこういう強さに俺は救われている。
「まあ、無責任ながらいいこと言っているみたいに聞こえるもんな。つらいことは忘れればいいって。記憶ってそれだけじゃないから苦しいのにな」
俺がパラレルラインに乗って、父さんと母さんの生きている世界に旅立てないのも、結局は今ある想い出を捨ててしまいたくないからだ。
叔父さんも叔母さんも好きだし、前のコンビニの店長だっていい人だった。野田は気のいい奴だし、俺のためにさんざん泣いて、心配して、怒ってくれるみなほは、多分この世界でなかったら見ることができない。
そう思ったら、つらかったことをなかったことにすればいいなんて、簡単に言えない。
晴さんが起きないえりなさんの傍から離れることができないのだって、結局はあの人の想い出を捨てられないからだ。
彼女が壊れていってしまった後悔も、彼女が投身自殺をしてしまった慟哭も、俺の想像にしかない。でも。
あの人に優しく語りかけていた口調。それだけは知っている。
そんな大切なものをなかったことになんて、できてたまるかよ。
みなほは俺をじっと見てから、少しだけ口を開いた。
「トク、なんか前と変わった?」
「えっ?」
「だってトク、前はなにかあったらすぐいなくなっちゃいそうな雰囲気があったもの。伯父さんたちが亡くなってから、無理して笑っているのが増えてたから。今日は珍しくわかりやすく落ち込んでいたから、あれって思ったの」
そう指摘されて、ふと気付く。
俺も少しは前向きになってきているのかな。いや、そうじゃないか。
「うーん、多分だけれど。俺のバイト先の人みたいな話をしょっちゅう耳にしているせいかも」
「目の覚めない恋人さん以外にもって……トクのバイト先大丈夫なの?」
「大丈夫大丈夫。皆、普通の人間だよ。ただ、皆悩んでるってだけでさ」
そうこう言っている間に、授業の時間が近い。
俺は鞄を持って手を振った。
「じゃあ、今日は授業に出るから」
「行ってらっしゃい」
ふたりとも別れて授業を受ける。
さて……昨日の今日で、俺は晴さんになにを伝えられるんだろう。
****
自転車を漕いで、いつものようにパラレルラインに入る。
「おはようございまーす」
いつもの挨拶を済ませてから、売店を開ける準備をしていたところで、晴さんが出てきた。
「フクくん、昨日は見苦しいところを見せてしまって、すみませんでした」
「いや、なに謝るところあるんですか? それって俺もじゃないですか。年甲斐もなく泣き出したりして。従姉妹にすごい心配されました」
「そうでしたか……でも」
俺がエプロンを付けて、レジの用意をしている中、いつものSFめいた駅長服を着た晴さんは続けた。
「僕がフクくんを尊敬している気持ちは本気ですよ」
「大袈裟ですよぉ。俺、大した人間じゃないですから。ただ、後悔もですけれど、未練が多過ぎて、潔く全部捨て去ることができないだけですから」
「それが一番なんだと思いますよ。僕は……えりなより上に大切なものを見つけられませんでしたから」
「それは、いけないことなんですか?」
そりゃ好きな人が自殺してしまって、悲しいから落ち込んで現実逃避してしまうって、あまりにも普通の人間じゃないか。
悲しいから、代わりの相手を探す人だっているだろうけれど、誰も彼もがそこまでフットワーク軽くも薄情にもなれないだろう。
「それは晴さんがえりなさんを好きだからじゃ、駄目なんですか? 俺はここの駅を利用して別の世界に移動した人も、この世界に残って生きている人も、皆それぞれ強いんだと思いますよ。だって、皆今を必死に生きているだけじゃないですか。どこかでやり直したいって思って全部捨て去るのも、後生大事に全部抱えて生きるのも、昨日よりも今日よりもマシな人生を歩きたいからじゃないんですか?」
晴さんは、本当に珍しく大きく目を見開いてこちらを凝視したあと、破顔した。
「……そう、だといいですね」
「晴さんは俺のことを尊敬すると言ってくれますけど、俺だって晴さんのことを尊敬していますよ。ここにずっとひとりで、大事な人が起きるのを待ちながら別の世界に渡る人たちを見送るって、なかなかできることじゃありませんから」
パラレルライン。
変えたいくらいに激しい後悔があり、ここじゃないどこかに旅立ちたいほどの願いがなかったら、見つけることのできない駅。
「後悔」初、「もしも」行き。
今日もひっそりと、発進中。
<了>
応援ありがとうございます!
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