五行の花嫁

石田空

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王の復活

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 瑞樹邸に入った陰陽師たちは、少しずつ結界を破壊しながら進んでいた。
 ここから先、術式を破られれば呪詛返しを受け、いかに呪詛返しに耐えられるかの戦いになってくる。
 その中、式神が飛んできて、麒麟の巫女の死亡を伝えられた。

「……我々は予言の力を永久的に失ったという訳か」
「それは仕方がない。いずれは頼ることができなくなっていた上に、血縁統制についてはもう少し見直さなければならないだろうからな」

 実際問題。異形がいなくなれば、陰陽寮だってどうなるかがわからない。
 魑魅魍魎や怨霊ならば、拝み屋で事足りるのだから。だが、それで守れるものもある。元々異形は五行の一族でなかったら倒せるものではなかった。それがいなくなったら、五行の一族の血縁統制をする必要もなくなる。つまりは、もっと結婚が自由になるはずなのだ。

 黒斗は麒麟の巫女たる撫子となにかにつけて相談に行っていた妻について思いを馳せた。
 彼女が完全に異形に墜ちてしまったのだとしたら、あの場で殺せたのは彼女しかいない。彼女と再会でき次第、彼女を慰めなければならなかった。
 結界を破りつつ突き進んだ先。最後の結界を破った途端、漂ってきた腐臭にその場にいた陰陽師たちは鼻を抑えた。

「これは……」
「血肉……? あり得ない。これだけの匂いは……」

 おびただしい血が流れている。庭にある池はすっかりと真っ赤に染まり、泳いでいたはずの鯉はぷかぷかと腹を向けて浮いてしまっている。この異常な光景に、全員が札やら獲物やらに手をかけている中。
 黒斗は覚えのある影がいるのに気付いた。

「……貴様は」
「おや、今は奥方はいないか」

 飛縁魔であった。本来ならば、異形が陰陽師の一画である五行の一族の、それも麒麟の巫女の住まう瑞樹邸にいるなどあり得ない話だった。
 予言で読めないはずはないのだから。

「なぜ貴様がここにいる……!?」
「ここに三界の秘宝が揃ったのだから、もう結界など無意味であろう?」
「三界の秘宝……?」

 全く馴染みのない言葉に、黒斗は戸惑うが、飛縁魔は「ああ!」とからからと笑う。

「この島国には流れてきていなかったか? 山のもの、海のもの、空のもの……これら三種が揃うことにより、史上最高の神通力を執り行えるというもの」
「神通力……あの鬼、いったいなにを考えている!?」

 黒斗が吠える中、葵は考え込むそぶりを見せる。

「まて、玄冥の。今の言い方が本当ならば、変若水は……おそらくは山のもの、富士の霊薬は月からの賜り物だとしたら、空のものに該当するはずだ」
「海のものはまさか……」
「長年に渡る悲願として、やっと絞り終えたらしいな、人魚の血を」

 そう言ったのは鬼だった。
 黒斗は「貴様……」と声を上げる。

「あとは変若水さえ手に入れば問題ないが……して、変若水は?」
「……ここにはないが、教える義理もない」

 黒斗は怒りを押さえ込みつつ、札を手に取る。それに鬼はくつりと笑った。

「まあ……見つけ出せば問題あるまいよ」
「三界のものを手に入れて、なにをするつもりだ?」

 黒斗は質問をしながらも、袖の下に用意してある札を自身の血で書き殴る。これをほのかたち女術者たちに連絡せねばならなかった。鬼なんて大物の異形、ここにいる者たち全員でかからなければ無理な中、彼女たちを下手に人質に取られる訳にもいかなかった。
 既に一度ほのかは呪詛返しの脅迫を受けて、それに屈してしまっている。自分たちを人質に取られた末に、彼女に変若水を持ってくるよう命じられることは、まず避けなければならなかった。
 飛縁魔は不思議そうな顔で鬼にしなだれかかっている。

「教えるつもりか? 三界の秘宝を集めた末に起こすことを」
「こやつらには、きちんとした生け贄になってもらわねばなるまいからな。長年、この家にいいように使われていた我らの悲願なのだから」

 黒斗はちらりと葵を見る。葵は小さく頷いた。
 三界の秘宝。不死に関する霊薬。異形。大陸の出自。麒麟の一族……。ひとつひとつはバラバラでも、全てを繋げていけば、おのずと答えがわかる。
 平安の世。かつて鬼は、平安の世の者たちに平されてしまった。彼らの無念は、少しずつ本当に少しずつ自分たちを屠った平安の者たちに呪詛を向けていった。そしてとうとう、麒麟の一族の祖先に生まれ直してしまった。
 彼らは陰陽師たちによる血縁統制を提案し、少しずつ、本当に少しずつ同胞を再び生まれ直せるように体を作り直していったのだ。
 それはあまりにも緩慢な復讐であり、麒麟の一族の血統を管理しながら、彼らの思考誘導までどれほと時間をかけたのか。本当に気の遠くなるほどの時間を有したのだ。
 だが、五行の一族全てを御することはできなかった。かつて血が濃くなり過ぎたことで不具合が起こったことから、本来ならば血縁統制は推奨されない世となっていたのだから。だから彼らにも血縁統制を迫るようにしなければならなかった。
 異形が出れば、世は乱れる。鬼は特に世を乱す。鬼に対する恐怖と畏怖を、この世に刷り込み続けた。
 血縁統制が必要ならば、異形が生まれぬように正確な予言ができる者が必要だった。それこそが麒麟の巫女であり、麒麟の一族が異形に乗っ取られてしまったことを隠すための盾であった。
 かくして、彼らはシステムを乗っ取り、五行の一族を本当に少しずつ蝕んでいったという訳だ。

「……君たちの言い分はわかった。だが、だからと言ってこの一族を憐れむことはできても、見逃すことはできない」

 葵はきっぱりと言い切った。鬼は目を細める。

「ほう……」
「たしかに君たちは気の毒だ。同情……するのはきっと君たちは怒るだろうが。だが、駄目なものは駄目だ」

 彼らは憐れである。かつて暮らしていた地を陰陽師に脅かされ、時の帝により討伐令を出されてしまったのだから。だが、それでも。
 どの時代でも異形や鬼の被害に真っ先に合うのは弱い者たちだ。
 いいように利用された華族。操られてしまった麒麟の一族。血縁統制の果てに調整されて生まれた末に、血を搾られた末に死なないといけなくなってしまった撫子。
 既に犠牲が多過ぎて、復讐の大義名分では治まらないほどの厄災は、同情の余地を軽く越えてしまっている。
 厄災と化してしまった彼らは、もう祓う以外に対処のしようがない。
 鬼は目を細めた。

「どの時代も……本当に陰陽師はさも清廉潔白面ばかりしてつまらないな」

 鬼が鼻息を立てる中、既に黒斗は手紙をほのか……には送らず隣にいるであろう南雲に送った。ほのかがここまで突貫してくることが、これで少しはなくなるだろう。

「つまらなくて結構だ。俺たちは自分たちの使命を、一度たりとも面白いつまらないだけで決めた覚えがない」
「ふん……」

 鬼はぽつぽつと燐火を撒き散らしはじめた。

「清廉潔白な者は好かん」

 そのひと言を皮切りに、戦闘がはじまった。

****

 黒斗たち麒麟の一族討伐班が鬼たちとの抗戦を開始した中、ほのかたちは非戦闘員である使用人たちを瑞樹邸から出していた。

「いったいなにがどうなって……」
「迎えは呼んであります。別荘のほうであなた方を保護しますから、急いで……!」

 使用人たちのほとんどは五行の一族の末端か、そもそも拝み屋とも縁遠い人々。彼らでは異形との戦いも訳がわからず、瑞樹家の人々が他の四家により嬲り殺しにされていると判断したら、そのまま警察に飛び込みかねない。さすがにそれは阻止せねばならず、困り果てた末に「麒麟の一族の皆様に危害を加える殺人鬼が屋敷の中に侵入したので、我々で他の皆様を助けつつ、殺人鬼を探し出さないといけません」と告げるしかなかった。実際にほのかが撫子の血で若干汚れてしまっているため、それで説得力が増したのか、彼らは慌てて車に乗り込んでいった。

「さすがにこれをすぐ国に知られたら大変なことになるしね……」
「国からしてみれば、正確な予言を出せる巫女を死なせたんだから、許してくれるとは思えないし……」

 五行の一族や陰陽師。かつての時代ほどの求心力はないが、それでもなんとか世間に必要と思わせていたのは、貿易を行っている者たちにとっては心底ありがたい麒麟の巫女の性格な予言であった。陰陽師同士の内輪揉めなど、彼らからしてみれば興味がないだろうが、それにより麒麟の巫女が失われたと知ったら、どれだけ怒りに任せて陰陽寮の解体を迫るか、わかったものではなかった。
 そうこう言いながら、いよいよ麒麟の一族の居住区画に入る。ここから先、たとえ使用人であったとしても殺さなければならない。そうしなかったら、彼らが訳もわからぬまま助けを求めて警察に駆け込まれたら、その時点で終わるからである。

「それじゃあ、行こうか……」
「……お待ちください!」

 そのまま居住区画に入ろうとしたさなか、こちらに手を突いて必死で訴える声に出会う。
 見てみたらそれは、瑞樹邸で働く使用人……それも本当に異形にも魑魅魍魎にも縁遠い奉公人であった。
 殺すか殺さないか、ほのかは迷いながらひとまず刀の柄に手を添えて尋ねる。

「あなたは?」
「……私は、瑞樹邸で働いております、撫子様の側仕えをしておりましたものです。撫子様より、予言を賜っておりますので、それをお伝えに」
「……それ、いったいいつの予言?」

 罠か、そうじゃないか。
 本気でわからないが。少なくとも彼女は、撫子が既に亡くなったことも、彼女の血を時間をかけて搾られたことも、ときおり異形を産ませるために男が通っていたことも、知っているようだった。
 そもそも陰陽師の屋敷で働く者たちは、見ず、聞かず、しゃべらずができぬ者は置いてはおけない。奉公人は瓦斯灯で照らしてみても、その姿はどうにも煤けている。まるで見つからぬよう、それでいて瑞樹邸から出ぬよう、敷地を潜伏していたように見える。
 彼女は震えながら訴えた。

「今晩、鬼が敷地内に侵入。三界の秘宝を使って異形の王の復活の儀を成そうとする。それを阻止すべし。阻止できぬ場合、この国は終わる……と」
「……ちょっと待って。鬼……鬼!?」

 花菱邸で出会い、ほのかを脅迫してまんまと逃げおおせ、ちゃっかりと飛縁魔を持ち帰った鬼。あれが何体もいるとは考えにくいが。
 だが、彼が人間同士で内輪揉めするように仕向けた……結界をこちらが破るのをわかっていたのだから。

「あいつ!!」
「ちょっと待ってほのか。鬼のことなんか知ってるの?」
「変若水を探している鬼に出会ったことがあるの! でも変若水は、今はたしか陰陽寮が預かっているはずなんだけど……」
「……あのさ、撫子様。わざわざこの人に予言を残したんだよね? 他の瑞樹邸の人たちは? 普通だったら、鬼が来るってわかったら、迎撃準備しない? してないじゃない」

 つまりは。元々異形を産み出す家系だった瑞樹邸は、とっくの昔に鬼の手に墜ちていたと。

 それにほのかが「ああん、もう!」と吠えた。

「そもそも、異形の王ってなによ!?」

 そうがなったのだ。
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