かつて勇者の反逆令嬢

石田空

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一章 クラウゼ家の末娘

2話

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 レニーの療養のための別荘には、必要最低限の使用人により回っていた。
 その分使っていない部屋もたくさんあり、その中の一室にあれこれと持ち込んで、少しずつ鍛錬室へと改造を施していった。
 少なくとも読み書きはできるのだからと、ハンナに「毎日の情報をどうにか入手する方法はないか」と尋ねたら、「新聞を読みますか?」と言われて、毎日新聞を読むようになった。
 魔王討伐の際にも、悪い吟遊詩人たちにさんざん悪評をばら撒かれて妨害された記憶があるものだから、公の情報源というものを取るのは気が進まなかったが、今はひとりで町まで往復するだけの体力がないのだから、我慢して読むようにした。
 毎日新聞を読み、体操をして呼吸を整えてから、強化タイティングを全身に施す。それからモップの先を外した柄を取り出すと、ブンッブンッと素振りをはじめた。
 コルセットを外し、ドレスの下には乗馬ズボンに乗馬ブーツ。
 もしここに公爵家の人間が訪れたら「なんてはしたない!」と卒倒しかねない格好だが、動きやすい上に、床を十分踏み固められるものだから、鍛錬のときに力が偏ることもない。
 毎日の散歩に、体操。素振り。
 勇者アビーとして、魔物と戦い続けた日々を思えば、亀の歩みのようなスピードではあったが、少しずつ、本当に少しずつ虚弱な体が変わりはじめていた。強化タイティングで全身をコーティングして筋肉の代わりに使っているとはいえど、筋肉だけで呼吸ができる訳ではなく、運動すればすぐに息が切れる。苦しくなってすぐに倒れる。そのたびにハンナに泣かれてしまうのだから、遅々とした歩みの鍛錬になる訳だった。
 それでも情報を蓄えてゆっくりでも鍛錬を続けていけば、少しずつ虚弱で病弱な体も変わってきた。
 どうも今代では、魔法はほぼ使われないらしい。
 アビーたちが戦闘の際に使っていた魔法は、今は古典魔法と呼ばれて、学者が研究する以外ではほぼ使用されず、一般人は魔法を行使することどころか、認識することすらできなくなっているという。
 おまけに勇者アビーがいた頃では考えられないくらいに、平和になっていた。
 魔物どころか野生動物も人のつくった町に現れることは滅多になく、狩りをするのは害獣駆除ではなくって娯楽の一環となっていた。
 だがどうにも、レニーは違和感を拭えずにいた。
 これは千年ほど時代を経ているための時代錯誤な考えなのか、勇者アビーとしての直感なのかは判別が付かないが、なにかがおかしい。
 わざわざ平和な時代に、魔王が輪廻を弄ってまで勇者を転生させるだろうか。
 平和な世界を壊すように仕向ける……なんて、公爵令嬢とはいえどもなんの権限も体力も持ち合わせていない娘がするには、やや骨が折れるというものだ。
 なによりも気がかりなのは、今代で初めて聞くミイルズ教という宗教組織だ。
 勇者アビーの時代では、宗教組織は今代における病院の代わりのような場所であり、勇者アビーの恋人だった聖女エデルもまた、世界最高峰の治癒師でもあった。
 新聞を隅から隅まで読み進めてみると、ミイルズ教が運営している孤児院の子供たちの里親募集の広告やら、ミイルズ教の教会で行った結婚式の記事やら、やけにミイルズ教の名前や活動内容が目に入るのだ。ひとつひとつの記事は小さなものだが、こうも多いと、作為的なものを感じる。
 そこまでレニーが考えて素振りをしていると、ドアが鳴った。

「失礼します。レニー様、いらっしゃいますか?」

 ドアの向こうから、ハスキーな男性の声が響いた。その声にレニーはにやりと笑う。

「どうぞ」
「はい、失礼します……すごいですね、立派な鍛錬室になりまして」
「わざわざ来てくれてありがとう、ティオボルド」
「そりゃレニー様のご要望とあれば、なんなりと」

 ウィンクしながらレニーに軽口をたたくのは、公爵が別荘にまで送っていた護衛騎士のティオボルドであった。金髪の短く切りそろえた髪に琥珀色の瞳を流し、メイドたちがうっとりと見惚れている現場は何度も目にしていた。
 ハンナに頼んで見繕ってもらっていた、鍛錬相手である。

「しかし、まあ……先日の馬車の横転事故がきっかけで体を鍛え直したいとおっしゃられるとは、ずいぶんと変わった心掛けですね?」
「ハンナに泣かれたからな。どっちみちこの別荘から町に降りようにも馬が使えなかったら時間だってかかるし、乗馬するにも体力がいるからな」
「なるほどなるほど……それで、今までの鍛錬の成果を見たいと」
「ああ、よろしく頼む」

 モップの柄を構えて語るレニーに、ティオボルドが肩を竦めてから、鍛錬室を見回した。レニーが持ってきていたモップの柄が何本も並んでいる。その中から一本選ぶと、レニーに向ける。

「それでは、どこからでも打ち込んできてください」
「……そんな、丸腰でいいのか?」
「一応これでも、神殿騎士として切り込み隊長を務めていましたから」
「ふうん? うちで働いているのはどうして?」
「スカウトですよ。公爵様の給料が命をかけるに見合うものでしたので」
「なるほど」

 空気が切り替わった。
 ティオボルドはレニーと違って、古典魔法を行使してもいなければ、当然ながら強化タイティングを施していないというのに、彼のモップの柄から体全体を力がくまなく通っていくのを、レニーは感じた。
 レニーはそれに感心した。ハンナが選んでくれた騎士は、本当にきちんと鍛錬を積んだ騎士らしい。
 レニーは足を突っ張る。乗馬服に乗馬ブーツは、体を動かすのにちょうどいい。前世の動きを思い出しながら、大きく床を蹴った。
 柄と柄が大きくぶつかる。これが本物の剣であったら火花が散ってもおかしくなかった。
 レニーの踏み込みを、ティオボルドは難なく受けて交わしたのだ。その中で彼は少し驚いて彼女を見下ろした。

「レニー様……つい最近鍛錬はじめたばかりじゃなかったです? 新米騎士よりもよっぽど、踏み込みが強いですよ。おまけに……この動きは乱戦向きですな?」
「すごいな……神殿騎士ってそんな荒事もこなしていたんだ?」
「酔っ払いが教会の教義の邪魔をするなんて、しょっちゅうでしたしね」

 レニーはにやりと笑う。
 たしかに強いのだ、ティオボルドは。ようやく剣技を振るえるところまで体を整えたレニーでは、まだ彼に一撃を見舞うことができない程度に。だが。
 ティオボルドの動きは、あまりにも型通りであった。勇者アビーが相手取っていたのは、冒険者や剣士だけではなく、ほとんどは魔物であり、型通りの動きなんかしたら、すぐに動きを見切られて最悪命を落としてしまうのだから、剣筋はどうしても殺すための乱戦向けになる。
 この時代は、せっかくの剣の才能すら殺してしまうのか。それは平和の副産物なのか、解雇主義なのか、レニーにはわからなかった。
 レニーの体はまだ悲鳴を上げない。
 強化タイティングだけではなく、短期予知プレディクションを駆使して戦っているため、魔力が枯渇しない限りは、最適解の戦いを行える。
 筋力を魔力で補って戦っているレニーだが、それでも純粋な運動神経のみで戦うティオボルドもまた、未だに息を切らさない。
 本当に、もったいない。
 この時代だとほとんど使われなくなった魔法の補助さえあったら、彼はもっと強くなるし、自分でも勝てるかどうかわからない最高の騎士になるというのに。それともこの時代は、強くなることすらためらわれる時代なんだろうか。
 何度目かの結んだモップの柄だが、ふたりの激しい鍔競り合いに耐え切れず、とうとうボキリと大きな音を立てて折れてしまった。
 それが転がったことで、ようやくふたりは我に返った。

「……驚きましたなあ。レニー様、最近体力づくりをなさっているとハンナから伺いましたが、まさかここまで乱暴な剣技まで身に着けてらしたとは」
「ティオボルドは、俺がそんな技を覚えるのが面白くないのか?」

 折れてしまったモップの柄を拾い、ぽいっと屑籠に入れながら尋ねると、ティオボルドは「いいえ」と言った。

「最近はどうにも、行儀がいいのが流行りにようなんですが、自分はそれはどうにも面白くないと思っているんです。病弱だったレニー様には、その不満はわかりますか?」

 その言葉に、レニーは少なからず感動を覚えた。
 どうにも自分はこの時代に違和感を持っているが、それを感じているのは前世の記憶を持っている自分だけではなく、この時代を生きている彼もまた同じ気持ちだったことだ。
 命をかけなくても生きていける時代でも、心の拠り所は必要なのだから、戦いに身を置いてきた人間からしてみれば、現状はちっとも面白くない。前世の記憶を取り戻してから、妙に落ち着かなかった気持ちが、同士を見つけたことで、少しだけ安心できた。

「ものすごくわかるよ。ところで、ティオボルド」
「はい?」

 同士が見つけたのだから、秘密の共有をしてみたいと、レニーは悪戯っぽく笑った。
 勇者アビーもまた、剣士バルドリックに誘いをかけたときに、全く同じ顔をしていた。

「古典魔法って覚えたくないか?」
「……はい?」
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