還俗令嬢のセカンドスローライフ

石田空

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これが私の旦那様

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 畑で咲いているのは紫の花。イモの花は綺麗だ。イモは痩せた土地でも育てられる替わり、連作障害があるから気を付けないといけない作物。
 あれだな。ふくよかな土地にそうじゃないと育たない野菜を先に植え、それが終わったあとの痩せた土地に代わりにイモを育てることで、連作障害を避けているんだろう。
 クレージュ伯爵はきちんと自身の国のことを考えている人だ。だとしたら、どうしてこの土地が呪われた土地なんて言われるようになってしまったんだろう。
 私は首を傾げながら、畑作業をしている人たちのところに話を聞きに行くことにした。

「失礼します」
「おや?」

 収穫は基本的に早朝に済ませてしまうため、真昼間にやっている作業と言えば、もっぱら間引き作業だ。それを率先してやっている人は、農作業をしている人にしてはやけに身長が高く、それでいて農作業している人らしくこんがりと日焼けしている人だった。
 シャツにスラックスという動きやすいいで立ちで、首からタオルをかけて、それで汗を拭っている。
 ずっと作業していたのだろう。嵌めている手袋はドロドロに汚れてしまっているし、まくり上げた袖にも土が付いている。

「どうされましたか? ここは貴族のお嬢さんがいらっしゃる場所ではないですよ?」

 穏やかな口調は、日頃神殿内にあるブドウ畑を一緒に面倒見てくれている人たちを思い返した。
 そう思い返しながら、私は口を開いた。

「すみません。私はクレージュ伯爵様のところに嫁ぐことになった、オリオール家のシルヴィです。クレージュ伯爵様を探しているんですけれど……ご存じありませんか?」
「おや? おやおやおやおや」

 その人は私の言葉に、腰を屈めてまじまじと見つめてきた。それに私の腰が引ける。
 そばかすだと誤魔化せる程度には薄くなっているものの、光の加減だと未だに斑点だとわかってしまうし、化石病に疾患していたことを知られても困ってしまう。農民からしてみれば、体の弱い人間は人手にならないから困るだろうし。
 私の腰が引けている中、その人はにこやかに答えた。

「これは失礼しました! たしかオリオール子爵家はここからでしたら三刻はかかるため、まだ着かないと思っていたもので。明日は雨だと聞いていたので、今の内に間引きをしていたんですよ。雨上がりだと、育ってしまうため」
「へっ?」
「ああ、申し遅れましたね。自分はジル・クレージュ。今の伯爵になります」
「へっっ……!? へえ…………っ!?」

 私は目玉がポンッと出るんじゃないかというくらいに驚いた。
 でもよくよく見れば、黒髪に金色の瞳……元々この辺りの伯爵は王家の遠縁に当たるため、王族に多い黒髪金眼の方は伯爵にもおられる……そう前に神殿に顔を出していた商家の人から教わっていた。
 私が言葉を失っている間に、ジル様と来たら、他の方々に話を付けはじめた。

「大変申し訳ございません。予定より早く婚約者がいらっしゃいましたので……自分が抜けても作業は続けられますか?」

 ジル様は心底申し訳なさそうに尋ねている。どうも農作業を手伝っているのは日常茶飯事らしい。
 それに対して、農民さんたちは皆首を縦に振りはじめた。

「母ちゃんの話を聞かん奴は飯抜きなんてしょっちゅうだよ。伯爵様も嫁さん娶るんだったらちゃんとそっち優先しないといかんよ」
「そうそう。母ちゃんの話をちゃんと聞くのが夫婦円満のコツだよ」

 そう言って送り出してくれた。
 たしかにそうなんだけれど、今初めて会ったばかりなので、そう言われても実感が沸かない。
 綺麗な畑を眺めながら、ふたりで道を歩いて行く。

「綺麗な畑ですね」
「おや、畑の良しあしがわかりますか」
「一応ブドウの世話くらいならば……」
「神殿関係者の方ですか?」

 そう聞かれて、私は少しだけ驚いてジル様を眺めていた。
 一応ブドウ専門の農家も存在するものの、青果は貴族にしか出回らないし、庶民が口にできるとなったら、神殿が運営費稼ぎにつくっているワインか干しブドウになる。
 そこまで知っているとなったら、この人ただの道楽で農作業を手伝っている人じゃないな。頭がいいんだ。伯爵をしている以上、領地経営をしないといけないから、当然といえば当然なのかもだけれど。

「お恥ずかしながら……先日まで神殿にいたんです」
「おや、行儀見習いですか」

 まさかなあ。顔の斑点が原因で「嫁の貰い手ないだろ」なんて理由で神殿に捨てられてたなんて本当のこと言えないし。
 結局は「そうです」とだけ短く答えたら、途端にジル様の金色の瞳が星のように輝いた。

「だとしたら、神殿では奉仕活動の一環でお菓子をつくると伺っていますが!」
「ええっと……はい」
「でしたら、是非ともお付き合いしてくださると嬉しいのですが!!」

 そう言いながら私の手を取ろうとしたものの、手袋が汚れていることに気付いたのか、それを外して中の綺麗な手で私の手を掴んだ。
 大きな手な上、指先が固くて、明らかに力仕事をしてつくられたと思われる豆がボコボコと出来ていた。奉仕活動が原因で、全体的に貴族令嬢の手とは思えないくらいに乾いて荒れている手の私は、気まずい思いをして掴まれていた。

「是非とも、売れるような特産品をつくりたいんですよ! 協力していただけませんか!?」
「ええっと……はい。私で力になれることでしたら」

 正直、幼少期に神殿に放り込まれた関係で、既に貴族教育の内容はすっかりと抜けてしまっている。今の私を占めているのは、神殿の教義や奉仕活動で培った知識ばかりだ。
 そんな私でも力になれることがあるんだったら、それは素敵なことだなと思った。

****

 屋敷の中も、私の記憶にわずかにある貴族邸のものよりも調度品は簡素なものが多かった。装飾を簡素にすることで、何十年も使えるように考え抜かれているらしい。
 そこで出されたのはメリッサティーだった。優しい匂いのお茶を楽しんでいたら、ジル様が頭を下げてきた。

「先程は大変失礼しました」
「ええっと? 私は失礼なことをされた覚えがないんですけれど?」
「いえ……いきなり還俗されたばかりの方の手を掴んだり、不躾な申し出をしたりと……嫁がれたばかりの方にかけるべき負担ではありませんでした」

 そう言ってしょげた。
 ジル様は先程までのドロドロの服を着替え、シャツにドレスコートのジャケットを羽織り、まっさらなスラックスに穿き替えていた。先程までの不思議な魅力も素敵だったけれど、正装に着替えた途端に、威厳と上品さを併せ持った貴族然としたいで立ちになる。
 そんな人に謝られると、私もあわあわとなる。
 たしかに神殿にずっと篭もっていたら、あまり男性と接する気概もなくなるが、全くない訳でもない。
 神殿でつくっているお菓子を買い求めに来る商人さんともお話をするし、神官さんだって男の人のほうが多い。

「あまり気になさらないでください。でもこれだけ豊かな畑でしたら、特産品として売らなくても、野菜そのもので充分売買できるとは思いましたが。野菜自体はまだ確認できませんでしたけど、ここの畑は皆健康そのものだと思います」
「ああ……それなんですけれど」

 私の言葉に、途端にジル様は顔を曇らせてしまった。
 待って、私そんなに失礼なことを言った覚えがないのだけれど。私がおろおろしていたら、ジル様は重々しく口を開いた。

「クレージュ伯爵領は呪いが蔓延している」
「……っ!!」
「何故かそんな噂が蔓延してしまい。そのせいで、うちの野菜だと言えば途端に売れ行きがよくなくなってしまったんです。噂の出どころを調査しているのですが、なかなか追跡しきれず。このままでは、領民にも迷惑をかけますから」
「……それは私も伺いました。その呪いって、領地内では出ないのですか?」
「はい、全然。だからわからずに困っているんです」

 つまりは……風評被害。
 領民に覚えのない話が原因で、お姉様も嫁入りを拒否った訳で、これ百害あって一利なしじゃない。
 しばらく考えてから、私は口を開いた。

「……わかりました。特産品を考えつつ、並行してその呪いの出どころを探せばよろしいのですね?」
「そんな。風評被害の調査は、自分の仕事ですから、わざわざ嫁いでくださったシルヴィさんにさせる訳には……」
「いえ、お気になさらず、ジル様。神殿にいた頃から、一番怖い呪いは風評被害と心得ていますから」

 実際問題、神殿にやってきた令嬢の中には、覚えのない風評被害が原因で、神殿に避難するしかなかった人だっている。
 一番の呪いは形が見えないんだ。

「頑張りましょう」
「……心強いですね」

 そう笑顔で言われた。
 まだこの方と結婚したという実感はないものの、ふたりで最初にすることが決まったのはよかった。
 だって少なくとも、ジル様をいい人だと思えたことがよかった。
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