ちゅちゅん すずめのお宿

石田空

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約束と謎解き

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 私は若彦さんと一緒にどんぶりを頼んだ。
 届いた海鮮丼は、季節の戻り鰹を中心にしたもので、プリプリの戻り鰹に、鯛、イカなどを切って盛り付けたものだった。店員さんはやんわりと言う。

「漬けになりますので、こちらはそのままでもお召し上がりできますよ。こちらに出汁を用意しておりますから、最後は出汁漬けにしてお楽しみくださいませ」

 味変まで用意してあり、至れり尽くせりだ。私は「いただきまあす」と手を合わせてから、まずは戻り鰹をいただいた。
 ふっと鰹節の香りがしたかと思ったら、梅の味がする。

「ん? 漬けっててっきり、醤油とかみりんだと思ったんですけどねえ」

 漬けは一般的には醤油とみりんを一対一とかの割合にしているものに漬け込んでいるけれど。これは違うようだ。
 でも梅干しのようにただ酸っぱいだけでもないし、鰹節の香りだけでもない。なんかまろやかな味わいで、おいしい。
 私が首を捻っていたら、隣でかき揚げを割っている若彦さんは笑った。

「それ煎り酒じゃありませんか?」
「煎り酒? お酒なんですかね」
「醤油が一般普及される前に使われてた調味料ですよ。梅干しを出汁と一緒に日本酒で煮るから煎り酒ですね。日持ちしないんで、日持ちする醤油に取って代わられましたけど、今でも魚を食べる際に魚の旨味を引き立てるとかで、使う場合もありますよ」
「はあ……なあるほど」

 醤油文化はたしか江戸時代だっけか。その前に流行ったもんか。でもたしかにアルコール飛ばしたものって、あんまり日持ちはしないから冷蔵庫のない時代だったら廃れちゃうかもな。
 それを聞きながら、私は今度はイカをいただいた。煎り酒だと色もそこまで大きく変わらないし、色合いを気にする料理だったらたしかに残るのかも。
 そのあとにお出汁をかけて出汁漬けにしてから、さらさらといただく。使われている出汁は鰹でも昆布でもないけど、なんだろなあ。赤だしに使われてたものと同じ気がするけれど、いまいち確証がもてない……。
 お腹が満たされ、私は「ごちそうさまでした」と手を合わせていたら「さて」と若彦さんが切り出してきた。

「今朝はどこを冒険してたんですか?」
「冒険ってほどじゃありませんし、私が解決したことなんて、なにひとつないんですけど」
「でも幸福湯には様々な方が訪れますからね。なにか面白いことでもあったんじゃないですか?」

 そう尋ねられて、私は考え込んだ。
 ひとまずは私はメモの整理がてら、手持ちのメモにペンで走り書きしながら答えた。

「今日、あおじと一緒に出かけた先で、天女さんに会ったんですよ。天女さん……えっと……」
「わかりますよ。羽衣伝説は日本各地にありますから」
「ああ、そうですか……そのひと、羽衣をよりによって枝に突き刺しちゃったんで大泣きしてたんです。いじけてたのを見かねたあおじが、鶴子さんに頼んで羽衣を仕立て直してもらったんです。それで天女さんは元気に帰って行きました」
「ああ、なるほど」
「……若彦さんは、鶴子さんのことは」
「知ってますよ。これでも幸福湯の常連ですから」

 若彦さんは、どうも私が遭遇したことは経験はしてなくっても、普通に見聞きしているようだった。若彦さんは届けられたほうじ茶で口を湿らせてから続ける。

「ここは割とその手の方が訪れますからね」
「そういえば……昨日会った際もおっしゃっていましたね。私たちの中では既に御伽草子は日本むかし話に昇華されてしまっているようななにかがここを訪れるって」
「ええ。言いましたね」

 若彦さんはにこやかに言う。

「ですから、もしかしたら物語の裏側を見られることがあるやもしれません」
「まあ……たしかにそうですよね」

 そりゃ私だって、天女さんがあまりにドジっ子アピールしてくるなんて思ってもみなかったし、鶴の恩返しの鶴の鶴子さんだってあまりに恋愛脳だったなんて思いもしなかった。ここに来てから、いちいちカルチャーショックを受け続けているんだ。
 あれ、でも……。
 そこでふと気付き、私は思わず若彦さんを見た。若彦さんは相変わらず端正で柔和な顔つきをしていたが、その中身を全部読み取れているとは言いにくい。

「じゃあ、若彦さんもなんですかねえ……?」
「どうして?」
「いえ……私多分、どこかで若彦さんのお名前聞いたことがあるような気がして……」

 最初に聞いた際からずっと考えている。私も多分小説を書く際に資料で見たんだと思ったけれど、私の調べ方が悪いのか、どうにも上手く出てこない。
 私の言葉に、若彦さんは一瞬目を丸くしたあと、すぐに柔和な笑みに戻ってしまった。

「なら、奥菜さんがここの宿に滞在中の間に俺の正体を突き止めてください」
「はい? それって、なんか役に立つんですかねえ?」
「少なくとも、話の種にはなるかと思いますし、奥菜さんがただ滞在するだけでなく、目標が生まれるかと思いますよ」
「目標……」

 それは不可解な謎解きではあるけれど、よくよく考えるとそうだ。
 正体を突き止めたら除霊されるっていうのは、いわゆる霊能力ものだったらよくあるパターンだし、未だに紫式部や清少納言の本名を調べるというのがライフワークになっている学者だっている。
 なによりも、私がただただネタ探しだけやっているよりも楽しく滞在できそうなんだ。

「わかりました。じゃあ私も滞在中に、若彦さんの正体を頑張って探りますね?」
「ええ。楽しみにしています」

 そう言って、私たちは一旦別れた。
 私は「そういえば」と思い至る。
 あおじは若彦さんのことを「あまりきらわないであげてくださいね」と言っていたし、鶴子さんは心底嫌そうな顔をしていた。
 もしかして、幸福湯のひとたちは皆、若彦さんの正体を知っているんだろうか。
 そこまで考えたけれど、すぐに「やめておこう」と自分の中で沸いた思いつきを却下した。知ってそうな人に「若彦さんの正体を教えてください」と言ってすぐ突き止めてしまったら、楽しくなさそうだ。やっぱり私が自分自身で突き止めたほうがいいだろう。
 そういうことにして、私は散歩に出かけることにした。

****

 午後はどうしようか考えた末、今日は露天風呂のほうに行ってみることにした。
 前はたまたまとはいえ若彦さんに会ったし、折角異性に出会ったのに露天風呂に行くのも面白くなかったから行かなかった。

「まさか初対面のひとと混浴はどうかと思うしねえ……」

 男湯、女湯の他に、混浴は存在していた。実際に性差をあまり気にしてないひとたちは利用しているみたいだけれど、気にする私は入る気にはなれなかった。
 温泉セットを一式持って、なだらかな坂を登って足湯を通過した先に、たしかに露天風呂が存在した。温泉の独特のにおいがするけれど、これ多分硫黄じゃないんだよなあ。硫黄以外のにおいの違いはいまいちわからないけど。
 温泉の脱衣所に到着した私は、早速服を脱いでタオルを巻き、中へと入っていった。
 まずは洗い場で体を綺麗に洗ってから、露天風呂へと顔を出す。露天風呂の囲いの向こうからも紅葉と桜が見え、温泉の湯気で霞んで見える様が、なんとも言えずに雅だ。

「綺麗……」

 そう感嘆の声を上げ、私は湯に足を浸け、そろそろと中へと入っていく。足湯だけでも気持ちがよかったけれど、この滑らかなお湯はやっぱり全身で浴びたほうがいい。
 なによりも山の手の程よい冷気と温泉の熱さが程よく、体もぬくもって心地よくなっていく。

「はあ、贅沢なもんですねえ」

 その声に、私はやっと先客がいることに気付いた。肌が驚くほど白く、タオルでまとめた髪の毛が真っ黒なのはわかった。
 独り言を聞かれたかもしれないと気まずい思いをしたものの、そのひとは私を手招きしてきた。

「よろしかったら、少し話し相手になってくださいませんか」
「は、はあ……」

 私はそろりそろりとそのひとに近付いた。
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