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聖女、神殿への帰還を急ぐ
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空は既に紺碧。
神殿の地下では不安が重くのしかかっていた。
「アンナリーザ様、結界の綻びに向かってから行方が……」
「まさか私たちを見捨てて、王都へと?」
「そんな訳ないでしょう!? あの方は絶対に私たちを見捨てたりは……」
「でも……聖女様も既に魔力が……それに食料だって、水だって、いったいいつまで持つのか」
「しっかりなさい!」
巫女見習いの弱気を巫女たちが平手を張って止める。それらを遠巻きに見ている避難者たちは、普段は立場や身分関係なく声をかけてくれる聖女の姿が見えないことで、彼女たちがやり合っている理由を薄々と察する。
「聖女様は、俺たちを見捨てた……?」
「でも夜にここを出る訳にはいかないだろ。聖水が切れたとき、訳がわからなくなって飛び出した奴らの中で生き残ったのはいったいどれだけいるんだよ」
「でも、聖女様がいない中で、いったい俺たちいつまで生きられるんだよ……!」
今までは、アンナリーザが声を張り上げ、高らかに笑い飛ばし、実際に目の前で怪我人や呪いの蔓延した人々を治して見せたことで、落ち着いていたはずの澱みが、彼女の不在で一気に噴出していた。
それらに「うろたえるな!」と声を張り上げるものがいる。
聖女アンナリーザに鼓舞され、前線で必死に戦わない戦いを繰り広げていた神殿騎士たちである。中にはもうちょっとで呪いにかかり、リビングデッドになりかかった者たちもいる。震えそうになりながら必死で呪文詠唱を続けていた神官がいる。
「あなた方は俺たちが守る! 聖女様が帰還するまで、誰ひとりとして死なせることはない! あなた方は、どうかここで巫女たちを鼓舞してくれ! 結界を張る!」
アンナリーザの姿がなくとも、聖女の詠唱の後方支援がなくとも、避難民たちを守って戦う騎士たちの役目も、彼らをサポートする神官たちの使命も、結界を展開する巫女たちの歌も、なんら変わりはない。
それに避難民はそれぞれ顔を見合わせる。
どのみち、この夜を超えなくては明日はやってこない。
騎士たちが地上へと向かっていったのを見届けてから、巫女たちの賛美歌が響きはじめた。
「今日一日、よく生き残りました。今宵ひと晩も、どうぞ生き残ることができますように──……」
祈りが、願いが、賛美歌に乗って広がり、結界を展開する。
今晩も長い戦いがはじまる──……聖女の帰還を待たずして。
彼女を恨むことでなにもかもが終わればそれでいいのだが、既に彼らは恨むことで失うもののほうが多いことを知っていた。だから、それが盲目だと言われようと、信じること以外できないのであった。
****
アンナリーザがカルミネと共に、馬車でルーチェに向かった際には、既に宮廷魔術師たちが交代しようと待っていた。
「今日はずいぶんと遅かったわね、それでは交代を……あら?」
馬車から出てきた者を見て、宮廷魔術師たちは目を瞬かせる。どう見ても着ているのはローブではなく神殿装束と吟遊詩人の軽い身のこなしで、自分たちの同業者ではない。
どういうことかと宮廷魔術師たちは騎士見習いたちを見ても、本人たちもわかっていないのだから、答えられる訳もあるまい。
ただアンナリーザだけは、堂々とした様子で馬車から降りると、ちらりと先方を見た。
人払いの結界のほうには、昼間はビタンビタンと結界を叩くリビングデッドの姿があるものの、今は夜だ。リビングデッドは神殿に向かっているのだろう。
「あなたたちに頼みたいことがあります」
「せ、聖女様!? どうしてこのような場所に……」
「私は皆を守るために魔力供給に出ただけ。夜になる前に戻る予定だったんですが、こんなに遅くなってしまった以上、早く戻らなくてはいけません」
「こ、困ります……聖女様にもしものことがあったら……」
「だから、早く終わらせるんです。もう魔力供給も充分できましたから」
アンナリーザはにっこりと笑う。
彼女から漂う謎の威圧感は、本来この国においてもっとも知恵の回る宮廷魔術師たちの口すら鈍らせているのだ。
相変わらず……とカルミネが遠くを見ると、アンナリーザは更に言葉を重ねる。
「あなたたち、呪文詠唱短縮させる重宝を持っているでしょう。貸してくださらないかしら?」
「えっ」「えっ」
宮廷魔術師たちとカルミネは、同時に声を上げた。
カルミネは恐る恐るアンナリーザに尋ねる。
「あのう……そんな大切なものでしたら、シェンツァちゃんから借り受けたほうがよかったんじゃ……」
「ぱっと見たかぎりじゃ、あの倉庫にはなさそうだったから。だとしたら、今前線に出ている子たちが持ってるんじゃないかと思ってね。私もさすがに丸一日も詠唱なんてできないもの」
「いや、そうかもしんないですけど。今から急いで行ったほうが……」
「あら、ここでなにもなしに飛び込んでも、待つのは全滅よ? 全員生き残るのって、難しいのよ?」
アンナリーザの言葉に、カルミネが絶句している中。宮廷魔術師たちは顔を見合わせる。
本来、彼女をここで足止めすることが自分たちの役割だ。宮廷魔術師たちはあくまで上司は国王であり、神殿ではないのだから。
だが。
アンナリーザの威圧感で、もしここで彼女を無理矢理止めたりしたら。自分たちのなにもかもを奪ってでも逃走されるような気がする。
もし中途半端に足止めした挙句に逃げられ、彼女を死なせてしまうのと。自分から行くと言った上で止めきれず死なせるのと、どちらのほうが自分たちの罪状は軽くなるのか。
考えた結果、全て聖女のせいにすることにした。
シェンツァのように知的好奇心旺盛な上に、人の気持ちも考える宮廷魔術師のほうが珍しいのだ。ほとんどは我関せずの自己責任ロールの者たちである。
宮廷魔術師のひとりがアンナリーザに膝を突くと、ローブの中から重宝を差し出した。シェンツァから借りたものは皿に似ていたが、こちらは小瓶に似ている。
「聖女様、使い方はご存じで?」
「ええ、知っているわ。あとあなたたち」
騎士見習いたちは驚いて背筋を伸ばす。
「は、はい!」
「その馬車、借りてよろしい? 徒歩だと神殿まで到着するのに時間がかかるから。あと、屋根は取っ払ってもよろしい?」
なにを言っているんだ。
カルミネはダラダラと汗を掻いている中、アンナリーザはにっこりと笑った。
「カルミネ、あなたに任せたいことがあるんだけれど」
「せ、せめて騎士見習いの皆さんに、馬車で送り届けてもらうって選択肢は……!?」
「未来ある若い子たちを、こんな危ないところに行かせる訳にはいかないじゃない。もっと鍛錬積んでいるのだったらいざ知らず、まだ体も出来上がってないのに」
「ですよね!? 俺は!? ねえ俺は!? ものすっごく貧弱な吟遊詩人ですけど!?」
「あら、カルミネは大丈夫でしょ? あなた逃げるのだけは上手いから。無理しないでしょ絶対」
知ってた。この聖女、人の話聞かないって知ってた。
カルミネは頭を抱えながら、騎士見習いたちを見た。
「あのう……本当に自分たち行かなくっても……?」
彼らは宮廷魔術師たちと違い、まだ保身に走るほども俗世に染まってはいない様子だった。アンナリーザはにっこりと笑う。
「ええ、ここまで送ってもらったのだから、それで充分」
「……ご武運を」
彼らは困り果てて、彼女に言われるがまま、馬車の屋根を取り外した。
カルミネは御者として馬車に乗り、涙目で手綱を握る。
アンナリーザはソファーにそのまま飛び乗り、錫杖を構えた。
「それじゃあ、行きましょう」
「ああ、畜生! 絶対にこの横暴な聖女のこと歌にしてやる!」
「そうしてちょうだい。せいぜい私のことを汚らしく書いてちょうだい。そのほうが、この戦いが凄惨だったと伝わるでしょう?」
馬車は動きはじめた。
結界の向こうは腐臭の続く、暗い街並み。今は月明かりすらないリビングデッドの支配する都。
その街道を馬車は駆けていったのだ。
神殿の地下では不安が重くのしかかっていた。
「アンナリーザ様、結界の綻びに向かってから行方が……」
「まさか私たちを見捨てて、王都へと?」
「そんな訳ないでしょう!? あの方は絶対に私たちを見捨てたりは……」
「でも……聖女様も既に魔力が……それに食料だって、水だって、いったいいつまで持つのか」
「しっかりなさい!」
巫女見習いの弱気を巫女たちが平手を張って止める。それらを遠巻きに見ている避難者たちは、普段は立場や身分関係なく声をかけてくれる聖女の姿が見えないことで、彼女たちがやり合っている理由を薄々と察する。
「聖女様は、俺たちを見捨てた……?」
「でも夜にここを出る訳にはいかないだろ。聖水が切れたとき、訳がわからなくなって飛び出した奴らの中で生き残ったのはいったいどれだけいるんだよ」
「でも、聖女様がいない中で、いったい俺たちいつまで生きられるんだよ……!」
今までは、アンナリーザが声を張り上げ、高らかに笑い飛ばし、実際に目の前で怪我人や呪いの蔓延した人々を治して見せたことで、落ち着いていたはずの澱みが、彼女の不在で一気に噴出していた。
それらに「うろたえるな!」と声を張り上げるものがいる。
聖女アンナリーザに鼓舞され、前線で必死に戦わない戦いを繰り広げていた神殿騎士たちである。中にはもうちょっとで呪いにかかり、リビングデッドになりかかった者たちもいる。震えそうになりながら必死で呪文詠唱を続けていた神官がいる。
「あなた方は俺たちが守る! 聖女様が帰還するまで、誰ひとりとして死なせることはない! あなた方は、どうかここで巫女たちを鼓舞してくれ! 結界を張る!」
アンナリーザの姿がなくとも、聖女の詠唱の後方支援がなくとも、避難民たちを守って戦う騎士たちの役目も、彼らをサポートする神官たちの使命も、結界を展開する巫女たちの歌も、なんら変わりはない。
それに避難民はそれぞれ顔を見合わせる。
どのみち、この夜を超えなくては明日はやってこない。
騎士たちが地上へと向かっていったのを見届けてから、巫女たちの賛美歌が響きはじめた。
「今日一日、よく生き残りました。今宵ひと晩も、どうぞ生き残ることができますように──……」
祈りが、願いが、賛美歌に乗って広がり、結界を展開する。
今晩も長い戦いがはじまる──……聖女の帰還を待たずして。
彼女を恨むことでなにもかもが終わればそれでいいのだが、既に彼らは恨むことで失うもののほうが多いことを知っていた。だから、それが盲目だと言われようと、信じること以外できないのであった。
****
アンナリーザがカルミネと共に、馬車でルーチェに向かった際には、既に宮廷魔術師たちが交代しようと待っていた。
「今日はずいぶんと遅かったわね、それでは交代を……あら?」
馬車から出てきた者を見て、宮廷魔術師たちは目を瞬かせる。どう見ても着ているのはローブではなく神殿装束と吟遊詩人の軽い身のこなしで、自分たちの同業者ではない。
どういうことかと宮廷魔術師たちは騎士見習いたちを見ても、本人たちもわかっていないのだから、答えられる訳もあるまい。
ただアンナリーザだけは、堂々とした様子で馬車から降りると、ちらりと先方を見た。
人払いの結界のほうには、昼間はビタンビタンと結界を叩くリビングデッドの姿があるものの、今は夜だ。リビングデッドは神殿に向かっているのだろう。
「あなたたちに頼みたいことがあります」
「せ、聖女様!? どうしてこのような場所に……」
「私は皆を守るために魔力供給に出ただけ。夜になる前に戻る予定だったんですが、こんなに遅くなってしまった以上、早く戻らなくてはいけません」
「こ、困ります……聖女様にもしものことがあったら……」
「だから、早く終わらせるんです。もう魔力供給も充分できましたから」
アンナリーザはにっこりと笑う。
彼女から漂う謎の威圧感は、本来この国においてもっとも知恵の回る宮廷魔術師たちの口すら鈍らせているのだ。
相変わらず……とカルミネが遠くを見ると、アンナリーザは更に言葉を重ねる。
「あなたたち、呪文詠唱短縮させる重宝を持っているでしょう。貸してくださらないかしら?」
「えっ」「えっ」
宮廷魔術師たちとカルミネは、同時に声を上げた。
カルミネは恐る恐るアンナリーザに尋ねる。
「あのう……そんな大切なものでしたら、シェンツァちゃんから借り受けたほうがよかったんじゃ……」
「ぱっと見たかぎりじゃ、あの倉庫にはなさそうだったから。だとしたら、今前線に出ている子たちが持ってるんじゃないかと思ってね。私もさすがに丸一日も詠唱なんてできないもの」
「いや、そうかもしんないですけど。今から急いで行ったほうが……」
「あら、ここでなにもなしに飛び込んでも、待つのは全滅よ? 全員生き残るのって、難しいのよ?」
アンナリーザの言葉に、カルミネが絶句している中。宮廷魔術師たちは顔を見合わせる。
本来、彼女をここで足止めすることが自分たちの役割だ。宮廷魔術師たちはあくまで上司は国王であり、神殿ではないのだから。
だが。
アンナリーザの威圧感で、もしここで彼女を無理矢理止めたりしたら。自分たちのなにもかもを奪ってでも逃走されるような気がする。
もし中途半端に足止めした挙句に逃げられ、彼女を死なせてしまうのと。自分から行くと言った上で止めきれず死なせるのと、どちらのほうが自分たちの罪状は軽くなるのか。
考えた結果、全て聖女のせいにすることにした。
シェンツァのように知的好奇心旺盛な上に、人の気持ちも考える宮廷魔術師のほうが珍しいのだ。ほとんどは我関せずの自己責任ロールの者たちである。
宮廷魔術師のひとりがアンナリーザに膝を突くと、ローブの中から重宝を差し出した。シェンツァから借りたものは皿に似ていたが、こちらは小瓶に似ている。
「聖女様、使い方はご存じで?」
「ええ、知っているわ。あとあなたたち」
騎士見習いたちは驚いて背筋を伸ばす。
「は、はい!」
「その馬車、借りてよろしい? 徒歩だと神殿まで到着するのに時間がかかるから。あと、屋根は取っ払ってもよろしい?」
なにを言っているんだ。
カルミネはダラダラと汗を掻いている中、アンナリーザはにっこりと笑った。
「カルミネ、あなたに任せたいことがあるんだけれど」
「せ、せめて騎士見習いの皆さんに、馬車で送り届けてもらうって選択肢は……!?」
「未来ある若い子たちを、こんな危ないところに行かせる訳にはいかないじゃない。もっと鍛錬積んでいるのだったらいざ知らず、まだ体も出来上がってないのに」
「ですよね!? 俺は!? ねえ俺は!? ものすっごく貧弱な吟遊詩人ですけど!?」
「あら、カルミネは大丈夫でしょ? あなた逃げるのだけは上手いから。無理しないでしょ絶対」
知ってた。この聖女、人の話聞かないって知ってた。
カルミネは頭を抱えながら、騎士見習いたちを見た。
「あのう……本当に自分たち行かなくっても……?」
彼らは宮廷魔術師たちと違い、まだ保身に走るほども俗世に染まってはいない様子だった。アンナリーザはにっこりと笑う。
「ええ、ここまで送ってもらったのだから、それで充分」
「……ご武運を」
彼らは困り果てて、彼女に言われるがまま、馬車の屋根を取り外した。
カルミネは御者として馬車に乗り、涙目で手綱を握る。
アンナリーザはソファーにそのまま飛び乗り、錫杖を構えた。
「それじゃあ、行きましょう」
「ああ、畜生! 絶対にこの横暴な聖女のこと歌にしてやる!」
「そうしてちょうだい。せいぜい私のことを汚らしく書いてちょうだい。そのほうが、この戦いが凄惨だったと伝わるでしょう?」
馬車は動きはじめた。
結界の向こうは腐臭の続く、暗い街並み。今は月明かりすらないリビングデッドの支配する都。
その街道を馬車は駆けていったのだ。
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