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聖女、最高位呪文を高らかに詠唱する
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「いぃぃぃぃやぁぁぁぁぁぁああああああ!!!!」
馬車は疾走する。その中で、ときおりこちらへの向かってくる、甘い腐臭を撒き散らすリビングデッド。
カルミネは端正な顔を恐怖で歪ませ、必死で手綱を握って馬車を走らせる。馬車馬が噛まれてもおしまいなのだから、馬をやられる訳にはいかない。
「主よ、今日も一日よく生き長らえました。今夜ひと晩も、どうぞ生き長らえますようお祈りください……」
アンナリーザはカルミネの悲鳴に動じることなく、馬車の上で両足を突っ張らせて座席に立ち、錫杖を構えて詠唱を唱えている。彼女が宮廷魔術師から借り受けた重宝が、きらりと光った。
「浄化《パーフェケイション》……!!」
錫杖から光が溢れ、その光がリビングデッドに突き刺さる。
「ギギギギガガガガガガガガガガガガガ…………ッッ!!」
それは悲鳴なのか、壊れた自動人形の音なのか、必死で手綱を操るカルミネにはわからなかった。ただ、射出された光が消えたら、途端にリビングデッドが消失しているのだ。
聖水は既になく、魔力がなくって浄化しきれなかったリビングデッドが、重宝をふたつ借りただけでもう浄化できるのだ。
これはもう、馬車というよりも戦車であった。ただ違うのは、戦車に乗せる投石機の代わりに、聖女が呪文詠唱を射出しているという点だけだ。
カルミネはちらりとアンナリーザを見た。
彼女は足を広げ、既に次の詠唱に向かっている。
浄化しきることもできず、ひたすら盾を構えて追い出すことしかできなかった戦いとは、もう違うのだ。ただ、これだけ気分が高揚しようとも、アンナリーザは心から高揚感に身を任せることなどできないだろう。
ここまで来るのに、いったい何人死んだのか、わからないのだから。
それにしても。カルミネはリビングデッドさえ見えなくなったら、怖ろしく早い馬車の手綱さえ握っていればいい。賢い馬は、示した街道をひた走ってくれるのだから。
これだけ人が死に、アンナリーザが決死の覚悟を受けて結界を突破しなかったら、本当になにもかもが終わるところだった。死霊使いは、本気でただ、リビングデッドをつくりたい、それだけだったんだろうか。
結界を突破する際に見た、明らかに人の姿から外れた四つん這いのリビングデッドを思い返しながら、カルミネはぞっとした。
……アンナリーザの言葉が正しいなら、既に死霊使いは死んでいる。どうして四つん這いのリビングデッドが出たのかは、死んだあれだってわからなかったのかもしれない。
考え過ぎだ、そう思いながら手綱を握った。
「浄化《パーフェケイション》……!!」
再び浄化の光が降り注いだ。それを当てられたリビングデッドが、たちどころに消え失せる。それにほっとしながらも、カルミネは考え込んでしまった。
「カルミネ、あなたこのまま神殿まで走らせて。もしリビングデッドが現れても、そのまま追いかけさせて」
「はい!? 迂回せず、です……?」
「ええ。できる限りは、今夜中に終わらせてしまいたいからねえ」
アンナリーザは屈伸運動をすると、「よし」と錫杖を握り直す。
カルミネは怖々と尋ねた。
「あのう……なにをする気です?」
「決まってるでしょう。神殿に向かっているリビングデッドを、一掃する。今は呪文短縮の重宝もある。魔力を供給してくれる重宝もある……今しかできないからね」
それにカルミネはぴん、と背筋を伸ばした。
彼女が騎士たちに守られてもなお、完遂させることのできなかった、最上位呪文の詠唱を、ここで行う気だ。
荷が重い。普段のカルミネだったら「無理ぃぃぃぃ!」と弱音を吐いて投げ出していただろうが、そんな時期はとうに終わっている。
「……わかりました」
彼女を、神殿で連れ帰るしかない。そう思いながら賢い馬に走らせたのだった。
****
神殿の前のバリケードは無残に崩れ、リビングデッドが徘徊してくる。
夜はただでさえ素早い動きをしてくるというのに、今晩現れたのはどういうことなのか。人だったものから出てくるとは思えない音を立てながら、人の歩き方を忘れたかのように四つん這いの動きで、騎士たちに襲いかかってくる。
「ひっ、いっ…………!」
「盾で殴れ! そして押し戻せ! 聖女様が戻ってくるまで、持ちこたえるぞ!」
「わ、かってます、よ……!」
視覚に入ってくる、薄気味悪い動きに腐臭。甲冑を纏い、兜を着けているのだから、押し倒されて兜を奪われない限りは噛みつかれることもない。
騎士たちは必死に盾でリビングデッドを殴り、背後で詠唱を唱える神官たちは、必死で彼らのサポートをする。
ここで誰かひとりでもリビングデッドに噛まれたら……一気に恐慌が高まり、この場は崩れる。それだけは絶対に阻止しなければいけなかった。
地下で歌い続けている、巫女たちもまた。ひとりでも倒れたらもう後がない状態だった。元々魔力が切れかかっているところを、皆が交替ごうたいで休み、どうにか持たせていたのだ。それが、アンナリーザが行方不明になった途端に彼女たちにも混乱が広がり、賛美歌詠唱に集中ができなくなってしまっていた。
それでも。その中で必死で歌うラビアは、アンナリーザの帰還を待っていた。
ここまで生きてきた、もう充分だ。
嘘だ、もっと生きたい、長生きしたい……死にたくない、死にたくない。
リビングデッドになりたくない。地下から出たい。
自由に外を歩き回りたい、気兼ねなく買い物をしたい。
──もう、怖い想いなんか、したくない。
気付けば、避難民たちも一緒に巫女たちと賛美歌を歌っていた。
彼らは巫女たちと違い、魔力はほとんどなく、歌を歌ってもせいぜい結界がちょっとだけ丈夫になった程度で、結界を張り直すほどの力も持たない。それでも。巫女たちが歌い続ける気力にだけはなってくれた。
彼らを死なせたくない。助けたい。一緒に、地上に出たい。
その歌が、祈りが、結界に満ちた──そのときだった。
「地に花、天に鳥、流れる風に、浮かぶ月。命巡り共にこの刻を駆け抜け、全てを湛える主の光──完全浄化《コンプリートパーフィケイション》……!!」
朗々と流れる声に、弾けるような光の濁流。
それは結界を張っている地下にも、まるで真昼の日差しのように降り注いできたのだ。
地上の騎士たちも、神官たちも、呆気に取られてその光を見る。
アンナリーザが、屋根を外した馬車の上から、錫杖を構えて立っていたのだ。
「あ、アンナリーザ様……!」
「聖女様! ご無事で!」
「本当に、本当にリビングデッドは全部一瞬に!?」
「アンナリーザ様!」
「聖女様!」
神殿は、真夜中とは思えないほどの歓声と、あちこちから泣き崩れるすすり泣く声、誰も彼もが抱き合う音が響き渡っていた。
それを馬車の御者台から眺めていたカルミネは「あのう、聖女様?」と尋ねた。
「これで、本当に全部終わったんですか?」
あの訳のわからないリビングデッドは、もう出ないんだろうか。そもそもここを滅ぼしたかった王都のやり口に介入して、後から文句を付けられないんだろうか。考えても考えても、カルミネではよくわからないことだらけだった。
ただ、アンナリーザは言う。
「いいのよ。これで。あとは私の仕事なんだから」
「え……?」
カルミネは彼女の表情を見る。
彼女は凜々しく勇ましく、いつも通りに見えるが。同時になにかに憤っていた。
馬車は疾走する。その中で、ときおりこちらへの向かってくる、甘い腐臭を撒き散らすリビングデッド。
カルミネは端正な顔を恐怖で歪ませ、必死で手綱を握って馬車を走らせる。馬車馬が噛まれてもおしまいなのだから、馬をやられる訳にはいかない。
「主よ、今日も一日よく生き長らえました。今夜ひと晩も、どうぞ生き長らえますようお祈りください……」
アンナリーザはカルミネの悲鳴に動じることなく、馬車の上で両足を突っ張らせて座席に立ち、錫杖を構えて詠唱を唱えている。彼女が宮廷魔術師から借り受けた重宝が、きらりと光った。
「浄化《パーフェケイション》……!!」
錫杖から光が溢れ、その光がリビングデッドに突き刺さる。
「ギギギギガガガガガガガガガガガガガ…………ッッ!!」
それは悲鳴なのか、壊れた自動人形の音なのか、必死で手綱を操るカルミネにはわからなかった。ただ、射出された光が消えたら、途端にリビングデッドが消失しているのだ。
聖水は既になく、魔力がなくって浄化しきれなかったリビングデッドが、重宝をふたつ借りただけでもう浄化できるのだ。
これはもう、馬車というよりも戦車であった。ただ違うのは、戦車に乗せる投石機の代わりに、聖女が呪文詠唱を射出しているという点だけだ。
カルミネはちらりとアンナリーザを見た。
彼女は足を広げ、既に次の詠唱に向かっている。
浄化しきることもできず、ひたすら盾を構えて追い出すことしかできなかった戦いとは、もう違うのだ。ただ、これだけ気分が高揚しようとも、アンナリーザは心から高揚感に身を任せることなどできないだろう。
ここまで来るのに、いったい何人死んだのか、わからないのだから。
それにしても。カルミネはリビングデッドさえ見えなくなったら、怖ろしく早い馬車の手綱さえ握っていればいい。賢い馬は、示した街道をひた走ってくれるのだから。
これだけ人が死に、アンナリーザが決死の覚悟を受けて結界を突破しなかったら、本当になにもかもが終わるところだった。死霊使いは、本気でただ、リビングデッドをつくりたい、それだけだったんだろうか。
結界を突破する際に見た、明らかに人の姿から外れた四つん這いのリビングデッドを思い返しながら、カルミネはぞっとした。
……アンナリーザの言葉が正しいなら、既に死霊使いは死んでいる。どうして四つん這いのリビングデッドが出たのかは、死んだあれだってわからなかったのかもしれない。
考え過ぎだ、そう思いながら手綱を握った。
「浄化《パーフェケイション》……!!」
再び浄化の光が降り注いだ。それを当てられたリビングデッドが、たちどころに消え失せる。それにほっとしながらも、カルミネは考え込んでしまった。
「カルミネ、あなたこのまま神殿まで走らせて。もしリビングデッドが現れても、そのまま追いかけさせて」
「はい!? 迂回せず、です……?」
「ええ。できる限りは、今夜中に終わらせてしまいたいからねえ」
アンナリーザは屈伸運動をすると、「よし」と錫杖を握り直す。
カルミネは怖々と尋ねた。
「あのう……なにをする気です?」
「決まってるでしょう。神殿に向かっているリビングデッドを、一掃する。今は呪文短縮の重宝もある。魔力を供給してくれる重宝もある……今しかできないからね」
それにカルミネはぴん、と背筋を伸ばした。
彼女が騎士たちに守られてもなお、完遂させることのできなかった、最上位呪文の詠唱を、ここで行う気だ。
荷が重い。普段のカルミネだったら「無理ぃぃぃぃ!」と弱音を吐いて投げ出していただろうが、そんな時期はとうに終わっている。
「……わかりました」
彼女を、神殿で連れ帰るしかない。そう思いながら賢い馬に走らせたのだった。
****
神殿の前のバリケードは無残に崩れ、リビングデッドが徘徊してくる。
夜はただでさえ素早い動きをしてくるというのに、今晩現れたのはどういうことなのか。人だったものから出てくるとは思えない音を立てながら、人の歩き方を忘れたかのように四つん這いの動きで、騎士たちに襲いかかってくる。
「ひっ、いっ…………!」
「盾で殴れ! そして押し戻せ! 聖女様が戻ってくるまで、持ちこたえるぞ!」
「わ、かってます、よ……!」
視覚に入ってくる、薄気味悪い動きに腐臭。甲冑を纏い、兜を着けているのだから、押し倒されて兜を奪われない限りは噛みつかれることもない。
騎士たちは必死に盾でリビングデッドを殴り、背後で詠唱を唱える神官たちは、必死で彼らのサポートをする。
ここで誰かひとりでもリビングデッドに噛まれたら……一気に恐慌が高まり、この場は崩れる。それだけは絶対に阻止しなければいけなかった。
地下で歌い続けている、巫女たちもまた。ひとりでも倒れたらもう後がない状態だった。元々魔力が切れかかっているところを、皆が交替ごうたいで休み、どうにか持たせていたのだ。それが、アンナリーザが行方不明になった途端に彼女たちにも混乱が広がり、賛美歌詠唱に集中ができなくなってしまっていた。
それでも。その中で必死で歌うラビアは、アンナリーザの帰還を待っていた。
ここまで生きてきた、もう充分だ。
嘘だ、もっと生きたい、長生きしたい……死にたくない、死にたくない。
リビングデッドになりたくない。地下から出たい。
自由に外を歩き回りたい、気兼ねなく買い物をしたい。
──もう、怖い想いなんか、したくない。
気付けば、避難民たちも一緒に巫女たちと賛美歌を歌っていた。
彼らは巫女たちと違い、魔力はほとんどなく、歌を歌ってもせいぜい結界がちょっとだけ丈夫になった程度で、結界を張り直すほどの力も持たない。それでも。巫女たちが歌い続ける気力にだけはなってくれた。
彼らを死なせたくない。助けたい。一緒に、地上に出たい。
その歌が、祈りが、結界に満ちた──そのときだった。
「地に花、天に鳥、流れる風に、浮かぶ月。命巡り共にこの刻を駆け抜け、全てを湛える主の光──完全浄化《コンプリートパーフィケイション》……!!」
朗々と流れる声に、弾けるような光の濁流。
それは結界を張っている地下にも、まるで真昼の日差しのように降り注いできたのだ。
地上の騎士たちも、神官たちも、呆気に取られてその光を見る。
アンナリーザが、屋根を外した馬車の上から、錫杖を構えて立っていたのだ。
「あ、アンナリーザ様……!」
「聖女様! ご無事で!」
「本当に、本当にリビングデッドは全部一瞬に!?」
「アンナリーザ様!」
「聖女様!」
神殿は、真夜中とは思えないほどの歓声と、あちこちから泣き崩れるすすり泣く声、誰も彼もが抱き合う音が響き渡っていた。
それを馬車の御者台から眺めていたカルミネは「あのう、聖女様?」と尋ねた。
「これで、本当に全部終わったんですか?」
あの訳のわからないリビングデッドは、もう出ないんだろうか。そもそもここを滅ぼしたかった王都のやり口に介入して、後から文句を付けられないんだろうか。考えても考えても、カルミネではよくわからないことだらけだった。
ただ、アンナリーザは言う。
「いいのよ。これで。あとは私の仕事なんだから」
「え……?」
カルミネは彼女の表情を見る。
彼女は凜々しく勇ましく、いつも通りに見えるが。同時になにかに憤っていた。
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