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駆け落ち未遂の説得をする

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 シリルさんと山登りしてから、しばらく過ぎた。
 パレードの前後でやっと仕事がひと段落ついたと思ったのに、また人形制作の依頼が増えてきて、スケッチブックで何度も何度も人形のイメージを聞いてから、作業に取りかかる。
 そんな中「手紙です」と私宛に手紙が届いた。
 先日王都を出立されたラモーナ様からだった。まさか婚姻先で大変な想いをされているんじゃ……とハラハラしながら手紙を開いたものの、中身を見て拍子抜けしてしまった。

『先日はお世話になりました、おかげで素晴らしい想い出と共に残りの余生を過ごすこととなると思っていましたが、日頃から教会に通っているといいこともあるものですね。
 はげちゃびんが馬にはねられて死にました。仕方がないから出家し、人形は泣く泣くエスターに処分を任せようと思っていたのですが、はげちゃびんの息子が止めてくださったのです。「どうせだったら、私の妻になりませんか?」と。
 はげちゃびんが自分と同い年の女と再婚すると聞いて、正気を疑っておられました。あのはげちゃびんの息子とは思えないほど理性的な人で、話をすればするほど、もうこの人しかいないと思いました。
 おかげで素晴らしい式をし、残りの人生を余生として送らずに済みそうです。私の愛しの子は執事として、一緒に生活しています。
 本当に素晴らしい人形、素晴らしい観劇、素敵な時間をありがとう。
 ぜひとも我が家に遊びにいらしてくださいませ。』

 最後にわざわざ地図まで描かれていたのに、度肝を抜いてしまった。
 ラモーナ様、人形師をわざわざ家に招待していいのかなあ。王都のときとは状況が違うし、郊外なのになあ。でも、シリル型人形のメンテナンスという名目だったら、大丈夫なのかなあ。髪の色だけはどうにかしないといけないけど、私の魔力のせいで、髪が染色料を拒絶するからなあ。かつら……かなあ。
 そんなことをぼんやりと考えているときだった。
 どたどたという足音がこちらに響いてきた。またシリルさんかなとぼんやりと思っていたときだった。
 バタンッと大きな音を立てて現れたのは、先日人形をお買い上げくださったお客様……エリノア様だった。

「いらっしゃいませ……」
「お願い、急いで彼を直してあげてちょうだい!!」
「はい?」

 そして彼女が手を繋いでいた人形……私が丹精込めてつくった恋人型人形を見て、唖然としてしまった。顔が割れてしまい、ガラスの目も半分欠けてしまっている。おまけに服まで引き裂かれたようで……。
 今まで恋人型人形のメンテナンスや修繕修理を行ったことはあるけれど、ここまでひどい壊れ方は初めてだ。

「お待ちくださいませ。ひとまずは人形をカウンターの奥へ。すぐ処置しますから」
「はい! ……人形師の元に来たわ、ダミアン。すぐ綺麗に直してもらえますからね」

 その言葉に、私はなんとも言えないものが込み上げてきた。
 ……稀にいるのだ。恋人型人形に、本気で恋をしてしまう方が。元々恋人型人形が空前絶後のブームになってしまったのは、未婚者恋愛禁止条例なんてものが施行されてしまったから。それのせいで意にそぐわぬ結婚の前に、夢を見たいと人形に手を出した結果、ずぶずぶと恋に落ちてしまう例が。
 人形が自由にしゃべってやり取りをしているように見えるのも、それは人形師が自律稼働の歯車を入れているから。動力になっている魔法石が割れてしまったり、なんらかの理由で魔力が切れてしまったら、たちまち元の物言わぬ人形に戻ってしまうけれど、それでも一度恋を知ってしまった人は、「相手は人形なんだよ」と言っても、理解できなくなってしまう。
 人形師としては、自分が丹精込めた人形を大切にしてくれてありがとうの気持ちでいっぱいになるのだけれど、魔女としては気になってしまう。
 どうしたものか。そうは思いながらも、泣きそうになっているエリノア様に椅子を差し出し「長丁場になりますがよろしいですか?」と確認すると、彼女は首を縦に振った。

「どうかダミアンを……彼を助けてください」
「……かしこまりました。お待ちくださいませ」

 私はカーテンを閉め切ると、服を脱がせてから作業に取りかかった。
 頭部を取り外すと、同じ大きさのものに交換する。そしてスケッチブックを取り出すと、それを見ながら真剣にダミアンと同じ顔に化粧を施す。割れた瞳は同じ色のガラス玉を埋め込み、睫毛を添えてやる。
 他にも修繕箇所を手持ちのパーツと入れ替えつつ、肌色を岩絵の具で塗り足してやる。それにしても。
 私はダミアンを見下ろす。
 修理も修繕もメンテナンスも普通に請け負ってきたから、どうしてもわかってしまう。

「あのう、エリノア様」
「……なんでしょうか?」

 エリノア様は、ずっと泣き崩れている。その中で修理を行っていると気まずくってやりきれなくなるけれど、それでも聞いておかなくてはいけない。

「……人形を壊したのはどなたですか?」

 たしかにご令嬢は自分でメンテナンスを行わない。だから人形はおかしな動きをしたりしても放置して、人形師を呼ばないと修繕できないほどに壊してしまうことはよくある話なのだが。顔を割ったり服を裂いたりなんて、ただの確認不足やドジでなんかまず起こらない。誰かが壊そうとしたとしか、考えられないんだけれど。
 その途端、エリノア様から「ヒュン」と息を詰める声が聞こえた。やがて、ボソボソッと言葉が続いた。

「……お父様です。正確には、お父様に命令された執事が」
「そうなんですか……」
「お父様は昔から『世間から舐められないように』と連呼される方でした……恋愛禁止条例にも賛成なさってたんです。結婚は家同士が決めて、私情を挟んで潰すべきではないと。たしかに恋愛小説のようにはいかないかもしれませんが……私はダミアンを好きになってしまいました」

 私はなんとも言えなくなり、誤魔化すように修繕の作業をする。
 それは多分恋ではないですよとは、あまりにも厳格なエリノア様のお父様の仕打ちを思えば、言える訳もなかった。
 人形は主人にとって都合のいいことしかしないし、言わない。常日頃から自我を閉じ込め続けていたエリノア様が溺れてしまっても仕方がないものだった。
 エリノア様は両手で顔を覆ってポロポロと泣き続ける。

「ですから……私の婚約が決まったとき、ダミアンを捨てるようにおっしゃったんです……私は結婚だけは蜂に刺されたようなもので我慢できましたけれど……ダミアンを捨てることだけは我慢できませんでした……彼を捨てるようにおっしゃる方だったら、ろくなもんじゃありませんし……私が抵抗するので、痺れを切らした執事に……私が学校に行っている間に壊そうとしたんです。だから連れて逃げ出しました……」

 なんだかとんでもないことを聞かされているような。
 私は修理のもうすぐ終わるダミアンを見上げた。
 綺麗な顔つき。割れた部分、壊れた部分は全て交換したから、あとは自律稼働の歯車を嵌め込めば、もう完全に元通りだ。
 そのときだった。
 扉が開かれそうになった。途端に咄嗟にカーテンの向こうにエリノア様は隠れてしまった。私は困った顔でカウンターに顔を出す。

「いらっしゃいませ」
「失礼します。こちらにカニングハムのご令嬢、エリノア様はいらっしゃいませんでしたか?」

 現れたのは冷たい表情を浮かべた執事服の男性だった。ロマンスグレーと呼ばれる年頃の執事は、穏やかなオーラを放っているか年の功で冷たさすら武器に使っているかのどちらかしかいないけれど、この人は間違いなく後者だった。
 この人がダミアンを壊した人かな……。私はその冷たい瞳の人を凝視しつつ、会釈する。

「今日はずっとカウンター越しに作業をしていましたから、外でなにがあったか確認しておりませんでした。申し訳ございません」
「これはこれは、お仕事中に大変失礼しました。もし……」

 そう言いながら私になにかを押しつけてきた……袋が破けそうなほど金貨の詰まった袋だ。

「見つけましたら、連絡ください」
「いただけません。うちは人形屋であり、私は人形師です。探偵業は探偵に、治安維持なら騎士団に頼んでくださいませ」
「これはとんだご無礼を。それでは失礼します」

 そう言いながら私が拒否した袋を持って、立ち去っていった。
 ……金でなんでもかんでも解決しようとするケースは、まともな人がやれば信頼を得るけれど、慇懃無礼な人がやると逆効果なんだけれど、あの執事はわかってやってるんだろうか。わかってやってたら、それはそれで怖い。
 執事が立ち去ったのを見送ったあと、私はカーテンの向こうへ入る。

「もう大丈夫ですよ、エリノア様」
「……うちの執事でした」
「でしょうね。どうなさいますか?」
「か……」
「か?」
「駆け落ち……しようと思うんですけれど、よい場所をご存じありませんか?」
「……はい?」

 私は自分がつくった人形が壊れたから直しただけ。本当にそれだけだったはずなのに、とんでもないことに巻き込まれかけてないか?
 どうしたもんかと躊躇っていたら、どたどたとした足音が響いた。

「失礼する……なんだ不用心だな。誰もいないのか?」

 シリルさんがいつもの様子で遊びに来たのに、私は心底ほっとしてから、カーテンから顔を出した。私がまた作業をしているのかと、シリルさんは勘違いしたんだろうか。

「なんだ、作業中か……作業中はカーテンを閉めずにはできないのか?」
「人形のことが好きな人たちに、生身の人形は見せられませんから……助けてください」
「……なんだ、なにかあったのか?」

 途端にシリルさんが顔を曇らせる。
 正直、ご令嬢の駆け落ちをいち人形師だけでは荷が重い。
 私はエリノア様に尋ねた。

「……駆け落ちをすぐに決行は、私は反対ですが。一度逃げるくらいでしたら、ありだと思います。シリルさんシリルさん、知恵を貸してくださいませんか?」
「待て、話が見えない」

 だから、優しい人に少しだけ荷を背負ってもらうことにした。私も頑張るから、シリルさんも助けて。
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