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子供は口に出来ぬもの
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思い返せばアブニールは常に単独で行動していたため、同じ目標を掲げた仲間と士気を高めあう事も、こうして理想を語り合い杯を交わす経験もなかった。飲食の際には妙なものが混入していないかと神経をとがらせていて、気疲れするくらいだった。
だが今、アブニールの心は凪いでいる。こうして語らうきっかけとなった悪夢の余韻も消え去り、落ち着いた心持ちで、何のためらいもなくグラスを傾けることが出来た。
(ガキの頃は憧れてたってのに……)
まだ傭兵団の仲間たちが存命だったころ、アブニールはひとりホットミルクをちびちび飲みながら、酒宴を楽しむ大人連中を心の底から羨んでいた。
だからいつも、一口だけとせがんでは「お前にはまだ早い」と取り合ってもらえずむくれていた。
そうするとアブニールは、焚火を囲む仲間の輪から外れた位置で膝を抱えて拗ねるのだ。今になって思えば、そうやって構ってもらおうとする、いかにも子供らしい悪あがきだった。
大人たちはへそを曲げるアブニールを面白がって揶揄って、うわべだけのご機嫌とりであれ食えこれも食えと勧めてくる。単純な幼少期の自分は、腹がくちくなるに合わせて機嫌を直していくのがいつもの流れだった。
(ん……?)
ふと想起した記憶の中に、引っかかるものがあった。
確か、あの日もアブニールは輪から外れた位置にいた。そして仲間たちは、アブニールにあれこれ食べさせようとしていた。そう。あの日もいつもと同じだった。アブニールは拗ねていたのだ。
仲間たちは宴を開いていた。だからいつものように、酒を飲みたいとせがんで相手にしてもらえなかったのだろう。それだけの事なのだが、それだけの事で片付けてはいけない気がしてくる。
「ニール? どうした?」
ふいに深刻な顔で黙り込んでしまったアブニールの顔を、フラムが気遣わし気に覗き込む。アブニールは思惟を止めて何でもないと言いかけたが、せっかく腹を割って話しているのだしと、違和感を覚えた事を包み隠さず伝える。
「それはつまり、あの晩お前が唯一口にしなかったものってことだよな?」
まだ単なる違和感に過ぎない問題を、フラムも真剣に考えてくれる。
「あ、ああ。そうなる」
「つーことは、酒の中に何かしらの薬品が混入していたら、お前だけが獣化しなかったのも不自然ではなくなるよな」
フラムの推理に同感したいところだったが、その確率が限りなく低いこともアブニールは知っていた。
「基本的に報酬の支払いは現金のみなんだ。金銭でのやりとりが盛んでない村落に手を貸した際には特産品が報酬替わりってこともあったが、あの日の仕事の依頼主は確か、貴族だったはず」
そうだ。その報酬で、新鮮な肉や野菜を買い込んで宴を開いたのだ。
「でも……、たしか……」
この場で思い出したことにはきっと意味がある。その可能性を信じて、頭痛がする程必死になって記憶を辿った。
「おい。無理すんなよ」
渋面で唸っているアブニールを、フラムが気遣う。肩に触れて止めようとする手を、アブニールはやんわり拒んだ。
「平気だ。あと少しで、思い出せそうなんだ」
冷や汗を滲ませながら、記憶にかかる霧を払う。そうしてフラムの推理が当たっているかもしれない可能性に行きついた。
「ああ。そうだ。あの日、とうさんは……酒をもらっていた。名産品だから、味わってほしいと渡されて」
そうだ。国内のみならず国外でも売れ行きが好評なのだという話を隣で聞いていて、アブニールはいつにも増して興味を抱いたのだ。だからいつも以上にしつこくねだって、しかしいつものように相手にされなかった。
だが酒をもらった事実は思い出せても、味覚で記憶していないために、どんな銘柄で、どんな種類の酒だったのかまでは思い出せなかった。ここへきて当時子供だったということに足を引っ張られる。
とはいえ仲間たちの目を盗んで一口でも飲んでいたなら、今ここにアブニールはいなかったかもしれないのだが。
「酒……酒か。……いや、待て? もしも本当に、酒の中に薬物が混入していたなら、その貴族が怪しいってことにならないか?」
アブニールが思いつくまま言うと、フラムはためらいもなく頷いた。
「ああ。そうだろうな。そして俺は、その可能性が高いと考えてる。獣使いに対する嫌悪感は平民よりも貴族階級の方が高い傾向にあるからな。一応王族の俺が言うんだ。説得力があるだろ?」
断言するような口ぶりだった。フラムはおそらくアブニールから話を聞く以前から、裏で糸を引くのは貴族だろうと睨んでいたのだろう。
確かにある程度裕福でなければ、何人ものならず者を雇うことは不可能だ。わざわざ生かして捕らえたセンチネルを獣使い達に勘付かれることなく隠すための牢獄も必要になる。
「あんた、まさか目星をつけてんのか」
「まだ一人に絞れたわけじゃねえ。何しろ敵が多いもんでな。ただ、もしやと思う人は居る」
「その名前は聞かねえほうがいいか?」
アブニールが聞くと、フラムは少しの間沈黙し、その後でじっとアブニールを見据えた。
「ヴェレーノ侯爵。獣使いを嫌悪する貴族の筆頭だ」
侯爵というと王族の血族である公爵に次ぐ爵位だが、聞き覚えのない名前だった。だが、フラムが何の感情もこめずに続けた言葉で、アブニールは愕然とする。
「彼はもともと公爵だったが、姉君が王家に連なる者の中に獣使いを産んだことで降爵された」
「……それは、つまり……」
「ああ。俺の母方の叔父にあたる。今でも俺のことを惨殺したくてしょうがない程に憎んでる男だよ」
だが今、アブニールの心は凪いでいる。こうして語らうきっかけとなった悪夢の余韻も消え去り、落ち着いた心持ちで、何のためらいもなくグラスを傾けることが出来た。
(ガキの頃は憧れてたってのに……)
まだ傭兵団の仲間たちが存命だったころ、アブニールはひとりホットミルクをちびちび飲みながら、酒宴を楽しむ大人連中を心の底から羨んでいた。
だからいつも、一口だけとせがんでは「お前にはまだ早い」と取り合ってもらえずむくれていた。
そうするとアブニールは、焚火を囲む仲間の輪から外れた位置で膝を抱えて拗ねるのだ。今になって思えば、そうやって構ってもらおうとする、いかにも子供らしい悪あがきだった。
大人たちはへそを曲げるアブニールを面白がって揶揄って、うわべだけのご機嫌とりであれ食えこれも食えと勧めてくる。単純な幼少期の自分は、腹がくちくなるに合わせて機嫌を直していくのがいつもの流れだった。
(ん……?)
ふと想起した記憶の中に、引っかかるものがあった。
確か、あの日もアブニールは輪から外れた位置にいた。そして仲間たちは、アブニールにあれこれ食べさせようとしていた。そう。あの日もいつもと同じだった。アブニールは拗ねていたのだ。
仲間たちは宴を開いていた。だからいつものように、酒を飲みたいとせがんで相手にしてもらえなかったのだろう。それだけの事なのだが、それだけの事で片付けてはいけない気がしてくる。
「ニール? どうした?」
ふいに深刻な顔で黙り込んでしまったアブニールの顔を、フラムが気遣わし気に覗き込む。アブニールは思惟を止めて何でもないと言いかけたが、せっかく腹を割って話しているのだしと、違和感を覚えた事を包み隠さず伝える。
「それはつまり、あの晩お前が唯一口にしなかったものってことだよな?」
まだ単なる違和感に過ぎない問題を、フラムも真剣に考えてくれる。
「あ、ああ。そうなる」
「つーことは、酒の中に何かしらの薬品が混入していたら、お前だけが獣化しなかったのも不自然ではなくなるよな」
フラムの推理に同感したいところだったが、その確率が限りなく低いこともアブニールは知っていた。
「基本的に報酬の支払いは現金のみなんだ。金銭でのやりとりが盛んでない村落に手を貸した際には特産品が報酬替わりってこともあったが、あの日の仕事の依頼主は確か、貴族だったはず」
そうだ。その報酬で、新鮮な肉や野菜を買い込んで宴を開いたのだ。
「でも……、たしか……」
この場で思い出したことにはきっと意味がある。その可能性を信じて、頭痛がする程必死になって記憶を辿った。
「おい。無理すんなよ」
渋面で唸っているアブニールを、フラムが気遣う。肩に触れて止めようとする手を、アブニールはやんわり拒んだ。
「平気だ。あと少しで、思い出せそうなんだ」
冷や汗を滲ませながら、記憶にかかる霧を払う。そうしてフラムの推理が当たっているかもしれない可能性に行きついた。
「ああ。そうだ。あの日、とうさんは……酒をもらっていた。名産品だから、味わってほしいと渡されて」
そうだ。国内のみならず国外でも売れ行きが好評なのだという話を隣で聞いていて、アブニールはいつにも増して興味を抱いたのだ。だからいつも以上にしつこくねだって、しかしいつものように相手にされなかった。
だが酒をもらった事実は思い出せても、味覚で記憶していないために、どんな銘柄で、どんな種類の酒だったのかまでは思い出せなかった。ここへきて当時子供だったということに足を引っ張られる。
とはいえ仲間たちの目を盗んで一口でも飲んでいたなら、今ここにアブニールはいなかったかもしれないのだが。
「酒……酒か。……いや、待て? もしも本当に、酒の中に薬物が混入していたなら、その貴族が怪しいってことにならないか?」
アブニールが思いつくまま言うと、フラムはためらいもなく頷いた。
「ああ。そうだろうな。そして俺は、その可能性が高いと考えてる。獣使いに対する嫌悪感は平民よりも貴族階級の方が高い傾向にあるからな。一応王族の俺が言うんだ。説得力があるだろ?」
断言するような口ぶりだった。フラムはおそらくアブニールから話を聞く以前から、裏で糸を引くのは貴族だろうと睨んでいたのだろう。
確かにある程度裕福でなければ、何人ものならず者を雇うことは不可能だ。わざわざ生かして捕らえたセンチネルを獣使い達に勘付かれることなく隠すための牢獄も必要になる。
「あんた、まさか目星をつけてんのか」
「まだ一人に絞れたわけじゃねえ。何しろ敵が多いもんでな。ただ、もしやと思う人は居る」
「その名前は聞かねえほうがいいか?」
アブニールが聞くと、フラムは少しの間沈黙し、その後でじっとアブニールを見据えた。
「ヴェレーノ侯爵。獣使いを嫌悪する貴族の筆頭だ」
侯爵というと王族の血族である公爵に次ぐ爵位だが、聞き覚えのない名前だった。だが、フラムが何の感情もこめずに続けた言葉で、アブニールは愕然とする。
「彼はもともと公爵だったが、姉君が王家に連なる者の中に獣使いを産んだことで降爵された」
「……それは、つまり……」
「ああ。俺の母方の叔父にあたる。今でも俺のことを惨殺したくてしょうがない程に憎んでる男だよ」
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