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疑惑で人は裁けない
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アブニールはともすれば硬直しそうになった。身体だけでなく思考すらも。
それほどにフラムの背負っている枷は重く、苦しい。フラム自身には何の罪もないというのに、王族でありながら貴族以下の扱いを受け、未だ血の繋がった叔父に憎悪を向けられている。
「ただ、あの人は狡賢く、そして慎重な人だ。尻尾を掴むのは容易じゃない。今回だって、直接は関わっていないんだろう。あの人を信奉する貴族豪商は多い。あの人が命じれば、なんでも思いのまま動いてくれる狂信者たちがな」
一応、教唆という罪名は存在するものの、立証するのは極めて難しいといわれている。運よく、法廷の場に引っ張り出せたとしても、確実な証拠を突き付けない限り裁くことは出来ない。
「……そういえば、クライスが前に言ってたな。上の方でも爵位はあれど没落の一途をたどるだけの憐れな家柄もあって、そういう家ほど起死回生を狙って、迷走し、禁忌に手を伸ばす、と」
もしやこれはフラムの叔父を示唆するヒントだったのだろうか。
「それは直接叔父……ヴェレーノ侯爵を指し示した言葉じゃねえだろうな。むしろ、彼に救いを求める貴族たちのことを言いたかったんだろ。クライスはさすが研究者だけあって頭が切れるからな。いやに目端が利くんだ。あいつは。先見の明って言うのかね」
没落の憂き目にあって絶望の淵にある時に救いの手が差し伸べられれば、当然その相手に頭が上がらなくなる。そういう意味でも、ヴェレーノ侯爵には手となり足となり、そして時に隠れ蓑にもなってくれる味方が多いということだ。
「伯父の気持ちもわからんでもない。自分は爵位を下げられたってのに、その元凶であり実姉を奪った憎き仇敵は騎士団長の椅子にふんぞり返って座している。さぞかし面白くねえだろうよ」
鼻で笑って、再びグラスを呷った。それでも顔色一つ変わらないのだから、相当強いのだろう。それどころではないというのに、アブニールはフラムに尊敬の念を抱いた。いや、重い話の最中だからこそ、あえて気を散らしたいと無意識に思ったのだろう。
「けど俺だって、みすみす斃れてやる気はねえよ。だから、そんな顔すんな」
ふいにフラムの視線がこちらを向いて、眉間をつつかれた。
指摘されてはじめて気付いた眉間のしわを解いて、アブニールは思いを巡らせた。
今自分は、一体全体どんな顔をしていたのだろう。
フラムに対して憐憫の情を抱いていたのか。それとも、実の甥を死に追いやろうとする侯爵に対して憤っていたのか。
「……俺は、都会の獣使いは田舎のやつらほど不遇な扱いを受けていないんだろうなって勝手に思い込んでた。思い違いものいいとこだな。……あんたもそれなりに苦労したんだろうなとは思ってたが、まさか……」
懺悔の言葉が口を衝いて出る。だが、肝心の身内に命を狙われているという事実に関しては発音するのが躊躇われた。
「お前の推測は間違ってねえよ。どうしても国都から離れれば離れるほど助けられない奴らが増えてくる。……俺も、何言ってんだかな。お前を励ますつもりが、俺自身が慰められてどうすんだって話だよ」
自嘲するように笑うフラムに、アブニールは頭を振って答えた。
「いや、十分励まされた。……俺はさ、ひねくれもんだから。真っ向から頑張れとか、大丈夫かと気遣われるより、やる気を引き出してもらった方が立ち直れる」
アブニールはずっとグラスのそこにわずかに残っていた酒を飲みほした。一杯と半分ほどしか飲んでいないが、それでも吐息が熱い気がする。
「それにいい感じに酔っぱらえたみたいだ。これで寝られる」
普段は弱点を晒すまいと酒に弱いことを隠しているアブニールだが、今日は正直に酔ったと言えた。フラムが短く「そうか」と答え、空になったアブニールのグラスを受け取る。
「あんたは、強いな」
片付けの為に立ち上がったフラムは、ふらついてすらいなかった。
「ああ。俺は蟒蛇ってやつでね。ちなみにあっちは馬並らしいぜ? 興味あるか?」
「本当に一言多い奴だな。素直に尊敬くらいさせろ」
真面目な話が終わるやいなや、いつもの調子に戻ったフラムにアブニールは呆れてため息を吐いた。だがやはり、同時に安堵してしまう。フラムに暗い顔は似合わない。いや、極力、させたくないと思っている。
ここまで他人に対して関心を覚えたことのないアブニールには衝撃的な変化である。
「尊敬してくれてたとは嬉しいね。お前に好かれるのは光栄だ」
フラムは空いたグラスと酒瓶を卓に戻し、ベッドに戻って来た。ぎしりとスプリングが軋む音が、なぜか妙に大きく聞こえる。もともと聴覚は良いのだが、そういう直接的な意味ではなくて、鼓膜から心臓まで連動して震わせるような不思議な感覚があった。
もともと寝床には頓着しないので、二人で一台の寝台を分けあうことにも慣れたはずが、急に落ち着かない気持ちが生まれる。最初は背中を向けていたはずが、今は向かい合って寝転んでいるからだろうか。
「あんた、人を美人美人言うけど、こうして近くで見るとやっぱあんたも男前だってつくづく思うよ」
月の光に秀麗な顔が青白く照らされる様が美しくて、つい息を呑んで見惚れてしまう。ぽろりとこぼれた素直な想いに、フラムが目を丸くしたのが分かった。酒の力でも染まらなかった頬が染まる。
「本当に酔ってんだな。素直で可愛いぜ」
そういうフラムも、急に正直者だ。
「なんだよ。素直じゃなけりゃ、可愛くないってか?」
容姿が整っていることは自覚があるし、強力な武器にもなっているが、実は綺麗だのと褒められるのは心の底では身の危険を感じて、ちょっとだけ怖い。なのに今は気分が良かった。
「それがお前に限ってはツンツンしてても構わねえって思うんだよ。こうして軽口を言い合うのすら楽しくてな。いつの間にか俺、好みが変わっちまったみたいだ」
大きな手が頬を撫でるのを拒めない。剣だこで見た目よりもごつごつしている手は、あまり心地よい感触ではないはずなのに、アブニールは目を閉じてフラムの手のぬくもりを感じた。そのうち、意識が途切れ途切れになっていく。
再び眠りの中へと落ちていったが、今度は悪夢を見ることはなかった。
それほどにフラムの背負っている枷は重く、苦しい。フラム自身には何の罪もないというのに、王族でありながら貴族以下の扱いを受け、未だ血の繋がった叔父に憎悪を向けられている。
「ただ、あの人は狡賢く、そして慎重な人だ。尻尾を掴むのは容易じゃない。今回だって、直接は関わっていないんだろう。あの人を信奉する貴族豪商は多い。あの人が命じれば、なんでも思いのまま動いてくれる狂信者たちがな」
一応、教唆という罪名は存在するものの、立証するのは極めて難しいといわれている。運よく、法廷の場に引っ張り出せたとしても、確実な証拠を突き付けない限り裁くことは出来ない。
「……そういえば、クライスが前に言ってたな。上の方でも爵位はあれど没落の一途をたどるだけの憐れな家柄もあって、そういう家ほど起死回生を狙って、迷走し、禁忌に手を伸ばす、と」
もしやこれはフラムの叔父を示唆するヒントだったのだろうか。
「それは直接叔父……ヴェレーノ侯爵を指し示した言葉じゃねえだろうな。むしろ、彼に救いを求める貴族たちのことを言いたかったんだろ。クライスはさすが研究者だけあって頭が切れるからな。いやに目端が利くんだ。あいつは。先見の明って言うのかね」
没落の憂き目にあって絶望の淵にある時に救いの手が差し伸べられれば、当然その相手に頭が上がらなくなる。そういう意味でも、ヴェレーノ侯爵には手となり足となり、そして時に隠れ蓑にもなってくれる味方が多いということだ。
「伯父の気持ちもわからんでもない。自分は爵位を下げられたってのに、その元凶であり実姉を奪った憎き仇敵は騎士団長の椅子にふんぞり返って座している。さぞかし面白くねえだろうよ」
鼻で笑って、再びグラスを呷った。それでも顔色一つ変わらないのだから、相当強いのだろう。それどころではないというのに、アブニールはフラムに尊敬の念を抱いた。いや、重い話の最中だからこそ、あえて気を散らしたいと無意識に思ったのだろう。
「けど俺だって、みすみす斃れてやる気はねえよ。だから、そんな顔すんな」
ふいにフラムの視線がこちらを向いて、眉間をつつかれた。
指摘されてはじめて気付いた眉間のしわを解いて、アブニールは思いを巡らせた。
今自分は、一体全体どんな顔をしていたのだろう。
フラムに対して憐憫の情を抱いていたのか。それとも、実の甥を死に追いやろうとする侯爵に対して憤っていたのか。
「……俺は、都会の獣使いは田舎のやつらほど不遇な扱いを受けていないんだろうなって勝手に思い込んでた。思い違いものいいとこだな。……あんたもそれなりに苦労したんだろうなとは思ってたが、まさか……」
懺悔の言葉が口を衝いて出る。だが、肝心の身内に命を狙われているという事実に関しては発音するのが躊躇われた。
「お前の推測は間違ってねえよ。どうしても国都から離れれば離れるほど助けられない奴らが増えてくる。……俺も、何言ってんだかな。お前を励ますつもりが、俺自身が慰められてどうすんだって話だよ」
自嘲するように笑うフラムに、アブニールは頭を振って答えた。
「いや、十分励まされた。……俺はさ、ひねくれもんだから。真っ向から頑張れとか、大丈夫かと気遣われるより、やる気を引き出してもらった方が立ち直れる」
アブニールはずっとグラスのそこにわずかに残っていた酒を飲みほした。一杯と半分ほどしか飲んでいないが、それでも吐息が熱い気がする。
「それにいい感じに酔っぱらえたみたいだ。これで寝られる」
普段は弱点を晒すまいと酒に弱いことを隠しているアブニールだが、今日は正直に酔ったと言えた。フラムが短く「そうか」と答え、空になったアブニールのグラスを受け取る。
「あんたは、強いな」
片付けの為に立ち上がったフラムは、ふらついてすらいなかった。
「ああ。俺は蟒蛇ってやつでね。ちなみにあっちは馬並らしいぜ? 興味あるか?」
「本当に一言多い奴だな。素直に尊敬くらいさせろ」
真面目な話が終わるやいなや、いつもの調子に戻ったフラムにアブニールは呆れてため息を吐いた。だがやはり、同時に安堵してしまう。フラムに暗い顔は似合わない。いや、極力、させたくないと思っている。
ここまで他人に対して関心を覚えたことのないアブニールには衝撃的な変化である。
「尊敬してくれてたとは嬉しいね。お前に好かれるのは光栄だ」
フラムは空いたグラスと酒瓶を卓に戻し、ベッドに戻って来た。ぎしりとスプリングが軋む音が、なぜか妙に大きく聞こえる。もともと聴覚は良いのだが、そういう直接的な意味ではなくて、鼓膜から心臓まで連動して震わせるような不思議な感覚があった。
もともと寝床には頓着しないので、二人で一台の寝台を分けあうことにも慣れたはずが、急に落ち着かない気持ちが生まれる。最初は背中を向けていたはずが、今は向かい合って寝転んでいるからだろうか。
「あんた、人を美人美人言うけど、こうして近くで見るとやっぱあんたも男前だってつくづく思うよ」
月の光に秀麗な顔が青白く照らされる様が美しくて、つい息を呑んで見惚れてしまう。ぽろりとこぼれた素直な想いに、フラムが目を丸くしたのが分かった。酒の力でも染まらなかった頬が染まる。
「本当に酔ってんだな。素直で可愛いぜ」
そういうフラムも、急に正直者だ。
「なんだよ。素直じゃなけりゃ、可愛くないってか?」
容姿が整っていることは自覚があるし、強力な武器にもなっているが、実は綺麗だのと褒められるのは心の底では身の危険を感じて、ちょっとだけ怖い。なのに今は気分が良かった。
「それがお前に限ってはツンツンしてても構わねえって思うんだよ。こうして軽口を言い合うのすら楽しくてな。いつの間にか俺、好みが変わっちまったみたいだ」
大きな手が頬を撫でるのを拒めない。剣だこで見た目よりもごつごつしている手は、あまり心地よい感触ではないはずなのに、アブニールは目を閉じてフラムの手のぬくもりを感じた。そのうち、意識が途切れ途切れになっていく。
再び眠りの中へと落ちていったが、今度は悪夢を見ることはなかった。
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