鉄と草の血脈――天神編

藍染 迅

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第二十三章:博多商人

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「我等商人は、利がある所であれば何処へでも参ります」
 李秀明は、迷いなく言い切った。
「其れが商いという物であろう」
 道真はリアリストの視点で、商業主義を理解していた。
「だが、其方等を迎える此の国は、まだ幼い。都を一歩出れば銭も使えぬ。そもそも十分な銭がない。是では通商はままならぬ」
「ならば、我等は今来ても仕方がないという事でしょうか?」
 秀明は問うた。
「いや。寧ろ此の国を育てる為に、其方等には働いて欲しい」
「国を育てよと?」
「そうじゃ。時は掛かろうが、少しずつ通商の機会を重ね、吾が国に商いの種を蒔いて貰いたい」
 秀明は得心した様だった。
「闇雲に利を貪る事が商いの本分では御座いません。相手と共に利を分け合うのが、長く商いを続ける秘訣。道真様の御考えに、我等も同じ気持ちに御座います」
 道真は、先ず安定した交易パターンの確立を求めた。日本からの輸出品として挙げたのは、生糸、麻糸等の紡績材料であった。
「織物も売って貰いたいが、本邦の物は唐物に比して数段質が劣る。今のままでは大した値は付けられまい」
「申し難い事なれど、其の通りに御座います」
「其処で相談がある」
 道真は腹案を秀明に明かした。其れは唐の職人を呼び寄せ、日本に織物や染色、刺繍等の技術を伝えて貰う事であった。要するに技術供与である。
 二国の間に圧倒的な経済格差がある以上、唐物と同じ物を日本で作らせれば、数十分の一のコストで手に入れることが出来る。唐商人にとっても利のある話なのだ。
 絵画や彫刻、焼き物等も然り。天神の使徒が質の良い美術品、工芸品を創り出せる様に成れば、外国への輸出商品として外貨獲得の手段となる。其れが道真の考えであった。
 貿易は買うだけでも、売るだけでも駄目なのだ。売りと買いが釣り合って初めて、国を豊かにする事が出来る。道真は貿易自由化と貿易収支均衡が国家経営の根幹だと考えたのであった。

「成る程。道真様の御考え、良く分かりまして御座います」
 秀明は道真に協力を約した。
「次の航海には、腕の良い職人を連れて参りましょう」
「有り難い。半年か一年、此の国の職人に技を伝えて貰えれば幸いじゃ」
 約定は成った。後は打解けて僅かばかりの料理を肴に地酒を酌み交わし、暫くの時を過ごした。
「御馳走に成りました。そろそろ吾等は鴻臚館に戻ろうと存じます」
「そうか。鴻臚館の暮らしは不自由であろうが、息災に過ごせ。次の来航を待っておる」
 李親子は来た時と同様、鳶丸の案内で帰路に着いた。

 其の後、李親子は鴻臚館に滞在して唐物交易使の到着を待った。結局半年程居続ける事になった。何を買い上げるとか、何時使いを出すとかいう事が、一向に決まらないのだ。其れが宮中の政という物であった。
 大宰府から三度、四度と催促の使いを出して、初めて重い腰を上げる。其れが権威という物だと思われていた。
 其の間、唐商人一行は外出を禁じられ、鴻臚館に足止めされる事に成る。

 道真から見れば、全くのナンセンスであった。

 そんな事なら使い等に頼らず、大宰府で全て処理してしまえば良い。道真はそう考えていた。都の阿呆共には適当に飴をしゃぶらせておけば良い。
 漸く唐物交易使が都から到着した時には、道真と李親子は準備を整え、交易使を籠絡する相談が出来ていた。
 先ずは貢ぎ物である。都の帝、藤原家は勿論、交易使本人にも十分な土産を用意させた。勿論、李親子が用意した物である。出費ではあったが、此の先の交易を円滑に行う為の投資と思えば安い物であった。
 例え今回の船旅が丸損であったとしても、先々の商売で取り返せば良い。一流の商人であるならば、其の目処は簡単に立った。
 交易使は藤原家として購入したい品目の書き付けを持参していたが、李親子は其れを全て土産として献上すると言った。其ればかりか、今後の船旅でも同様の品々を貢ぎ物として献上すると申し出た。

 其の代わり……。

 今後の交易は都からの使者を介さず、大宰府と直接行わせて欲しい。其の事を願い出た。勿論、交易使の一存で決められる事ではなかった。都に持ち帰り、裁可を仰ぐという事になった。
 交易使の仕事は其れで終わり、残った品々は博多商人を集めて売り捌いて良しとされた。李親子は大宰府役人に金を渡し、交易使の接待を行わせた。役人もお零れにありつけるので、否やはない。
 かたや李親子は博多商人達と、丁々発止の商談を数日に渡って繰り広げた。道真の前で見せた温厚さは影を潜め、商人同士で交渉する時の李秀明は、時に大声を発し、時に泣き出しそうな顔を見せながら、融通無碍に商談を纏めていった。
 船倉を満たしていた商品は、三日の間に全て売り尽くした。代わりに博多商人から仕入れた日本の品々が、船に運び込まれた。
 航海に必要な食料や水を調達すると、李親子の帰国準備は整った。
 出向の前夜、鳶丸の手引きで李親子は再度道真の館を訪れた。
「此の度は大変にお世話に成りました」
 李親子は揃って礼を述べた。
「いや、礼には及ばぬ。先ずは唐物交易使を廃し、交易の便を上げねばならぬ。其方達が国に帰っている間、吾等が汗を掻く事に成る。其の折には又来航し、双方に利のある商いを宜しく頼む」
「勿論で御座います。其の時には喜んで、海を越えて参りましょう」
 李秀明は道真の目をしっかりと見つめ返して、約束を交わした。
 翌日、商船は見送る者もいない港を静かに出て行った。

 李親子に約した通り、其の日から道真は交易使廃止の工作を始めた。先ず、鳶丸を土師寺に寄遇する梅若の許に使いに立てた。若い鳶丸の脚は速い。百五十里余りの道程を七日で踏破した。
「鳶丸ではないか。御主人様に御変りはないか?」
「御久し振りに御座います。御主人様には息災にお暮らしです」
「そうか。此の度は何の用事で参った?」
 二人は挨拶も早々に、要件に入った。
「ふむ。交易使を廃止させよと仰せか」
「はい。既に其の事は都にいる頃から御考えだった様で、三善様にも話は通されているとの事でした」
「うむ。ならば後は、藤家に渡りを付けるのみだな」
 藤家への橋渡しと言えば、家令の宣道がいた。宣道はそもそも良世の説得によって、藤原家存続の為に良世の遺志を引き継いだのであった。
 道真を怨霊に仕立て、藤原家に対する抑止力を設ける事で専制政治に傾き過ぎる弊害を排除し、藤家支配を安定化しようという策に同調して裏工作に協力した。宣道本人としては、藤原家を裏切った積りはなかった。飽く迄も、藤原家の永続を願えばこその行動であった。
 交易使廃止の趣旨は藤原家の利益にも繋がる。旧態依然たる荘園支配に寄り掛かる事なく、交易を含めた商業振興に富を求める体制への転換である。
 梅若は早速宣道に繋ぎを付け、交易使廃止の理を説いた。勿論、道真が鳶丸に託した手紙を見せての事である。
「確かに交易の利が大きい事は、此の度の次第を見ても良く分かる」
 宣道は、今回の交易使が持ち帰った唐物の数々を見ていた。交易使が自分の懐に入れた分もあったが、帝や時平にも貢物を山の様に持ち帰って来た。
「一度の交易であれだけの貢物が得られるのであれば、出来るだけ来船の数を増やした方が良いに決まっておる」
「其れには半年以上も時の掛かる交易使は、寧ろ邪魔になるという事です」
「うむ。道真様の文にもそう書かれてあった」
 宣道は二重顎の肉を揺する様に頷いた。
「時平様を説得する事は、其れ程難しくはないだろう。何せ、当家に利のある話だからな」
「はい。三善様にも御口添えを願えというのが、吾が主の指図に御座います」
「そうか。其れにしても大宰府に交易の差配を任せるのは良いが、現地の役人が自分の懐を肥やしたら何とする?」
「其れについては、御当家から然るべき人物を大宰府に御送り願いたいと申しております」
 重要な荘園に都から管理人を送り込む事は、荘園支配の常道であった。其れを交易支配にも応用しようという訳であった。

――――――――――

「大宰府権帥ごんのそちは左遷の職と言われるが、そうとは限らず、出世階段のステップとしてプラスに働くケースも存在した。特に藤原家は大宰府の職を積極的に利用していた節がある」
 須佐はコップの酒を舐めながら、言った。
「帰って来られる保証があって、下の位から順に上がって行く形ならちゃんとした出世コースって訳さ」
「まあ、常に左遷の対象者がいるって訳じゃないしね」
「そうさ。圧倒的多数である日常的な人事には歴史の光は当たらない。偶に行われた左遷人事に人は注目する」

 そもそも大宰府は諸国の国衙の中で最上級に重要な施設であった。其の大宰府が左遷専用の閑職である筈がなかった。

「結局唐物交易使が廃止されるのは、正式には十一世紀に入ってからだった様だ。だが、実質は大宰府による交易管理体制に移行して行ったらしい」

 唐物交易使の派遣は歴史書に残されているが、此の当時の派遣回数は少な過ぎるのだ。実際は毎年、続け様に唐商人は来航していた筈であるが、其の殆どは都からの交易使を待たずに現地で処理されたのであろう。
 交易使が介在しようとしまいと、何れにせよ最後に交易の中心となるのは博多商人であった。
 時代が下り交易が定着すると、唐商人は日本人妻を持ち、子をもうける様になった。そうなれば輸入した商品の処分を妻子に任せ、自分は早々に次の航海へ向かう事が出来る。
 博多商人は地縁、血縁によって結ばれた強固な集団を形作っていった。
 道真の時代には、まだ自由貿易の萌芽期であり、博多商人の形成は是からという所であったろう。交易が真に定着する事によって、商人達の活動も本格化していく事に成る。
 李親子が商品を売り捌いた際、道真達は相手の商人達と繋ぎを付けた。彼等一人一人と会い、今後如何にして唐物貿易を盛んにするかという方策を練ったのだ。
 道真は輸出商品の確保を第一義に考える様、商人達に促した。珍奇な唐物を右から左に捌けば利を貪る事が出来るが、其れは「片道の商い」である。本邦の特産を唐商人に高く買い取らせ、其の代価で唐物を仕入れれば、一度の交易で二回の利を上げる事が出来る。

「何を売り物にすれば良いので御座いましょう?」
 商人は例外なく、其の事を道真に尋ねた。
「先ずは生糸じゃ」
 良質の生糸を集める事。其処から始めさせた。
 養蚕並びに生糸の生産は、労働集約型産業である。此の時代、文明の進んだ唐といえど生産の仕方は人手に頼らざるを得ない。したがって、人件費の安い日本の生糸は輸出競争力を持っていた。
 但し問題があった。律令制の下、生糸や絹は租税として国衙に納めねばならない。道真は是についても抜け道を用意した。

「生糸を売って唐銭を得よ。国衙には其の唐銭を納めれば良い」

 日本の律令制では銭による調の代納が認められていた。朝廷側も代納された唐銭を以て、唐物の輸入代価に充てる事が出来る。経済のサイクルが成立するのだ。
 次に道真は、機織りの振興を説いた。生糸の輸出に甘んじていては付加価値が少ないのだ。より商品価値の高い絹や織物を、高品質に生産する体制が必要であった。

「唐商人には渡りを付けてある。何れ唐土より腕の良い職人を引き入れ、織物の里に送り込む。唐土に負けぬ機を織るのじゃ」

 商人全員が道真の意図を理解し、産業振興に取り組んだ訳ではなかった。産業を興すには時と金が掛かる。目先の利に拘らず将来の利を取る先見性がなければ、道真の誘いに乗る事は出来なかった。何よりも、起業期間の投資負担に耐える資力を備えていなければならない。
 そういう資質を備えた有能な商人が道真の導きによって、現代まで脈々と伝わる博多商人の伝統を創り出したのだ。
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