上 下
7 / 7
第一章 境界を飛び越えたんだが、もう俺は限界かもしれない

7. ロアのダンジョン編1

しおりを挟む
 それは、思わずため息をつくほどであった。滝沢にとって、実際に見るダンジョンはこのロアのダンジョンが初めてであったが、想像上と現実との質量差は、残酷なほどに違っていた。崖が口を開いており、そこに人が群がっているように思われた。彩色を失ったように黒を編んだグレーの外観は、あざ笑うかのような存在感を放っていた。こんなのが、初心者の登竜門かよ。思わずそう漏らしてしまうほどだった。滝沢は、自らを呑もうとする深淵にしばし圧倒されていたが、やがて冒険者であろう人々に紛れ三人も進もうとしているのに気づき、後に続いた。


「暗いねえ」

ランプを手に持ったネルが、怖気の色などないように言った。ネルは、四人の中は先頭、といった位置にいるが、彼の歩みには、ダンジョンの経験があるのだろうか、と思うほどの自信が含まれていた。女性陣に関しても、また等しくそうであった。滝沢は、さして暗い所が苦手ではなかったことを幸運に思った。入口から百メートルほど進んだのだろうか、暗くて細かには分からないが、恐らくはその程度であろう。ロアのダンジョンは既に踏破者によって地図が作成されている。その地図によれば、ダンジョン、と呼称されるのは地下一階部分からであり、地下一階部分に続く穴までは凡そ三百メートルといったところであった。詰まる所、一行の現在位置は入口三分の一である。その地点でも既に実世界から隔離されていることを、滝沢は冷えを伝えた肌に知った。

「みんな、いい?ここから先は、ダンジョンです。いつ、どこで、どんな魔物に遭遇するか分からないわ。今回、ここにいるのは九人。だから、三人一組、三グループに分けます。異論はないわね?」

最先頭にいた茶髪の女性は、穴の付近で止まり、集団にこう呼びかけた。また、その横には黒髪、青髪の男性が立っていた。滝沢は、三人一組だと四人が揃って行く、ってことはないのか、と思ったが、それを伝えたとして我儘でしかないので黙ったままでいた。茶髪の女性は、誰も何も言わないのを確認し、頷いて続けた。

「ありがとう。あたしの名前は、カグル・アヴローラよ。横にいるのは、オレク・ミーニンと、セヴァ・ヴェリキー」

オレク、と呼ばれた黒髪の男性は、分厚い肉体の持ち主であった。また、他に比べ顔の部分が照らされていた事も手伝い、太い眉毛が印象的な大男だ、というイメージが滝沢に根付いた。また、セヴァは青髪の好青年、といった容姿であるが、ネルのそれよりは幾分か色素が薄く、水色と言っていいぐらいだった。

「あたしたちはこのロアのダンジョンの踏破経験が何度もあるわ。だから、あたしたちがそれぞれ一人ずつグループのリーダーとして就きます。あたしのグループを1、オレクのグループを2、セヴァのグループを3とします、いいわね?だから、今からグループ分けをしていくわ。あたしが適当に決めるけど、苦情は勘弁してね。決まり終えたら、軽く自己紹介をしましょう。それから、1から順に穴を降りていって、各グループ間、十分の間を開けて出発します」




1 カグル・アヴローラ アルフレッド・トカニ ナツ・ニモニア
2 オレク・ミーニン ネル・ネラモン レオン・ストレイ
3 セヴァ・ヴェリキー エナ・ナキア リュカ・ケロス




 これは困ったことになったぞ、と滝沢は思った。四人と、見事に逸れてしまった。彼らは、まあ最悪一人でも制覇してしまいそうな気がするが、自分はどうだろうか?ローブを着ていることで、下級魔物、所謂雑魚と戦うことはないだろうが、もし高位の魔物が出現したら?初心者の登竜門、ということは、雑魚でないにしろそう強い魔物は普段出ないのだろうが、あくまでそれは普段の話であって、新たに住み着いたやつがいるかもしれない…。いや、でもそれは考えすぎか?このダンジョンがそのように認知されているということは、生態変化は普通起こり得ないのか。いや、しかし可能性としてはゼロでは…、とここまで考えていたところで、滝沢は自分がカグルに呼ばれていることに気づいた。

「おーい、ぼーっとしてるけど、大丈夫?」
「あ、ごめん、考え事してて…」
「ダンジョンで考え事に気を取られる、って中々大物ねえ」

はは、と笑うカグルに同調するように滝沢は笑った。

「魔物、なかなか出ないですね」
「この辺りはまだ出ないわ。でも、そうね、そろそろ気配くらいはしても良いんだけどね」

辺りを見回すように言ったアルフレッドに、それと同じような仕草でカグルは言った。滝沢は、このローブが、と言いかけたが、喉奥まで言葉が来たところでやめ、不思議そうな顔をする二人になんでもない、と言って誤魔化した。まだ、行動を共にしてからそれほど時間は経っていない。自分と同じか少し年上であろうが、親しみやすく、ハキハキとしたカグル。それとは反対に少し年下であろう、人当たりが良さそうだが少しオドオドしているアルフレッド。どちらも、悪い人間どころか、良い人間に見えた。が、信用するにはあまりに時間が経っていなさすぎる。このローブは価値のあるもののようだったし、豹変して剥ぎ取って…、という可能性も、なくはないのだから。


「アルフレッドは、どうしてダンジョンに来たの?まだ十三とか十四とか、そのくらいじゃない?」

あれからしばらくの時間が経ったが、未だ魔物の気配はないため、休憩ついでに食事を取ることにした。そんな中、乾いたパンを口にして、カグルは尋ねた。

「あ、十三です。僕は、その、レオンと一緒に来たんですけど」

レオン、というとあの銀髪の少年ね、というカグルに、アルフレッドは頷いて続ける。銀よりくすんだ彼の髪の毛先が、頷いたときに少し動いた。

「僕たちの故郷は、ここからそこまで離れてないんですけど、すごい田舎なんです。なんだろう、本当に何もすることがなくて。そんな何もない所なのに、最近、魔物が前よりいっぱい出るようになってきて、戦わなくちゃいけなくなったんですけど。おじいちゃんおばあちゃんしか住んでないから、戦えるのは僕たちぐらいなんです。スライムしかいないから、僕たちでも大丈夫だったんですけど、いつスライム以外の魔物が出てくるか分からないじゃないですか。それで、別のやつと戦えるようにしなきゃ、と思って」

スライム、というと初めてこちらに来た時のことを思い出すなあ、と滝沢は内心感じていた。

「なるほどね。……ナツは?ニモニア、なんて変わってるけど、どこの出身なの?」
「あ、僕も気になりました、それ」

ニモニア、という名前が出てきたことは、生涯最大のファインプレーである、と滝沢は確信していた。普段何も思い出さない脳が、何故かそれだけは見事にするりと出力した。三人が全く不審な顔を浮かべていなかったことから、自分の名前がニモニアで間違いないことは明確であった。だが、現在また別の問題が降り掛かっている。出身地なんて、全く分からない。‘あちら‘側のものなら番地まで正確に覚えているが、それを諳んじたところできょとんとした顔をされるのがオチだろうな、と滝沢は思った。

「いや、その、ごめん、カグルさん。出身地のことは、ちょっと言えないんだ」
「…え、なに、ワケあり?わかった、あまり聞かないようにするわね」
「僕も、変なこと聞いてごめんなさい」
「まあ、そんなところ…かな、いいよ、気にしなくて」

滝沢は誤魔化して苦笑いを浮かべた。目の前で申し訳なさそうにしているカグルとアルフレッドに対する罪悪感が怒涛の勢いで押し寄せてきたが、この場を乗り切ることはできたので、辛くも勝利、といったところだった。

 自分が重くしてしまった空気を変えようと、滝沢は言った。

「あの、こういうところで食べるものだから仕方ないんだろうけど…。このパン、スカスカで、その…」
「やっぱりそう思いました?味とか、全然ないし…」
「携帯食って、大体こんなものよ。あたし、ここに限らずダンジョンに潜る時こればっかりだし、慣れたわ。まあでも、味だけで言うなら、そうね、やっぱり…」

三人の意見は、どうやら一致したようだった。滝沢には、感覚を共有したことで、少し、三人の繋がりが増したように感じられた。

「まずい、よね」
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する


処理中です...