電車の男 同棲編

月世

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Ⅰ.倉知編

第二ボタン

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はじめに(必ずお読みください)

このお話は「電車の男」の続編です。未読の方はお戻りください。
また、「電車の男」番外編で出てきた登場人物が出てきたり、
番外編で展開が進んだりもしています。
未読の場合、話が通じなくなる部分が出てきますので、
まだの方は番外編を先にお読みください。

+++++++++++++++++++++



 卒業したら、一緒に暮らす。約束したその日が、ついに来た。
 長かったのか、短かったのか、わからない。ずっと待ちわびていた。
 高校三年生の一年間、加賀さんと一緒に暮らすことばかり考えていた。
 あと一年、あと半年、あと一ヶ月、そして今日、やっと卒業できる。
 卒業式のあと教室に戻り、写真を撮ったり、卒業アルバムに寄せ書きをしたり、友人たちと思い出話をしている間も、ぼんやりと加賀さんのことを考えていた。
 早く、会いたい。でも今日は平日で、加賀さんは仕事だ。夜も遅いだろう。多分、会えない。
「先輩」
 肩を叩かれて、我に返る。振り向くと、一年女子のマネージャー、睦美が胸に色紙を抱いて、立っていた。
「考え事ですか?」
「いや、うん、何?」
 睦美の後ろで、女生徒と丸井が抱き合っている。バスケ部のもう一人のマネージャーで、丸井の彼女だ。
「卒業おめでとうございます。これ、部員からの寄せ書きです」
 礼を言って色紙を受け取ると、少しためらいがちに「あの」と言った。
「送別会、来られますか?」
 今日の夕方、二年と一年の部員が送別会を開いてくれることになっている。出席する、と言ってあるのに、と首を傾げると、マネージャーがはにかんだ。
「ただの確認です」
「うん、行くよ」
「よかった」
 幹事をやっているのかもしれない。顔をほころばせる睦美の背後から、丸井の彼女の瑞樹が抱きついた。
「むっちゃん、貰った?」
「ちょっと、しっ」
 慌てて口に人差し指をあてる睦美に「何が?」と訊いた。睦美は答えずに瑞樹の頭を叩いた。
「第二ボタンですよぉ」
「瑞樹」
「あたしも貰いました、ほらっ」
 瑞樹が手のひらの上のボタンを嬉しそうに見せびらかしてくる。
「第二ボタンって好きな人から貰うってやつだよね」
 確認すると、睦美の顔が赤くなった。胸騒ぎがする。まさかと思うが、この子は俺が好きだったのだろうか。
「本来は、そうです。でも私、そういう意味じゃなくて、先輩のことは尊敬っていうか、その、ボタン貰えたら、先輩の意志を継ぐみたいな感じで部活がんばれるかなって」
 わたわたと言い繕う睦美を見下ろしながら、なるほど、と納得した。睦美は純粋にバスケが好きだ。励みになるならボタンくらいいくらでもあげたい、と思った。
 第二ボタンを力任せに引きちぎると、睦美と瑞樹があっと声を上げた。
「俺のでよければ」
 差し出そうとする俺の手首を、横から誰かが掴む。
「待て待て、倉知」
 丸井だ。俺の耳元に顔を寄せると、二人に聞こえないようにこそこそと囁いてくる。
「いいのかよ、加賀さんに渡さなくても」
「え、でも、あの人こんなの欲しがらないよ」
 第二ボタンを欲しがる乙女な加賀さんは想像できない。多分、そんな発想はない。
「女子に渡したって知ったらヤキモチ妬かない?」
「ヤキモチ」
 こんなことで嫉妬する人じゃない。というか、むしろ嫉妬してみて欲しい。
「あの、無理ならホント、いいんで……。変なこと言ってすいません」
 睦美が消え去りそうな声で、うつむいたまま言った。
「いいよ。手、出して」
 顔を上げた睦美が、おずおずと手のひらを上に向けた。そこにボタンをのせると、嬉しそうに顔を輝かせ、勢いよく頭を下げて、瑞樹とくっつきながら教室を出て行った。
「あーあ、いいのかなー」
「バレンタインにチョコ貰ったって言ってもこれっぽっちも反応しない人だぞ」
「貰うのとあげるのと違うじゃん。第二ボタンは一個しかないんだぞ。どうすんだよ、ちょうだいって言われたら」
「加賀さんがそんなこと言ったら」
 少し考えて、口元を覆う。
「可愛い」
 自然と顔がにやけてしまう。丸井は呆れ顔だ。
「で、いつから一緒に住むんだっけ?」
「大学の合格発表のあと」
「もうすぐじゃん」
 受験はもう終わっていて、数日後に合格発表を控えている。落ちたら同棲はなし、と加賀さんが冗談めかして言っていたが、正直、受かる気しかしない。加賀さんはアパートを引き払い、引っ越し済みだ。俺の荷物も少しずつ運んでいて、もういつでも一緒に暮らす準備はできている。
「いいなあ、俺も瑞樹ちゃんと同棲したい。ていうか大学生活送ってみたいわ」
 丸井は高校卒業後、家業に就く。大学に行って一人暮らしをしてみたい、と早い段階から言っていたが、お好み焼き屋をやるのに大学を出る必要はない、無駄だ、と親にはね除けられたそうだ。
 丸井は、それに反発して店は継がない、というようなひねくれた性格の持ち主じゃなかった。家業を手伝うのも、親に言われたわけじゃない。幼い頃から、自分は店を継ぐ、と漠然と、将来を思い描いていたようだった。俺はそれを少し羨ましく感じていた。
 クラスメイトに別れを告げ、二人で学校を後にする。うちの両親も丸井の両親も式には出席していたが、さっさと帰ってしまった。彼らは揃って放任主義で、こういう特別な日でも子どもにベタベタしないドライな質だった。
「送別会まで時間あるし、昼うちで食う?」
 丸井が言った。
「うん、そうだな」
 答えたところでスマホが震えた。メールだ。ポケットから取り出すと、丸井がニヤリと笑った。
「もしかして加賀さんと約束してる?」
「え、まさか。仕事だよ」
 式に出るわけでもないし、卒業式だからと言って休みを取るはずもない。
 スマホの画面に目を落とす。メールは加賀さんからだった。
『卒業おめでとう』
 加賀さんらしい、簡潔な一言だ。
「今日は加賀さんのことは忘れて、送別会楽しもうぜ」
 丸井が俺の背中を叩いて、自転車にまたがった。加賀さんのことを忘れる、というのは無理な話だが、進路が違えば会う機会も減る。今日はそうすべきだと思う。黙ってうなずいた。
 自転車と並走して、ジョギングで丸井の店にたどり着き、昼を済ませ、私服に着替え、二人でテレビを観たり、漫画を読んだりして過ごした。こうやって一緒にいられるのもあと少し。
 丸井も何か感じ取ったのか、家を出るとき「たまには顔出せよ」とポツリと言った。
 二人で電車に乗り、集合場所のカラオケ店に向かった。部員全員が参加しているらしく、部屋はぎゅうぎゅう詰めだった。
 二時間ほど馬鹿騒ぎをして、予約してあるらしいファミレスへ向かった。テーブル四つを占拠すると、他の客たちがあからさまに嫌そうな顔をする。うるさくすると決めつけられている。部員たちになるべく静かにするように釘を刺すと、みんな素直にうなずいて、メニューを奪い合いながら眺め始めた。
「なんか、倉知先輩のほうが部長っぽいですよね」
 隣に座った睦美が言った。向かい側には瑞樹と丸井が座っている。
「だよね、あたしもそう思う」
 瑞樹がメニューをめくりながら言った。丸井が切なそうに眉を下げて「そんな」と傷ついたような顔をする。
「どうして丸ちゃんが部長だったの?」
 瑞樹は丸井のことを丸ちゃん、と呼ぶ。
「なんだよ、俺そんなに部長似合わない?」
「じゃなくてー、倉知先輩のがぽいってだけ。しっかり者だし、人をまとめる力もあるし、バスケも一番上手だし。あたしパスタにしようかな」
 瑞樹が丸井にメニューを手渡してから、唐突にスマホを触り始めた。この子はどんなときでもスマホを手放せない。何を見ているのかは謎だ。
「俺が部長になったのは」
 メニューを受け取った丸井が真剣な顔をして咳払いをする。
「なんとなくカッコイイから?」
 部長を誰にするか、という話になったとき、他の部員は俺を推してきた。お前以外にいないだろう、と当然のように言われた。別に、やってもやらなくてもどっちでもよかった。他に誰もなりたくないのであれば、やろうと思っていたところで、丸井が立候補したから任せることにした。ただそれだけの話だ。
「部長とかってカッコイイじゃん。瑞樹ちゃんだって、部長の彼氏のほうが自慢でしょ?」
「あたし、そんな肩書きどうでもいいよ。部長じゃなくても好きだから。ね?」
「瑞樹ちゃん……」
 見つめ合う二人をそのままにして、コップの水を飲んだ。こんなふうに二人だけの世界に旅立ってしまうのはよくあることだった。睦美は目の前の二人を視界に入れないように、メニューを立てて遮断している。
「丸井先輩も早く決めちゃってください」
 冷めた声でそれだけ言って、はい、と俺にメニューを手渡した。
 全員の注文が終わると、ドリンクバーで各自飲み物を用意し、周囲に邪魔にならない程度の声で、「卒業おめでとうございまーす」と乾杯をした。
 団体で来ていてもテーブルが分かれているせいで、会話は別々になる。
 俺と睦美は、普段から散々聞かされてきている丸井と瑞樹のノロケ話の犠牲になった。やがて料理も食べ終えて、話題が尽きると矛先が俺に向いた。
「倉知先輩って結局どんな人と付き合ってるんですか?」
 瑞樹が俺に訊いた。純粋な質問だったが、丸井の顔色が変わった。丸井は俺が同性と付き合っていることを、彼女である瑞樹にも言わないでいてくれた。学校内で真実を知っている丸井と風香は、揃って秘密を守り通してくれた。だから俺は、平穏な高校生活を送ってこられた。
「丸ちゃんに訊いてもぜんっぜん教えてくれないんですけど、どんな人なんですか? 倉知先輩の彼女」
「瑞樹ちゃんたら、まさか倉知に気があるんじゃないよね?」
 この手の話題が出るたびに、丸井が巧みに話題をすり替えてきた。ごまかして、誰にも知られずに卒業まで乗り切れた。
 瑞樹はその手には引っかからない、という様子で丸井をスルーして、スマホを片手に身を乗り出してきた。
「もしかして、本当はフリーですか? 誰とも付き合いたくなくて、嘘ついてたとか?」
「やめなよ、瑞樹」
 睦美がコーヒーを飲みながらたしなめたが、瑞樹は「だって」と子どものように唇を尖らせた。
「むっちゃんだって気になるでしょ?」
「先輩を困らせないで」
「いいの? もう会えないんだよ?」
「やめてって言ってるじゃない」
 睦美の語気が強くなる。丸井が慌てて二人の間に割り込んだ。
「まあまあまあ、喧嘩しないで。あっ、瑞樹ちゃん、パフェは? マンゴーのパフェあるよ?」
「丸ちゃんは黙ってて」
 徐々に険悪なムードになってきた。他のテーブルに目をやると、それぞれ盛り上がっていて、こっちの会話には誰も関心がないようだった。俺はコップをテーブルに置いて、一度大きく息をついた。
「いいよ、話す」
「倉知」
 丸井が心配そうに表情を曇らせたが、安心させるように笑ってみせた。
「大丈夫。もう卒業だし、二人がいい子だってわかってるから、話すよ」
 声のトーンを落として、二人の顔を順番に見てから言った。
「付き合ってる人はいるけど、具体的に言えない理由がいろいろあって」
「仮入部のときに婚約してるって丸ちゃんが言ってたの、嘘ですか?」
 瑞樹がちら、と丸井を見た。
「うん、してない。ごめん」
 同等の相手がいることは確かだが、同性同士で婚約はできない。
「丸ちゃんってなんでも大げさに言うよね」
「すいません」
 小さくなる丸井を責めるように見る瑞樹が、何か言おうと口を開きかけたとき、睦美が冷静な声色で呟いた。
「誰かとても大事な人がいるのは知ってました。だから嘘だなんて思いませんし、謝る必要だって、ありません」
 睦美はコーヒーカップを置いて、視線を落としながら続けた。
「瑞樹は、私が倉知先輩のこと、好きだって思ってるみたいで」
「え」
 驚いて睦美の横顔を凝視した。
「第二ボタンも、貰っておかないと後悔するとか、しつこくて」
「しつこいってひどい」
 心外そうに瑞樹がむくれる。
「恋愛感情じゃないって、ずっと否定してきました。倉知先輩のことは、すごい人だなって尊敬はしてます」
 ありがとう、と小声で礼を言うと、睦美はこっちに体を向けて微笑んだ。
「でも今日、第二ボタンを貰ったときに思ったんです。私は、倉知先輩のことが好きでした」
 あまりに唐突に、あっさりと告白されて、体が固まった。硬直する俺に「いいんです」と急いで手を振ってみせた。
「気にしないでください。私もついさっき自覚したばっかりだし、最後に伝えられてすっきりしました」
 そう言う睦美の顔は、本当にすっきりしていた。晴れ晴れとした表情で、コーヒーカップを持ち上げると、「で」と言って目だけで俺を見た。
「どんな方ですか? お相手は」
「でかした、むっちゃん」
 親指を立てる瑞樹が、小刻みに体を揺らして「で、で、で?」と詰め寄ってくる。
「もう、ずーっと知りたくてしょうがなかったんですよ! 学校の人じゃないんですよね? 年下? 年上?」
「年上で、社会人、です」
 迫力に圧されて答えると、瑞樹が口を両手で押さえて身もだえた。よくわからないが、本当に楽しそうだ。
 どうやって知り合ったのか、仕事は何をしているのか、何歳か、綺麗か可愛いかどっちか、背は高いのか、と質問攻めが始まった。どれにも答えられずに気圧されていると、ズボンのポケットでスマホが振動した。
 加賀さんかもしれない、と思うと、そわそわした。丸井がそれに気づいて「見てもいいぞ」と手のひらを向けた。
「あっ、もしかして彼女さんですか?」
 瑞樹がきゃあ、と小さく飛び上がる。ごめん、と断ってから、スマホを取り出して、画面を見る。加賀さんからのメールだった。
『仕事早くあがれたわ。まだファミレス? 迎えに行ってやるよ』
 数日前、卒業式の夜に送別会があると言うと、何時から、どこでやるんだ、と訊かれた。そのときは迎えに来るなんて、一言も言わなかったのに。短いメールは、素っ気ないようで、優しさが詰まっている。思わず頬が緩む。早く、会いたい。
「あー、そろそろお開き?」
 丸井が頭を掻きながら言った。ファミレスに入ってからもうすぐ二時間経過する。まだ時間的には早いが、高校生だけでこれ以上居座るのもよくない、ということで、解散することになった。
 会計を済ませてファミレスを出て、バス組、電車組、自転車組に分かれてぞろぞろと帰っていく中で、俺と丸井と睦美と瑞樹は駐車場にとどまった。
「俺、二人送ってくし、お前、あれだろ、お迎えだろ?」
 丸井が言うと、瑞樹が「あっ」と声を上げた。
「彼女さんが迎えに来るんですか? 見たい!」
「いや、あの、まだ終わったって連絡してないから、待たせると思うし」
「そうだ、彼女さんの車で送って貰いたいなあ」
「ごめん、二人しか乗れない」
 マンションに引っ越すのと同じタイミングで、加賀さんは車を買った。二人でどこでも行きたいから、というのが理由だった。
 五月がドライブに行きたがったが、二人乗りだから無理、と断ると六花が興奮していた。他の誰にも邪魔されないために、わざわざ二人乗りの車を選んだのだ、と決めつけていたが、加賀さんがそこまで考えているのかはわからない。
「それって、スポーツカーとかですか? そういうの乗っちゃう大人の女性かあ。ますます見たいなあ。ねえ、むっちゃん」
 睦美はもう「やめなよ」とは言わなかった。本気で見るつもりなのか、動かない。別に、見られても、知られても、構わない。どうせ全部話すつもりだったし、学校は今日で卒業した。この二人に知られたからと言って何がどうなるわけでもない。
「邪魔しちゃ悪いから、もう行くぞ」
 丸井が瑞樹の手を引いた。えー、と瑞樹の不満げな声に車の排気音が重なった。耳慣れた、エンジン音で、すぐに気づく。
 加賀さんだ。
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