電車の男ー同棲編ー番外編

月世

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電車の学生

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※この話は二人の出会いを加賀さん視点で書いたものです。

〈加賀編〉

 毎朝電車で本を読んでいる。
 立ったままの揺れる車内で読むのは集中力を要するし、正直あまり頭に入ってこないのだが、珍しく今日は没頭していた。ページをめくる手が止まらない。
 司馬遼太郎の「国盗り物語」だ。何十年も前に執筆された作品とは思えないほどに、瑞々しい文章。色褪せない、戦国の世界。目の前から不意にその世界が消失した。
「降りなくていいんですか」
「え」
 何が起きているのかわからずに、間が空いた。
 ハッとする。
 電車だ。
 現代の、日本。俺は今、職場に向かっている。
 現実に引き戻され、慌てた。電車は停車している。ガラス窓の向こうは、見慣れた駅のホーム。
「やべっ」
 小さく叫んで、人を掻き分け、ホームに降り立った。背後でドアが閉まる。間一髪だ。
 助かった。
 って、ちょっと待て。今のは誰だ?
 振り向くと、こっちを見ている背の高い男と目が合った。本を持っている。俺の本だ。
 やたらでかいが、幼い顔立ちをしている。学ランだから、高校生だろうか。そいつは、わかりやすく「しまった」という顔をしていた。
 少しの間、目が合った。
 誰だ?
 見覚えがない。見知らぬ学生だ。確かに、「降りなくていいんですか」と言った。どうして俺の降りる駅を知っているのか。
 電車が発進し、国盗り物語が遠ざかっていく。ああ、と肩を落として見送った。帰りの電車で続きを読めるはずだったのに。
「まあいいか」
 そんなことより出社しなければ。今日は早朝に会議がある。誰だかわからないが、悪い奴ではなさそうだ。降りる駅だと教えてくれた。俺を助けてくれたのだ。
 きっと明日、同じ電車でまた会える。
 本を返してもらって、礼を言って、何か美味いものでも奢ってやろう。でかいから、たくさん食べそうだ。
 はは、と笑みが零れた。
 どうしてだか、わからない。
 なぜだかとても、明日が楽しみだった。

〈おわり〉
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