19 / 22
目標
しおりを挟む「大牧さん!」
つい、嬉しくて声が大きくなってしまって、はっとして口を両手でふさいだ。消灯前の静かな空間。かなり声が響いてしまって申し訳なくなる。
「検査入院だって? 具合が悪い訳じゃないのね?」
「鈍い頭痛は相変わらずだけど、他はそんなに悪いところはないんです。ちょっと数値が悪かったみたいで…。だから、すぐ退院しちゃいますよ」
「そっかぁ。良かった。でも会えてうれしいわ。て、言うのも不謹慎かな?」
「あはは。怒る人もいると思いますけど、私は全然。会えて嬉しい」
大牧さんはゆっくりと近づいて来て、隣に腰掛けた。
「ありがとう。ちょっと連休もらってて…。これから夜勤なのよ。ゆっくり話せなくて残念なんだけど、又、宜しくね」
「連休? どうりでいないと思った。移動したのかと思っちゃった。彼氏さんと旅行に行ってました?」
「そうなの。沖縄にね行ってたの。お土産あるのよ。後で持ってくるから楽しみにしててね」
「嬉しい。待ってる」
沖縄の話も聞きたいけれど、今はもっと気になる事があった。昼間見た光景だった。
「ね…もう少し話しても、大丈夫ですか?」
大牧さんは目をしばたたかせて、時計をちらりと見た。
「あと、10分ならいいよ。どしたの?」
「えっと…今の、担当の西脇さんなんですけど…。初めはちょっと怖いなぁて、思ってたの。なんかね、愛想ないっていうか…。でも、今日、手話で話している所を見て。イメージが変わったったていうか…」
「ああ、西脇さんね。怖い感じだった?」
「怖いっていうか…苦手。話しかけずらくて…」
「……彼女ね、すごく真面目なのよ。ミスしたらいけないからって仕事中はいつもあんな感じなの。仕事が終わると年相応の明るい楽しい子なんだけどね。でも…患者さんに不安を与えたらダメね。私からそれとなく言っておくわ」
「あ、いえ、いいです。そんなつもりじゃないんです。だだ、手話で話している時の雰囲気が随分違って…びっくりしたって言うか、なんていうか…」
「手話…ね。私も少しはできるわよ。ごく簡単なものだけど…。休憩時間とかにね西脇さんに教えてもらうの」
大牧さんは得意そうに笑い、それから何かを思い出すように話を続けた。
「彼女がまだ学生だった時に実習で入った病院に、高齢のろう者が入院してきたんだって。担当の看護師は筆談で会話してたんだけど、なかなか言いたい事が掴めなくて…看護師達は大変だったらしいわ。西脇さんは、ろう者の隣の患者さんを担当してたらしいんだけどね、ある時…カーテン越しにうめき声が聞こえて、びっくりして声を掛けたんだけど返事がなくて…そっとカーテンを開けたら、苦しそうにお腹を押さえてたんだって。ナースコールを押して、どこが痛いのか聞いても手を動かすばかりで何を言っているのか分からなくて…看護師が来るまでの数分、いえ、数秒だったかもしれないんだけど、ひどく怖い思いをしたらしいわ。それから、ずっと看護の勉強と、手話の勉強を両立してやってきたって本人から聞いたの。だから…本当に…真面目で頑張りやなのよね」
大牧さんはにっこり微笑んで続けた。
「手話ができる看護師がいるって、ろう者の中では有名らしくって来院されるろう者も増えたのよ。私達も同じだけど、言葉が通じるってだけでもすごく安心できるでしょう? 私は、簡単な手話は分かるけど、彼女のようにろう者と世間話ができるほどになるには本当に難しいのよ。西脇さんを外来にって言う声もあるみたいなんだけど、夜勤が出来る看護師は病棟が手放せないのよね」
話している大牧さんの顔は誇らしそうに見えた。西脇さんを大牧さんが心から尊敬してるって思える表情だ。今回の担当さんはハズレかな? って思ってしまってた自分が恥ずかしく思えた。
「直ちゃんには向いているかもね。やってみたら?」
「えっ?」
「障害を持つ人に関わるには気持ちを理解する事が大切なのよ? 直ちゃんにはピッタリだと思うけど」
「え? なにを?」
「手話通訳っていうお仕事もあるの、知らなかった? 時々ね、通訳を連れてくる人もいるのよ。考えてみたら?」
返事は出来ずに俯いてしまった。知らない世界に飛び込むのって、そんなに簡単にはできない。
それからすぐに「消灯時間ですよ」と別の看護師さんに声をかけられて、大牧さんと別れて部屋に戻った。
部屋の中はすでに薄暗くなっていて、カーテンで小さな4つの個室が作られていた。みんな眠る支度をしてるのだろうか、布が擦れる音だけが静かに室内に響き渡る。
手話かぁ…できるかなぁ?
サイドランプを点けてベッドに上る。
常備しているペットボトルの水を飲み干して、布団に潜ってランプを消した。
その日の夜は、西脇さんの姿が目に焼きついて離れなかった。
テレビで見た時はまったく興味は持てなかったのに…実際の手話は全然違った。
「直ちゃんには向いているかもね。やってみたら?」この言葉がずっと頭に残っていて、なかなか寝付けなかった。
***
鼻に何かが触れた。
つんつんと頬をつつかれた。
うっすらと目を開けると、暗闇の中、十色の綺麗な顔が私を覗き込んでいた。
「ナオ。ここなんか臭い。変な匂いする」
「あ、十色…久しぶり」
最近は猫十色とばかり会っていたような気がする。
十色は顔をしかめて鼻の前で手をぱたぱたさせながら「くさい」と連呼する。
「薬の匂いかな? 私は慣れてるから…なんとも思わないけど、十色は…きついかもね」
目をこすりながら答える。今日は眠い…。
「ナオ、いつ帰るの? ナオの部屋に行こうよ」
「…もう少しここにいるよ。私が家に帰ったら、又…おいで…」
寝ぼけながら答える。ホント眠い。寝かせて。
「十色…私ね、やってみたい事できたかも知れない」
頭の中は半分寝てた。だからこんな確実でない言葉が出たんだと思う。
「へぇ。なに?」
「…へへ、今はないしょ。…もう少ししたら…教えてあげる…」
瞼は、ほぼ閉じていたと思う。無意識に喋っていた。
「ナオ、いい顔してる。可愛いよ」
十色の顔が迫ってきて頬をぺろりと舐められた。
だから!! 人間でそれ止めてってばっ! 完全に目が覚めた! 寝てたかったのに!
***
翌日、思い切って西脇さんに話しかけてみた。
「あの…昨日、会計前で見ました」
西脇さんは一瞬きょとんとして、いつものきつそうな表情を崩して眉間にしわを寄せ、斜め上を見上げた。なんの話か分からないようだ。
「あ、手話でお話されていたので…すごいなぁと思って」
「ああ、あの時…」
西脇さんはくりっとした目を更に見開いて首を傾げた。
「あ、すみません、つい…見ちゃいました。ごめんなさい。気分いいものではないですよね」
失敗した…。私だってじろじろ見られる事は嫌なのに。失礼な事をした。恥ずかしくて顔が赤くなる。
「いいわよ、あの人は私の通っているサークルの人なの。ろう者で…手話を教えている先生なの。知人のお見舞いに来てたんだけどね、偶然会ったの。手話を使ってるとね、周りから見られる事ってよくある事よ。でも、それで興味をもつ人が増えたらいいなって思ってるから、気にしないで。もしも目が合ったら、手話で(ごめんなさい)ってすれば、手話に興味があるのかな? 勉強中かな? て、分かるから大丈夫よ」
西脇さんはいつもの能面のような顔ではなく、にっこり微笑んで話してくれた。
怒られるかと思った。嫌がられるかと思った…。西脇さんの笑顔に心底ほっとした。
「興味ある?」
にっこりと、聞かれる。
「少し…。私にも出来ますか?」
「できるかどうかは私にはわからないけど。ただ、興味があったらサークルの連絡先を教えるわよ」
はい…もっともなご返事。
少し、考えて「昨日の西脇さんのように話してみたいとは思っています」と、答えた。
西脇さんは嬉しそうに笑って「後で持ってくるわね」と言って仕事に戻った。
知ってもらう為に見られる事を気にしない…。私にはない発想だった…。
知らない扉を開けたような…。
私に、できるかな?
ぼんやりとした目標が、見えたような気がした。
◆◆◆◆◆◆
聴覚障害者は「ろう者」「難聴者」「中途失聴者」があり、それぞれが違います。
「ろう者」とは、生まれつき耳が聞こえないか、ごく幼少期に聞こえなくなった人のことを言います。
「筆談で会話はできるでしょう?」と、思う人も多いかと思いますが、高齢のろう者はそれが難しい人もいます。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
後宮妃よ、紅を引け。~寵愛ではなく商才で成り上がる中華ビジネス録~
希羽
ファンタジー
貧しい地方役人の娘、李雪蘭(リ・セツラン)には秘密があった。それは、現代日本の化粧品メーカーに勤めていた研究員としての前世の記憶。
彼女は、皇帝の寵愛を勝ち取るためではなく、その類稀なる知識を武器に、後宮という巨大な市場(マーケット)で商売を興すという野望を抱いて後宮入りする。
劣悪な化粧品に悩む妃たちの姿を目の当たりにした雪蘭は、前世の化学知識を駆使して、肌に優しく画期的な化粧品『玉肌香(ぎょくきこう)』を開発。その品質は瞬く間に後宮の美の基準を塗り替え、彼女は忘れられた妃や豪商の娘といった、頼れる仲間たちを得ていく。
しかし、その成功は旧来の利権を握る者たちとの激しい対立を生む。知略と心理戦、そして科学の力で次々と危機を乗り越える雪蘭の存在は、やがて若き皇帝・叡明(エイメイ)の目に留まる。齢二十五にして帝国を統べる聡明な彼は、雪蘭の中に単なる妃ではない特別な何かを見出し、その類稀なる才覚を認めていく。
冷遇妃マリアベルの監視報告書
Mag_Mel
ファンタジー
シルフィード王国に敗戦国ソラリから献上されたのは、"太陽の姫"と讃えられた妹ではなく、悪女と噂される姉、マリアベル。
第一王子の四番目の妃として迎えられた彼女は、王宮の片隅に追いやられ、嘲笑と陰湿な仕打ちに晒され続けていた。
そんな折、「王家の影」は第三王子セドリックよりマリアベルの監視業務を命じられる。年若い影が記す報告書には、ただ静かに耐え続け、死を待つかのように振舞うひとりの女の姿があった。
王位継承争いと策謀が渦巻く王宮で、冷遇妃の運命は思わぬ方向へと狂い始める――。
(小説家になろう様にも投稿しています)
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
靴屋の娘と三人のお兄様
こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!?
※小説家になろうにも投稿しています。
壊れていく音を聞きながら
夢窓(ゆめまど)
恋愛
結婚してまだ一か月。
妻の留守中、夫婦の家に突然やってきた母と姉と姪
何気ない日常のひと幕が、
思いもよらない“ひび”を生んでいく。
母と嫁、そしてその狭間で揺れる息子。
誰も気づきがないまま、
家族のかたちが静かに崩れていく――。
壊れていく音を聞きながら、
それでも誰かを思うことはできるのか。
復讐のための五つの方法
炭田おと
恋愛
皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。
それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。
グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。
72話で完結です。
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる