猫の夢

鈴木あみこ

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わたしとコトリとスズと

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 昨夜は久しぶりに、お父さんとお母さんと由香と私。4人揃って晩御飯を食べた。
 スープハンバーグではなかったけれど、お母さんお得意のクリームシチュー。ロールキャベツが入っていて美味しいの。
 勿論シチューの素は使うけど、コンソメや粉チーズを入れたりしてお母さん流にアレンジされてる。
 やっぱりお母さんのご飯は優しい味でほっとする。

 食器の片付けを手伝い、由香と一緒にこたつに潜りテレビを見た。久しぶりにお笑い番組を見ながら由香と笑った。
 私は由香が大好きで、由香も私にとても良く懐いてる。
 由香の口から、絶え間なく流れ出る話を沢山聞いた。
 頭痛が酷い時は、小さな由香のソプラノは頭に重く響く。
 だから「静かにしてね」「お喋りは向こうでね」「シー」っと言うお母さんの言葉を聞くたびに、自責の念に駆られる。

 だから今日は、いっぱい話していっぱい聞かせて…。明日ははまた「静かに」と言われるかもしれないから…。

 本当に、ごめんね……。

 ****

「由香…寝ちゃった」
 コタツの隅で丸くなり、小さな寝息を立て始めた。
「そのままにしておいていいわよ。後でパパに運んでもらうから」
 お風呂から出て来たお母さんが、そう言いながらお父さんの書斎に向かった。
 2~3年前だったら、私が部屋まで運んであげる事ができた。でも今は無理。由香は日に日に成長するし、私は徐々に体力がなくなっている。
 小さな柔らかい頬を軽く撫で上げ、ぷっくりしたさくらんぼ色の唇を触る。
 柔らかくて暖かい由香の体温を掌で感じながら、肩まで伸びた髪をそっと手ですいた。
 小さな肩を抱きしめて「おやすみ」と耳元で囁く。
 ころんと寝返りを打って私に背を向けた由香に、ブランケットを掛けてテレビを消して私は居間を出た。

 自室のドアを開けると、暗闇の中、ベッドボードの上でチカチカとスマホが光る。
 交友関係の広くない私にとって、スマホは重要なアイテムではない。
 だいたい人工的な光は頭痛の元になるから苦手だ。
 だから基本的に家にいる時はベッドボードの上が所定位置。それでも、誰かとの繋がりは嬉しくてスマホに飛び付いた。


 純子からのラインだった。
 小倉純子おぐらじゅんこは2軒隣に住む幼馴染。
 背が高く、少しふっくらと丸みの帯びた女らしい体格で、人好きのする顔が好感を持てる。長い髪をいつも綺麗に結い上げていて、手先も器用だ。
 2歳年下の弟がいて「妹が欲しかった」と、私に会うと口癖のように言う。でも、純子姉弟はとても仲がいいと思うから、そう伝えると、嫌そうな顔をしながら「直には弟がいないから分かんないんだよ」と、目を細めて笑う。
 高校を卒業してすぐに地元なら名の知れた企業に、事務として就職した。
 進学をしなかった理由は「やりたい事がなかった」って、言ってたけど、実は要介護の祖父母がいて、純子のお母さんが3年前に仕事を辞めて1人で2人の介護をしている。
 お父さん一人の収入で家族5人面倒見るだけでも大変なのに、純子が進学したら学費も重く伸しかかる。
 本当の本音は分からないけど、優しい子だと私は知っている。

『久しぶり。具合はどう? 今度の土曜か日曜にランチに行かない?』
『久しぶり。今日は具合が良いの。ランチ行きたい。私はどちらでも大丈夫』

 すぐに4日後の土曜日に決まった。
 頭痛も無いし、眠くもないから由香と約束した、くま作りに取りかかる。
 久しぶりに、放りっぱなしだった紙袋に手を入れた。 
 ランドセルに飾れるくらいの小さなぬいぐるみ。小さな物を作る時はとにかく指先を使う。ミシンは使えないので目も疲れる。
 使う生地は少なくて済むが、その分神経を使う。
 一針一針。丁寧に縫う。
 これが、とても楽しい。
 この調子なら、来週には2つ渡せるかな? 由香の嬉しそうな顔が目に浮かぶ。指先も軽やかに進む。

 夜更かしは禁物なので、12時には電気を消した。
 その日は、久しぶりに夢も見ずぐっすり寝むった。


 ***


 翌日は、朝からどんよりした空で一段と寒くなった。

 一日中部屋に篭るのも嫌だから、今日は居間に裁縫道具を持ち込んで、くま作りに取り掛かった。昨日はかなり進んだから、今日中に1個出来るかな?
 スウェットの上下に着替えて、体の調子が良いから今日のお昼は私が作る予定。パスタにしようか? 丼にしようか? 考えながら縫う。気分が乗って、自然と鼻歌も出る。
 お母さんは「針だけには気をつけてね」と、念を押してお父さんの書斎に入っていった。
 お父さんの書斎は昼はテレワークで働いている母さんが使い、夜はお父さんが使っている。パソコンを使いたい時は私も篭るし、何をしているのか分からないけど由香も時々篭る。書斎って一人になりたい時には良い空間だと思う。

 来客のチャイムが居間に響いて「はーい」と返事をした。
 玄関のドアを開けると「あ…岩渕のおばさん……」一気に気が滅入った…。
 長身で痩せ型の岩渕敦子は父方の親戚。65歳。2年ほど前に関西から近くに越してきた。はっきり物を言う明るい性格だけど、口から言葉を出す前にもう少し考えて欲しいと思う事が多すぎて、少し苦手だ。
 特徴的なスクエア型の眼鏡と、ライトブラウンの明るい髪を常に後ろで一つに纏めている姿は、キツイ性格がそのまま出ているような気がする。
「直ちゃん、久しぶりねぇ。具合はどうやの? お仕事辞めたんやって? 直ちゃん。気合よ、気合。世の中なんてねぇ、気合でどうにかなるんよ」
 いつもと同じく、挨拶もそこそこに捲くし立て始めて、うんざりする。
「お久しぶりです。母は仕事中なんですが、出られるか聞いてきますね」
 書斎に行ってお母さんに聞いてみたら「10分待って欲しい」って言われて、おばさんに伝えに行く。
「上がってもええ?」と聞かれれば嫌とは言えず…。
 居間に上がってもらって、急いで裁縫セットを紙袋に突っ込んで、お母さんに上がってもらったと伝えに行ったら、パソコンから目を離さずに「ごめんね。もう少しなの。直は部屋に行ってていいから」と、言われたけれど…。
 いかにも、さっきまで居間に居ました。と言える裁縫セットと飲みかけのお茶も置いてあったのに、さっさと部屋に行ってしまうのは、感じ悪いよね…。
 仕方ないので、お茶を出す。たしかおばさんは緑茶で良かったよね?
「直ちゃん。この前のテレビ見た?」
 ハジマッタ。
「交通事故で足が不自由な人が山に登ったんやって。ドキュメンタリーでやっててね。感動したわ」
 ハイ、ソウデスカ。
「見た?」
「いえ、知りませんでした」
「残念。むっちゃ良かったのに。もうアカンって言われたのに、諦めへんかったから動くようになったんやって。キバったら奇跡って起こるんよ」
 イエ、オコラナイトオモイマス。
「直ちゃんも、キバッたら何でも出来るんよ。せやから頑張らなあかんよ」
 ガンバッテルツモリデスガ。ナニカ?

「敦子さん!」

 私が心に蓋をして、深い海の底へ沈めようとしている時に、不意に響いたお母さんの高い声。
 自然と、下を向いていた視線が上に上がる。
 そこには口角を上げ、表面上はにこやかに見えるお母さんが立っていた。
「直、ありがとう。もう部屋に行っていいわ」
「……うん」
 お母さんはゆっくりと座り、急須にお湯を入れた。
「では、おばさん、ごゆっくり」
「じゃあね。直ちゃん。頑張るんよ」
 にこやかに笑って手を振るおばさんに軽く頭を下げ、紙袋を握りしめて居間を後にした。

 自室に入り、ベッドに腰掛ける。
 階下の声が聞こえないように、テレビを付けた。

 岩渕のおばさんは、いつもあんな調子だ。悪気がないのは分かる。私を元気付けようとしてる事も。
 でも、病気は人それぞれと言うことが分かってない。
 奇跡は、選ばれた人にしか降り注がれない事も。
 例えば、あなたと同じ健常者が海を泳いで渡ったら、あなたもやってみようと思うの? 思わないよね?
 興味があるものも、皆違う。
 体の作りも皆違う。

 私を想う気持ちは分かる。それは有難いと思う。
 1年に2回、3回会うくらいの頃はさっぱりしてて好きだったし、私を想う気持ちも素直に受け取れた。でも、近くに越してきて頻繁に会うようになり、何度も聞かされる知らない人達の武勇伝に次第にうんざりして、心に蓋をするようになった。

 ベッドに横たわると、自然と瞼が重くなってきてそのまま目を閉じた。
 人の善意を受け取れない、ひねくれた自分が無性に嫌になる。体も、心も思い通りに動かない。ポンコツな私…。

 微睡みながらぼんやりと目を開けると、お昼はとうに過ぎていて、何故か隣にはふわふわの黒猫が丸くなって寝ていた。
 状況を把握するには頭は上手く働かなくて、すぐに夢だと結論付けて、気持ち良さそうに寝ている幸せそうな猫の顔をぼやけた視界で見つめていると、柔らかい被毛に鼻をくすぐられた。
 懐かしく感じる心地のいい香りが鼻腔に届き、心に染み込む。ささくれだっていた心が落ち着き、呼吸が楽になった。

 結局、私の心が、あなたに伝わらないように、あなたの言葉も絶対に私には伝わらない。

 私達は対等なのかもしれない。

 黒猫を抱き寄せてもう一度眠りについた。

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