アリーシャ・ヴェーバー、あるいは新井若葉と、歴史の終わり

平沢ヌル

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 まずは、こんな場面を思い描いて欲しい。

 金属質の壁に囲まれた部屋の真ん中に、二人の人物が立っている。壁の内側には無数に配線が走っており、時折オレンジや緑の光を明滅している。二人は部屋の壁一面を占める巨大なモニターに向かって目を凝らしている。

 一人はほっそりした赤毛の女の子。と言っても、20歳ぐらいだ。色白で雀斑があり、高くて尖った鼻にすらりとした背恰好。近世ヨーロッパめいた古めかしいデザインの、暗色のワンピースといういでたちで、質素な印象だ。
 彼女は動かない。ただ黙って、モニターを凝視している。その灰緑色の目、一度見たら忘れられない、そんな色をした目で。もしかしたら、彼女は理解しているのかもしれない。理解したら精神が灼かれてしまいそうな、この異常な状況を。

 アリーシャ。『私』であって、『私』ではなく、この私でもない、そういう存在。

 もう一人は男性だ。背の高い男。30歳ぐらいの美しい容貌の男だ。白い肌、深い眼窩に高い鼻梁、それから金色の目、艶のある真っ黒な髪。白のシャツに黒のベストという戦闘服の姿だが、そのベストにはよく見ると、貴族的な意匠が施されている。
 彼の方は、恐らく理解はしていないだろう。彼が生きてきた人生と知識は、この状況を理解することを彼に許さない。しかし、彼は声を上げて、呼びかけている、画面の反対側の存在に向かって。
 互いに相入れない画面の表裏の世界、それを隔てる厚い、厚い壁。
 その鋭い呼び声は空を切り裂く雷鳴のよう、その目に宿る光は暗雲を貫く月光のよう。だけど、その手は決して届かない。生きている人間には、その壁を超えることはできないのだから。

 エックハルト。
 この物語の、『私』の人生のイレギュラー。

 そして、私は。
 画面の反対側から、そんな二人を見ている。

 アリーシャと、エックハルト。
 こんなにも愛おしい二人を置いて、私は行かなければならない。
 愛おしいと私が感じること、それは本当におかしなことだ。だって愛おしいと感じるのも、『私』であって私ではないのだ、論理的に考えれば。『私』が持つ愛おしさの記憶がそのように私に判断させている、それだけのことかもしれない。

 あるいはこれは、私がこれから下すべき決断と関係しているのかもしれなかった。人間の歴史の価値を判断するのは、『私』という個人が経験してきた他者とのコミュニケーション、そこに存在している絆とは切っても切り離せないからだ。

 私はこれから、『歴史』を終わらせなければならない。

 え? 私って誰なのかって?

『私』。新井若葉、29歳。
 2017年2月2日、深夜の東京で、帰宅中にミニバンに撥ねられてあっけなく死んだ、歴史雑学を趣味としている平凡なオタク女。取り立てて褒めるべきところもない、取るに足りない存在。

 なぜその私が、こんな決断をすることになったのか? それを説明するには、長い話が必要になる。
『私』はこれが、よくある異世界転生の物語だと思っていた。しかし、実際は違っていた。だけど、それがどの程度違っているのか、本当のところ、今のこの私にはよく分からないのだが。だって、それを知っていたのも、また別の『私』であって、私ではないのだから。

 いずれにせよ、これは私の物語で、『私』たちの物語で、それから彼の、彼らの物語でもある。そして、無数に存在する世界の狭間で起きた、ある奇跡の物語だ。
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